最近、ある方(少し知っている人)がネット犯罪に巻き込まれたようです。商品購入代金を振り込んだにも関わらず、注文した品物は届いていない・・・と言うものです。警察に被害届を出すにも手続きが煩雑で、心が折れそうになる・・・とのことです。しかし、この人の場合は芯の強い方と思われるので、やれる限りのことは対応されることでしょう。
今回、このテーマをブログで綴ることにした理由は、かねてより類似のことに関して憤りを感じていたからでもあります。
最近の事例の一つとして、年金機構での100万件以上に及ぶ重要情報がネットから漏洩した件があります。ここでは情報漏洩させてしまったことそのものの責任(脆弱?なシステムや管理レベル・意識等)もありますが、正直、これは限界があるのだろうと思います。但し、事件後の臨時的対策のために相当額(300億円?)を費やすことにもなっていると報道されていました。そして、この費用は年金機構からか、または、国民の税金から充当させるしかない・・・と発言した政治家もいたようです。
これを聞いて「冗談じゃない!」と思った人は私一人ではないでしょう。・・・で、この件でも感じることですが、そもそも加害者(犯人)が一番の重罪人であることは間違いないのです。重要情報の入ったUSBメモリーを過失によって紛失したケースとは大違いで、悪意をもって・故意に当該システムにウィルスソフト(メールへの添付ファイル)を送り込んで情報を盗んだものです。
こうした悪意を持った確信犯による犯罪に対しては、現行の法律(罰則)レベルでは不足であり、二度と犯罪を起こそうなどとの思いに至らせないほどの重罰を科すべきです。加えて、当該事件に費やすことになった捜査・調査・臨時対策等のあらゆる余分なコストは、全て当該犯人に償わせる必要があります。
よくよく考えれば、警察機関や裁判等の司法に関わる費用は税金から賄われていることが多いと思いますが、元をたどれば、私たち国民・市民が負担していることになります(全てではないにしても)。一時的に立替えることは止むを得ませんが、犯人が拘束された暁には、その全責任(発生した全ての費用)は当該犯人が負うべきで、しかも、それも「倍返し」ぐらいがあってもよいとも思います。・・・(チョットやりすぎか?)
他の事例としてですが、息子等を装った振り込め詐欺の類です。人を騙して金銭を奪い取る犯罪ですが、多くの被害者は年令の高い人たちで、限られた蓄財の全てや一部を無慈悲にも奪い取るものです。場合によっては、老後の生活資金を奪い去るものでもあり、このことは、被害者が「死ね」と言われているも同然のケースもあるでしょう。
こうした振り込め詐欺的な事件も、単なる詐欺ではなく、殺人事件にも劣らないレベルの卑劣な犯罪であり、犯人(グループ)は倍返しも含めて無期懲役レベルの重罰を科すべきでしょう。
何故、こうした過激とも思われることを言いたいか・・・。 法治国家の名の下、大人びた司法や法律・罰則等が構築されていることは大半はスバラシイことと考えられますが、被害者よりも加害者に対して不当に厚遇していないかと思われるからです。
裁判官と一般人民の社会通念のズレを是正する等のための陪審員制度が設けられてはいますが、これだけでは片手落ち(これ、差別用語?)です。そもそも裁判官の社会通念レベルそのものも疑うことが時々発生しています。これは、裁判官のみならず、異常な検察組織(人・官)であったり、異常な弁護士であったり・・・、法曹界も絶対的な信頼はないことを示しています。いずれにしても、過失の場合は別ですが、故意に行っている犯罪者に対しては、現状よりもはるかに重い刑罰を用意すべきでしょう。
やっていいこと・悪いことの判断が適切にできる人、何を大切にしなければならないかを判断できる人・・・等々、家庭や学校・社会などを通して教育や模範を示していくことが一番大切ではありますが、一方で、意図的・故意による犯罪者には重罰を科し、その気が起こらないぐらいの抑止力を設定しておくことも必要ではないでしょうか。
