暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

人はまた同じ判断をする

2016-05-13 19:31:53 | 日記
年取ってきて、もの忘れがひどくなったのは、どのかたも共感していただけると思う。

書類などで、

「あれ、どこ行ったかな? 整理したとき、捨てたかな。 いや、あれは捨ててないはず。
どこだっけ  」

と、あちらこちらを捜すことになることはないだろうか。


きょう、捜していたのは、コピー2枚なのだ。

50代のころ、パートに行く前には、朝、必ずラジオ体操のCDをかけて1番だけ体操し、それから、整骨院でもらったストレッチの仕方を書いた絵を見ながら 2枚ストレッチする、という程度の運動をするのを日課にしていた。


またストレッチを始めたくなり、そのコピーを捜していた。


しまってありそうなクリアファイルが、入っているであろうファイルボックスを見て回る。

取り出してみては、中の書類を見ていく。

整理整頓したときは、捨ててよい書類かどうか判断を下し、もう二度と見なくてよいと思えば資源回収をためておく紙袋に投げ込んでおく。

だが、昔からずっととっておいた書類ならば、過去に決断が必要だったときに、そのたびに「要る」と判断して残してきたものだ。

また決断の時がきても、判断するのは、同じ脳ミソを持った同じ人物。

ということは、同じ意識を持っている一人の人物なのだから、必要だと判断した私は そのときも、捨てなかっただろう。

いま、その書類が欲しいと、思ったわけだから。


だから、「あれは捨ててないはず  」

と、思った書類は、きっと取ってあるに違いない。



それで、40分以上、時間をかけて確認していった。

書類や郵便物の廃棄の片づけをしながら机や本棚の書類が入ったファイルボックスをひとつひとつ見ていったところ、ついに出てきたのだ。


やっぱり 


捜していたのは、これなのだ。 (詳しくは見えないことと思うが)

    


今夜からさっそくストレッチしますわ 
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