7.24
6月頃に学校で植えた朝顔の芽をもらってかえってきました。なつやすみ中に花がさくといいな。朝がおにもいろんなしゅるいがあると先生がいっていたけど、この朝がおは、どんな花がさくのかな?
7.30
海水よくに出かける前に水をやったよ。
毎日やっているから、こんなに元気だよ。
つるが出てきたのでしちゅうを立てる。
8.4
つるが長くなってきたよ。
つぼみもいくつかついている、つるってくきじゃないから自分でささえられないんだね。だからしちゅうがいるのか。
8.12
わお、今にもさきそう、朝がおっていうくらいだから、朝早くさいちゃうのかな。さくしゅんかんが見たいな。
8.15
けさ、朝がおの花がさいたよ。早起きしてみていたらまださいていなくて、朝ごはんを食べている間にさいちゃった。
8.16
きょうは2つさいたよ。
きのうさいた花は、こんなに大きくなったよ。
8.20
さいていた花もだんだんかれていくよ。そして、ちってしまった花もあったよ。ママは「これも自然なことなのよ」っていっていました。でもなんだかさみしい気持ちだな。
8.22
まだまださいている花があるよ。朝がおって、夏になるとぼくたちを楽しませるためにやってくる花なのかな?来年もさくといいな。
8.23
もうすぐ学校が始まるよ、はやくみんなに会いたいな。みんな朝がお育てられたかな?ぼくの朝がおはもうそろそろ散っちゃうけど、来年もきっと元気でさいてね。
「なつやすみ」に入っていた絵日記の見開きに、あさがおかんさつにっきもあったので、まとめて、アップしてみた。
この絵日記は、表紙がプチ学習帳えにっきとなっていて、箱に入っているセットの写真が載っている、裏表紙がラジオ体操出欠表になっていて、その日付までの判子がおしてある。
ラジオ体操、なつかしいなあ。
★
昨日までのアニメが、マックではきれいな画像で見られなかったことがわかりました。
色が分解されたようなきたない感じで表示されていましたが、原因がわかりません。
マックで見てくださったみなさん、お見苦しくてすみませんでした。
微に入り細に入り判子までとは恐れ入りやの鬼子母神(ちょっとふざけ過ぎました)です。爆発頭でラジオ体操していたのも懐かしいです。
夏休みの課題の定番だけど、いまのこどももそんなのしているのかなぁと。
自由研究とかサボりまくっていたなぁ。
今なら「くま」をテーマにしたのをするかもっ!
私も今だったら自由研究真剣にするかも!
あの頃は完全にさぼっていたけど・・・。
あさがおは重たい鉢植えを
学校から自力で持って帰ったのを
思い出しました。
暑いし、道のりも長くて、
ちょっと半べそかきながら・・・笑
ラジオ体操、子供会でもらえる
皆勤賞の商品が豪華だったんで
(といってもノートや鉛筆ぐらいですが)
本当に1日も休まず行ってました。
(それだけ、どこにも出かけなかったってこと?)
子供達が、あさがおの観察をしていた時、あさがおのつるは、右巻き?左巻き?なんて会話したのを、思い出します。なつかしいなぁ
suzroさんが爆発頭のまま?なんて信じられませんが、そういえば、子どもの頃って、結構、寝癖がついていましたよね。
>プチくま家の管理人さん
朝顔がひまわりになったりしていますが、いまでも、ラジオ体操も、このあたりでは、しています。
大人の夏休みの自由研究、ふたりとも、くま!ですね。
>なほさん
ラジオ体操、たとえ、動機は賞品目当てだったとしても、1日も休まずなんて、えらいですね。
私は、家の中で、こちょこちょっと手を上げておいて、翌日、はんこ係りの人に家でしました~とか言って、押してもらっていました。
ズル~!
>ガリさん
朝顔は左巻きとおぼえてはいるのですが、じゃあ、絵を描くとなると、途端に、どちらの方向が、右巻きなのか左巻きなのかわからなくなっていました。
クルクルパーをしてみても、いまいち、はっきりしないんですよね。
ちなみに我が家にも自然に出てきて咲いています。
朝顔を育てるのはいいんだけど、小さな子が(たいてい1年生か2年生)あの鉢を学校から家に持って帰るのは大変ですよね。
先生方は車だから、あの重さがわからないのかなあ?
新入生にお掃除の時間と告げると「いやです。」
後日親御さんから「お掃除は業者にお願いできませんか」
先生は頭を抱えましたがよくよく伺って見ると
お母さんは外国生活が長く学校では清掃の習慣は無いとのこと
清掃も教育の一環と説明し事無きを得 今では楽しんでお掃除をしているようです。
あの重たい植木鉢にどんな意味があるかは分かりませんがあの暑い中引きずりながら帰った記憶は朝顔といっしょに鮮明に残っています。
そうですね、きっと、教育的配慮があるんですよね。
1940年生まれの私の小学校低学年時代は、敗戦直後で朝顔の栽培どころではなく、自分自身の経験はありません。
ただ、体がとても弱かったので、重いものを持ったこともなく、過保護に育てられ、重そうな鉢を持った子どもを見るだけで、心が痛んだのでした。