ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

電車通勤で感じたこと・・・ドイツの列車

2014-07-30 22:03:34 | 日記
最近、電車での通勤(日本国内)をしていますが、改めてドイツと日本の列車事情の異なる点をまとめてみます。

先ずは、列車に乗降する時のドアの開閉についてです。日本では大半が車掌の操作によって一斉に開閉しますよね。(一部の地域で違う方式もあるようですが。)ドイツではドアを開く操作は個々のドア毎に乗客が操作します。
(写真: 乗降口の左側に開ボタン)
(写真: 右側ドアに開ボタン)

例えば、列車に乗る場合ですが、列車が到着して停車すると、ドア付近の外側についている押しボタン(多くは緑色)が点灯します。点灯していることを確認して押しボタンを押します。するとドアが開き、乗車することができます。

一方、降車客が居る場合は、降車優先(常識的に)なので、ドア開ボタンは列車内部側で先に操作されます。降車が済んでから入れ違いに乗り込むことになります。いずれもしばらくすると自動的にドアは閉まります。

逆に、自分が降車する場合ですが、ドアの内側にも同様の押しボタンがあり、列車が完全に停車すると緑色のランプが点灯するのでボタンを押すことができます。未点灯の状態で押してもドアは開きません。
(写真: 車両内部の操作ボタン)

ドアが閉まる場合は「ピッピッ・・ピッピッ・・」と警告音が鳴ります。(音は列車に依って異なるかも)

こうした方式の列車は2013年のドイツや2012年のデンマーク滞在でそれぞれ同様の方式を確認しました。南ヨーロッパのそれがどうなっているかは良くは知りませんが、北欧に近い地方ではこうした方式が採られているのかも知れません。比較的に、夏は冷涼で冬は相応に寒い地方では列車内の暖房効果を損ねないためにも、不必要な開閉を回避しているのだと思います。

初めて乗る場合は戸惑いましたが、仕組みが明解でわかりやすいのですぐに慣れます。日本の列車事情とは異なる面も多いと思いますが、開ける必要のないドアは閉まったままでよいのでしょう。通勤ラッシュのような混雑時には一斉開閉の方がよいのかも知れませんが・・・。

さて、次に「改札口」についてです。日本ではご承知の通り改札口があって切符等を通してプラットホームに向かいますよね。ドイツやデンマークでは改札口はありません。プラットホームへは切符の有無に関わらず入場できるのです。出入り自由なのです。その気になればそのまま列車に乗ることも可能なのです。
(写真: リューネブルクの駅待合とプラットホーム)

さて、切符には種類がいくつかあって、日時等が確定している列車の切符を購入している場合は保持しているだけで特段の操作をする必要はありません。一方、事前に購入した切符で乗車日がフリーになっているようなものの場合は、方式が二通りはあります。
(写真: ブレーメンの駅にある券売機)

一つは、プラットホームに着いたならば、黄色のボックスか青いボックス等を探します。階段を使ってプラットホームにアプローチする構造が多いのですが、ホームに入った付近に設置してある例が多いと思います。そのボックスに切符を差し込みます。すると日時が打刻されます。音が「ガチャン」とか・・打刻された感覚は音でわかり、切符をそのまま引き出します。この打刻を忘れて乗車すると、「再利用」が出来る状態なので「無賃乗車」と同じ扱いになる恐れがあります。
(写真: デンマーク・コペンハーゲン駅、ホームには黄色のボックス)
(写真: ヘーメリンゲンのホーム上券売機と右側が検札ボックス)
(写真: ヘーメリンゲン駅)

もう一つは、プラットホームにはボックスが設置されていなくて、列車内に設けられているタイプがあります。各車両に1ヶ所はボックスがあるようです。乗車した直後にボックスを探して打刻しておく必要があります。
(写真: ラーデンの路線、列車内部のボックス)
(写真: 列車内の黄色のボックス)

尚、切符によっては切符の中央に点線が描かれているものがあり、ここを中心にして切符を二つ折りにして「強度」を確保してボックスに挿入するものもあります。ドイツのブレーメンでそうした切符を数回使ったことがあります。