何年か前のことですが、危険ドラッグの飲用による交通事故発生で、知人のお子さんが巻き込まれて亡くなりました。法律的には故意ではなくて、「未必の故意」になるのではないかと思いますが、結果的にその人の命や将来・家族の幸せや将来を無惨にも奪った罪は万死に値するものでしょう。そして、同時に、こうした危険ドラッグなどを販売したり密輸・精製・合成するヤツラも同罪です。
また、若き女性を拉致して暴行や死に至らしめる行為は、もっと卑劣で許しがたく、また、こうした再犯の恐れが高い犯罪者が比較的短期間で刑期を終えて出所するなど・・・、甘いのではありませんか、犯罪者・加害者に対する措置が。加えて、殺害した人数が一人だから死刑を免れるなどという判断基準のようなものがあるようですが、これも間違っていませんか。被害者やその家族等の心情・将来・人生を考えれば犯人に生きる資格はありません。
ケースバイケースなので、一様に語ることは難しい面もあるでしょうが、基本的人権や人格を無視するかのような行いに対しては、氏名・顔写真の公表なども含めて社会的な制裁を加えるべきではないでしょうか。いじめ問題は少し次元が異なるかも知れませんが、加害者(グループ?)に関する報道が少ないことも気になります。悪質・陰湿なものが見えているのであれば個人特定ができない配慮は必要かも知れませんが、その構図等は公表し、且つ、相応の処罰は必要でしょう。
少なくとも、ものごとの良し悪しの判断ができる年令・人格形成に至っているのであれば、その行った行為に対する責任は負うべきです。
一方で、その犯罪者の原因たるものが育った家庭・環境・社会にあることも部分的にはあるかも知れません。従って、貧困やいじめ・差別などが無くなるか少なくなるための恒久的な取り組みも必要でしょう。しかし、原因がそこにあったとしても、起こしてしまった結果に対しては責任を取るべきです(過失は別です)。
繰り返しになりますが、人の意志にそむき、強制したり、略奪したり、騙したり、傷つけたり(身心)、基本的人権や人格を無視・軽視するヤカラ、さらに法治国家の名の下に法律を金科玉条のごとくとらえ、その字面だけを見て本質的目的を理解できない・しない・しようとしない人たちも人間失格であり、反面教師にしかなり得ない・・・、まア、人としての心を持ち合わせていない「物」なのかも知れません。 ゴミ箱行きですね!
今回、このテーマをブログで綴ることにした理由は、かねてより類似のことに関して憤りを感じていたからでもあります。
最近の事例の一つとして、年金機構での100万件以上に及ぶ重要情報がネットから漏洩した件があります。ここでは情報漏洩させてしまったことそのものの責任(脆弱?なシステムや管理レベル・意識等)もありますが、正直、これは限界があるのだろうと思います。但し、事件後の臨時的対策のために相当額(300億円?)を費やすことにもなっていると報道されていました。そして、この費用は年金機構からか、または、国民の税金から充当させるしかない・・・と発言した政治家もいたようです。
これを聞いて「冗談じゃない!」と思った人は私一人ではないでしょう。・・・で、この件でも感じることですが、そもそも加害者(犯人)が一番の重罪人であることは間違いないのです。重要情報の入ったUSBメモリーを過失によって紛失したケースとは大違いで、悪意をもって・故意に当該システムにウィルスソフト(メールへの添付ファイル)を送り込んで情報を盗んだものです。
こうした悪意を持った確信犯による犯罪に対しては、現行の法律(罰則)レベルでは不足であり、二度と犯罪を起こそうなどとの思いに至らせないほどの重罰を科すべきです。加えて、当該事件に費やすことになった捜査・調査・臨時対策等のあらゆる余分なコストは、全て当該犯人に償わせる必要があります。
よくよく考えれば、警察機関や裁判等の司法に関わる費用は税金から賄われていることが多いと思いますが、元をたどれば、私たち国民・市民が負担していることになります(全てではないにしても)。一時的に立替えることは止むを得ませんが、犯人が拘束された暁には、その全責任(発生した全ての費用)は当該犯人が負うべきで、しかも、それも「倍返し」ぐらいがあってもよいとも思います。・・・(チョットやりすぎか?)
