ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

ドイツのビールはおいしかった、ホント!

2015-01-30 23:59:07 | 日記
ドイツに着いたのは2013年の8月、空路でフランクフルトに到着、そして列車でケルンに向いました。その日は本場ドイツでの最初のビールを楽しみました。ケルンと言えば「ケルシュ」です。グラスも印象的でした。
(写真: ケルシュ)

次に向ったのが環境先進都市でもあるミュンスター、その次は長期滞在したラーデン(Rahden)でした。いずれも地域ごとに夫々のビールがあるようです。ラーデンではBarreという名前のビールでした。私が好んで飲んでいたのはピルスナーと呼ばれている淡色系のものです。時々は黒ビールとかハーフのようなものも試しましたが、好きなのはピルスナーです。
(写真: Barre)

ご存知の方も多いと思いますが、ドイツでは日本で言うところの全国に出荷している大手ビールメーカーはないようです。ハイネケンはよく見かけましたし、時には飲みましたがオランダのビールですからね。ドイツは300あまりの領邦国家から形成されていた時代から、次にドイツ帝国時代を経て現在の16の州から成り立つ連邦共和制へと移行しています。

こうした歴史的背景や、それぞれの州や自治体そのものにウェイト(重き)があって、中央とのバランスを取っている傾向があります。従って、ビールそのものも各地域に根ざしたブランドが生き続けているようです。それぞれの地域で守るべきものと変えてよいものを上手に使い分けてきているようにも見えます。そしてこれはビールだけではないでしょう。

日本のビール会社と単純に比較することには無理があるかも知れません。同じ視点で言及するならば「日本酒」でしょうか。正確な蔵元(酒造会社)の変遷については調べたことはありませんが、私の住む愛知県で言うならば、かつては60軒ほどあったものが、今は20軒ぐらいになっていると聞いたことがあります。今も頑張っている蔵元もありますし、店を閉じたところもいくつか知っていますが、これ以上減って欲しくはありません。願わくはブランド(銘柄)だけでも復活させてくれるとありがたいのですが、杜氏がみつからないかも知れませんね。

さて、ビールや日本酒の話がしたかったわけではありません。大量生産的な取り組みよりも地域に根ざした地域内循環型と言いますか、今流に言うのであれば地産地消型ですかね。こうしたイメージの経済循環の方が無理が少ないように思います。

コストを下げるために大量生産方式を考える・・・。機械化を進め、化学物質や薬品・農薬等を使って、さらには遺伝子組替え技術までも応用してです。確かに、一昔前のような悪しき状況からは抜けつつあるかも知れませんが、世界のあらゆる場所でそうした状況にあるのでしょうか。不安はつきません。コスト・効率を重視する結果、安全がおいてきぼりにされている懸念は払拭できません。

害虫や農作物の病気等を防ぐためには少なからず農薬を使います。以前に比べれば改善されていることは事実ですが、やはりどこかが間違っているような気がします。自然由来の全く安全なもの(そんなものはない?)を必要最小限だけ使うとか、天敵やコンパニオンプランツ等も最大限活用する。そうした工夫も加えながら、手間隙を加えて栽培・生産し、食し、飲む。

ある程度、栽培や飼育する場所の広さや集約(バラバラでなく)も必要でしょう。しかし、不安全なものに頼らざるを得ないような広さ・規模になるのは、何かを犠牲にすることにつながります。結局、本当に安全で安心なものを安定的に得ようとするとコストは相応にかかるものでしょう。それを消費者が認識し、妥当な価格として認めて支払う必要があります。

そうではなくて、目の前の安さのみを追求した場合は、後でツケを払わされると言うことでしょう。それも、お金で解決できる場合は救われるのかも知れませんが、取り返しのつかない事態も少なくないのです。

過去のことを追及ばかりしていては前に進めません。しかし、過去の過ちは繰り返さないようにするのが、それぞれの時代に生きる人々の務めでもありませんか。

さて、世界には大農圏と呼ばれる一つの農場で200ヘクタール(ha)前後はある国もあります。中農圏では20~50haぐらいでしょうか。日本や東南アジアのいくつかは小農圏で1~2haあるかどうかと言った規模です。1haでも農作業は大変なので、それ以上になるとどのようにしているのでしょうか。オーストラリアでは3,000ha以上になると聞いています。

疑いたくないことも事実ですが、この日本でさえ食品偽装等の消費者を裏切る事件が後をたたないのですから、遠く異国の地にあっては「見えない」のです。そして長時間の輸送を担保するためにも何がしかの対策が講じられていることでしょう。また、輸送のためのコストも相応にかかっていることになります。

話を少し戻します。やはり適度な広さの区域・地域内で、ある程度の供給や消費がなされるのが本来の姿ではないでしょうか。全く調達不可能なものや工業製品の場合は異なる考えに基づくのでしょうが。