いずれの方式にせよ、改札口が無いことに私は少なからず感動しました。社会そのものがお互いの信頼関係から成り立っているのではないでしょうか。切符を買わずに乗車する人は居ない前提です。もちろん列車内に券売機が設置してある路線もあります。ドイツのラーデンの路線がそれです。その代わり、車内には車掌が居て、検札に回ってきます。しかし、1~2時間ぐらいの乗車区間であっても1回ぐらいしか検札にこなかったので、悪意を持って短区間を無賃乗車しようとするならば、それは可能なのかも知れません。しかし、そうした試みをするような人達は住んでいない社会なのです。(きっと)

考えて見ますと、以前の日本では改札口には検札係りが立っていて一枚一枚にハサミを入れてましたよね。その後、今の自動改札方式になって、鉄道会社の人件費の抑制はできているのでしょうが・・・。それにしても自動改札への設備投資はいかほどのものなのでしょうか。詳しくは知りませんが「安く」はないでしょう。

こうしたことを鑑みると、改札行為そのものを省略したドイツやデンマーク方式は社会全体が成熟しているからなのか、高いモラルやマナーが定着しているからなのか、合理的な方法が採用できていると感じます。彼らに一日の長があると思ってしまいます。

但し、現実の諸問題までつぶさに聞き及んだわけではありませんので、手放しで賞賛できるのかどうかは自信がありません。ちなみにヨーロッパの各国では移民問題がくすぶっていますし、ドイツ国民の凡そ10%が外国からの人々で構成されていることから、その一部の貧困層あたりが問題を起こす可能性は否定できないかも知れません。現実にブレーメンやフランクフルト等でもかなりの数の「おもらいさん」(乞食)を見かけましたが、ひょっとしたら、そうした人は外国人なのかも知れません。

但し、昨今の情報によると若者のホームレス問題も起きているとのことで、成熟社会の裏側や一側面で不安定な要素も包含しているようです。それでも現地の列車システムは日本より進んでいる面があると感じている次第です。
~以上~


ご存知でしょうが・・・夏時間のこと

2014-07-27 20:28:19 | 日記
ヨーロッパでの夏時間についてのお話です。

2012年は4月下旬~7月下旬の間、デンマークに滞在していました。そして昨年の2013年は8月中旬から11月上旬までドイツに滞在していました。両国は何れも中央ヨーロッパに位置しており、滞在期間中の大半がサマータイム期間でした。

日本では「サマータイム」はなじみが薄いのであまり関心がなかったのですが、結構合理的な考え方ではないかと感じたものです。サマータイムの期間についてですが、毎年3月の最終日曜日から10月の最終日曜日の間になっています。およそ7ヶ月間のスパンになっています。

中央ヨーロッパの場合(これしか知りませんが・・・)、3月の最終日曜日の午前2時ちょうどに午前3時になるように1時間時計をずらします。逆に10月の最終日曜日の午前3時ちょうどに午前2時に変更するのです。2013年10月27日の日曜日、私はドイツに滞在中でした。実際には早朝の起床タイミングで自分の所有する時計関係すべてを1時間戻した形になります。腕時計や目覚まし時計、ノートPC、デジカメ、iPod等を再設定したものです。

中央ヨーロッパのサマータイムを英語で表記する場合は、Central European Summer Time (CEST)で表されます。

ちなみに、日本との時差で考えるとサマータイム期間中は7時間の時差です。例えば日本での正午(12時)は現地の朝5時に相当しています。陽いずる国である日本はヨーロッパから見ると正に極東(Far East)の国に見えるのです。太陽がいち早く昇る方面であるので時差に対する理解も容易かと思います。現地に滞在中のイメージですが、朝7時に起きたとしますと日本は既に7時間先を行っているので14時だと認識できます。

どこの国民も一般的には時差を日常的に意識することはほとんど無いと思われます。ドイツ滞在中に何回か日本との時差が話題になったことがありますが、時差が7時間もあるので携帯電話とかインターネット電話(SKYPE等)はあまり利用してなくて、e-mailが連絡手段の中心になっていると説明すると、彼等は一様に納得してくれたものです。

(写真: 2012年デンマーク・コペンハーゲン 21時15分頃)

ところで、最近(2014年夏)、日本で少し仕事をしているのですが、毎朝7時45分頃に自宅を出発して約1時間かけて職場に到着しています。電車を利用しているので駅まで歩く数分間ではありますが、梅雨明けの真夏の朝の日差しは強いもので、ついついもっと早い時間帯に出かけたいと思ってしまうのです。1時間ぐらい前倒しした時間帯であれば比較的涼しい気温の中で出勤できるのではないか・・・と。