他の事例としてですが、息子等を装った振り込め詐欺の類です。人を騙して金銭を奪い取る犯罪ですが、多くの被害者は年令の高い人たちで、限られた蓄財の全てや一部を無慈悲にも奪い取るものです。場合によっては、老後の生活資金を奪い去るものでもあり、このことは、被害者が「死ね」と言われているも同然のケースもあるでしょう。
こうした振り込め詐欺的な事件も、単なる詐欺ではなく、殺人事件にも劣らないレベルの卑劣な犯罪であり、犯人(グループ)は倍返しも含めて無期懲役レベルの重罰を科すべきでしょう。
何故、こうした過激とも思われることを言いたいか・・・。 法治国家の名の下、大人びた司法や法律・罰則等が構築されていることは大半はスバラシイことと考えられますが、被害者よりも加害者に対して不当に厚遇していないかと思われるからです。
裁判官と一般人民の社会通念のズレを是正する等のための陪審員制度が設けられてはいますが、これだけでは片手落ち(これ、差別用語?)です。そもそも裁判官の社会通念レベルそのものも疑うことが時々発生しています。これは、裁判官のみならず、異常な検察組織(人・官)であったり、異常な弁護士であったり・・・、法曹界も絶対的な信頼はないことを示しています。いずれにしても、過失の場合は別ですが、故意に行っている犯罪者に対しては、現状よりもはるかに重い刑罰を用意すべきでしょう。
やっていいこと・悪いことの判断が適切にできる人、何を大切にしなければならないかを判断できる人・・・等々、家庭や学校・社会などを通して教育や模範を示していくことが一番大切ではありますが、一方で、意図的・故意による犯罪者には重罰を科し、その気が起こらないぐらいの抑止力を設定しておくことも必要ではないでしょうか。
何年か前のことですが、危険ドラッグの飲用による交通事故発生で、知人のお子さんが巻き込まれて亡くなりました。法律的には故意ではなくて、「未必の故意」になるのではないかと思いますが、結果的にその人の命や将来・家族の幸せや将来を無惨にも奪った罪は万死に値するものでしょう。そして、同時に、こうした危険ドラッグなどを販売したり密輸・精製・合成するヤツラも同罪です。
また、若き女性を拉致して暴行や死に至らしめる行為は、もっと卑劣で許しがたく、また、こうした再犯の恐れが高い犯罪者が比較的短期間で刑期を終えて出所するなど・・・、甘いのではありませんか、犯罪者・加害者に対する措置が。加えて、殺害した人数が一人だから死刑を免れるなどという判断基準のようなものがあるようですが、これも間違っていませんか。被害者やその家族等の心情・将来・人生を考えれば犯人に生きる資格はありません。
ケースバイケースなので、一様に語ることは難しい面もあるでしょうが、基本的人権や人格を無視するかのような行いに対しては、氏名・顔写真の公表なども含めて社会的な制裁を加えるべきではないでしょうか。いじめ問題は少し次元が異なるかも知れませんが、加害者(グループ?)に関する報道が少ないことも気になります。悪質・陰湿なものが見えているのであれば個人特定ができない配慮は必要かも知れませんが、その構図等は公表し、且つ、相応の処罰は必要でしょう。
少なくとも、ものごとの良し悪しの判断ができる年令・人格形成に至っているのであれば、その行った行為に対する責任は負うべきです。
一方で、その犯罪者の原因たるものが育った家庭・環境・社会にあることも部分的にはあるかも知れません。従って、貧困やいじめ・差別などが無くなるか少なくなるための恒久的な取り組みも必要でしょう。しかし、原因がそこにあったとしても、起こしてしまった結果に対しては責任を取るべきです(過失は別です)。
繰り返しになりますが、人の意志にそむき、強制したり、略奪したり、騙したり、傷つけたり(身心)、基本的人権や人格を無視・軽視するヤカラ、さらに法治国家の名の下に法律を金科玉条のごとくとらえ、その字面だけを見て本質的目的を理解できない・しない・しようとしない人たちも人間失格であり、反面教師にしかなり得ない・・・、まア、人としての心を持ち合わせていない「物」なのかも知れません。 ゴミ箱行きですね!