ここまで述べた事柄は、おおよそ食に関わるものをイメージして書いています。しかし、エネルギー面も似通ったことが言えると感じています。ドイツの友人が目指している個人宅(農家)のエネルギーを完全自給するということは極論としても、それに近い「地域で自給すること」は望ましいスタイルかも知れません。

今日(1月30日)、名古屋で日本版「首長誓約」-「エネルギー自治」を通じた地域創生-のシンポジウムを聞いてきました。EUで広まっている取り組みを日本版として取り入れようとしているもので個人的にも関心は高いのです。但し、アプローチ方法として、あの裕福な都市が先行事例として誓約できたとしても、他の自治体から見た場合は「あそこはできるが、うちは無理・・・」とならないのか心配しています。逆に、ここでもやれたのか・・・と驚いてしまうような自治体が先駆事例になった方が良いのかも知れないと感じた次第です。(これは批判ではありません。)




ドイツ関係の詳細話へ移行

2015-01-25 14:22:44 | 日記
デンマーク(2012年滞在)の件は一通り終えましたので、ドイツ(2013年滞在)の話で補足しておきたいこと等を綴って行きたいと思います。

ドイツ滞在の主たる目的は、持続可能社会への取り組み状態を市民目線で見ることでした。そしてその方法としては一農家に滞在して生活を共にすることから見ることでした。

詳細を振り返る方法としては時系列的に行いたいとは思っていますが、時々刻々と流れる新たなニュースに関連する事柄についても述べて行きます。

さて、今日はエネルギー関連への思いの一つです。来年(2016年)、日本でも様々な電力販売会社との自由契約が各家庭レベルで可能となる報道があります。これまでは一定の条件を満たした企業等にのみ許されていたことなのですが、その制約が緩和されるというものです。

ドイツではどうでしょうか。2013年に滞在した農家では電力の契約先は自分で選んでいるとのことでした。関連する政治的な話も出ました。ホストのOさんの説明では、Right-Wing(右翼)政党はGreen-Energy(ソーラー発電や風力・バイオガス発電等)に反対の立場だそうです。そしてLeft-Wing(左翼)政党は脱オイル・脱石炭のスタンスであるとのことです。
(写真: バイオガス関連施設、ドイツのラーデン近郊)



また、緑の党(Green Party)は少数勢力ですが、特に環境面(エネルギー含む)に関しては好ましい方向に導いているようです。良い政策については他の政党が同調する結果になって、国家の方向性に生かされているようです。

政党や個別政策のことまで詳細に確認できたわけではないので、これが全てではないのでしょうが・・・。

いずれにしても、有限と考えられている化石燃料系に頼る考え方からは早く脱却したい、そしてエネルギーも基本的には国として自給したい・・・と言うのが考え方の基本にあるようです。そして、ご存知のように原子力エネルギーからは、その危険性や放射性廃棄物処理の困難さの実態等が故に脱却を決めているのです。

いずれの取り組みも容易なことではないのでしょうが、着実に方向性に沿った成果を出していることも事実です。こうしたドイツの歩みを見ていると、気質的にも似通っている日本人(日本)でも可能だろうと思えるのです。・・・ それにしては、日本の歩みは遅いと思います。東日本大震災に伴う福島原発の過酷事故を経験している当事国にも関わらず、日本の政治家や経産省あたりの関連官庁は一体何を判断基準にしているのでしょうか。

ホストのOさんも言っていました「お金だよ!」・・・と。それは自国ドイツも含めての発言でしたが、どこの国でも政治を司る一部の人間は、権限や既得権を「悪用」して懐を肥やしているのではないか・・・との意味合いでした。当然、それに群がる企業や個人も相応に存在することになります。

Oさんのエネルギーの面に関しての目論見についてはブログ内で既述していますが、ガスに関しては既に契約していません。電力はソーラーパネルが約100枚設置済みで夏場は売電、冬場は買電、年間を通して金銭的には±0に近い状態です。そして、何年先になるかわかりませんが電気エネルギー的にも100%自給することを目指しています。この方の場合は特別の感もありますが、考え方は非常に参考になると思っています。

さて、日本での電力契約の自由化に話題を戻します。この制度が実施(2016年)されると、各家庭もより安い電力価格の電力会社と契約できるので、今までのように、地域電力会社が独占していたことに比べると、良い意味での価格競争が本格化する・・・と言う意味合いの報道も出ております。

しかし、ここに落とし穴があります。価格が安い電力会社と契約できる・・・が目的であってはなりません。価格は多少「高く」なってもいいが、クリーンエネルギー(または、Green Energy)で発電している会社の電力を買うことができるようになる・・・が本来の目的なのです。

市民・国民の意志表示を明確にするためにも、こうした判断・行動が必要なのです。安ければよい・・・というのは誤りです。どれだけ国民はこの言葉にだまされ続けてきたのでしょうか。