その分帰り時刻も早まります。気温だけに注目してしまうと帰りの時間帯はまだまだ気温が高い時間帯になってしまうのでしょうが、比較的長い夕方から夜にかけての時間帯も有意義に過ごすことができることにもつながります。北欧をはじめヨーロッパの国々の人々は人生を楽しもうとしている傾向が強いと感じられ、こうした「時間」に対する考えも合理的なところから端を発しているのかも知れません。

こうした意味から、日本でもサマータイムを導入しても良いのではないかと感じている昨今です。時刻を進めたり戻したりすることによる諸問題もあるのかも知れませんが、やってやれないことではないとも感じています。EUでも実践されていますし・・・。

以上、暑い盛りに感じたことを綴りました。

(巻頭写真: 2013年10月ドイツ・ラーデン CEST午前7時50分頃の朝焼け)


<臨時>マレーシア機MH17便・ウクライナ東部にて墜落

2014-07-20 21:38:34 | 日記
2014年7月18日、朝、ウクライナ東部にてマレーシア旅客機がミサイルにて撃墜された模様との報道に触れて大変驚きました。ウクライナ情勢についてはロシアの武力によるとも言えるクリミア地方編入事件以来、相当の関心度を持ってwatchしていたこともあり、私にとっても衝撃のニュースでした。

報道によるとミサイルを発射したのは親ロシア派であることに間違いはなさそうですが、どちらが誤認攻撃したかに関わらず、乗客乗員の計298人の命が奪われたことに対して激しい憤りを感じています。80人余りの子供達が搭乗していたことや、190人余りのオランダの人々が搭乗していたこと、また、ドイツ人やベルギー人もそれぞれ4人搭乗、イギリス人も・・・・。国籍や人数・大人子供等一人一人の命の重さに違いはありませんが、友人がいたり近しい人がいれば感情の重さに違いが出るかも知れません。

そもそも、武力によって目的を達成しようとする勢力がいる限りは、こうした悲劇は避けられないでしょう。私が2012年デンマーク、2013年ドイツでそれぞれ約3ヶ月間一家族に加わって生活を共にした経験、そして、2006年頃には中国に1年間ほど単身赴任(仕事)していたこと等も加えて考えると、各国の歴史的背景や政治体制、経済レベル、民族の違い、文化の違い、宗教の違い、言葉の壁等々があっても、民間人レベルでの付き合いには何の支障も障壁もないのです。

お互いの歴史や文化の違いを素直に認め合い、人格も尊重し合うことで信頼は醸成されます。その関係が親密になり近しすぎる関係になると「喧嘩」も時には生じるものです。親しき中にも礼儀あり・・・とも言います。一定の節度をもって付き合いさえすれば「国」の違いは感じられません。

一方で、国益や経済・防衛問題等を政治家達が論ずると「武力外交」が登場します。しかし、歴史が何度も証明しているように「武力」では根本的な解決にはならないのです。解決したかのように見えている例があるかも知れませんが、それは歪を内蔵したまま押しつぶされたままの見かけの平和なのです。いつかは歪がバランスを崩して爆発することになるのでしょう。それでは悪い歴史が繰り返されるばかりです。悲劇が繰り返されます。

今求められるのは「武力外交」ではなくて「交渉力」(真の外交力)なのです。武力を持ち出す人は外交力が欠如しているのです。日本は島国です。陸続きで国境を接しているわけではありません。ヨーロッパ諸国は多くの国が隣国と陸続きです。こうした地理的な環境が国民性にも影響が出ているのではないかと私は感じています。もっと隣国や諸外国との親密な交流を図ることが「交渉力」の向上にもつながるのではないでしょうか。

一朝一夕に解決する問題ではないでしょうが、「交渉力」を高めることこそが高度に求められる時代なのです。解釈改憲云々等と言う方法で国を武力で守ろうとする考えは歴史に学んでいないことを暴露しているも同然なのです。そのような方向に人材資源を投入するよりも海外諸国との交流を高めるための政策に投資をすべきでしょう。

私は決して海外に多くの友人を有しているわけではありませんが、数カ国の友人達との付き合いから仮説検証すると以上のような考えが妥当と信じています。

~ウクライナ情勢が平和裏に”原状”回復することを願っています。~ (原状: 元の状態の意味)

(写真: じゃがいもの花・・・・品種はアンデス・レッド)