子々孫々まで、つまり、持続可能な社会を後世に残し続けていくためにはこうした判断と行動が必要でしょう。そして、こうした「報道」をして行くことが報道機関の使命と言えます。少なくともミスリード(Mislead)はしてはならないのです。

パリでのテロやベルギーでのテロ未遂(?)事件に関連して

2015-01-24 00:44:59 | 日記
2015年、新年早々にパリで勃発したテロ事件。多くの犠牲者が出たことは残念の極みです。亡くなった当人も、そして肉親・友人を失った立場の人々もやりきれない思いであることでしょう。遠く極東の日本の地にあっても他人事のようには思えないのです。

直接的な原因や事象を見ると、イスラムの預言者を風刺したメディア関係者を過激な考えを持つグループが襲ったということでしょうが、ことはそんなに単純なことではないのでしょう。事件の真の構図を見極めることができるほどの情報・知識は持ちえていませんが、根本的には宗教的なもの・文化の違い・多文化共生に対する考え方の違い・寛容性の差・移民問題・貧困、等々が起因していることと推量しています。であるがゆえに、直接的な犯人や首謀者を拘束したり罰則を課することのみでは恒久的な解決にはならないのでしょう。時間がかかることでしょうし、百年経っても解決しないことかも知れません。

一方、自然災害もそうですが、犠牲や被害をゼロにすることは困難であっても「減災」という言葉があるように「減らす」ことは可能な筈。解決が容易ではないことを理由に、諦めたり放置状態を続けることは好ましくないことであることは言を待ちません。

それぞれの「界」に関わっているリーダーや指導者たちは、考え方の違い等を乗り越えて共存する道を探る必要があります。これは政治の世界だけでなく、宗教界においても同じでしょう。

一方、一般の市民・国民も、無関心を装うことなく意見を発信して行く必要があります。しかし、これも難しいですね。どのような場でどのように発信できるのか。今でこそインターネット・SNS等で情報発信することが以前よりは容易でしょうが、これまた集約することが難しい。

「選挙」? もちろん、選挙によって選ばれた議員たちが一般市民を代表して各種の政策をよき方向にリードする(筈)。しかし、必ずしも市民・国民の意見が反映されているとは言えない。むしろ、それに反する政策が進められていることも少なくない現実もあります。

気になるフォーラムやシンポジウムもありますが、開催場所が遠方であったり、日時的に参加・聴講等が困難なことも多いのです。

しかし、今回の一連の事件のあとで、パリで開催挙行されたデモそのものはスバラシイものを感じました。各国首脳やパリ市民をはじめ多くの国々の人々が宗教をも乗り越えて参集したことでしょう。あのデモはイスラムを排斥しようとした意図はなかった(少なかった)と思います。但し、隣国ドイツの東部都市で行われたイスラムを敵対視するデモはいただけないと感じました。しかし、こういう人たちがいることも事実で、ゼロにはならないでしょう。

日本の場合はどうでしょうか。原発再稼動等に反対するデモや特定秘密保護法に反対するデモ等は行われていますが、その盛り上がりについては今ひとつ足らない感があります。

原因をいくつか考えてみます。一つには、市民の問題意識そのものが欠けていないかという点です。一部にはメディアの責任も大きいでしょう。各局は視聴率を重視し、スポンサーを獲得することが最も重要と考えていないでしょうか。そのために全く価値がないかのようなバラエティ番組ばかりを制作していませんか。気分転換や笑い転げることも時には必要ですが、どのチャンネルに切り替えても「役に立たない」番組が多いのです。それは民間企業(放送局)ならば止むをえない点もありますが、有益な内容の番組をもっと増やして欲しいと思います。ちなみに我が家ではTVのスイッチを切ってしまいます、家内が。

国民・市民の意識を変えるには情報の提供が必要と感じています。子供に対していうのであれば「教育」のありかた次第でしょう。しかし、大人たちに対しての教育は、ことばを代えれば情報の提供です。より正しい判断ができる情報の提供そのものが教育(おこがましいのですが)に相当するのではありませんか。その点、適切な記事や有益な書籍情報(判断材料になる)等を適宜流してくれる紙の新聞は、今も大きな価値があると考えています。

それにしても放送局はメディアとしての公器性も持っているでしょう。であるならば、国民・市民に重要と思われる情報に関しては番組の最後の1~2分でも使って有益な情報を流すことも必須ではありませんか? 今や、文字放送も使えるので、そうした情報チャネルを常設するのもよいのではないでしょうか。スポンサーなしでもそれぐらいやれるでしょう。いや、やるべきです。放送局の使命を忘れてはなりません。

仮に、そうした情報伝達手段が充足されて行ったとしても、直接行動する人は少ないと思います。人は我が身に直接的に災いが降りかかってこない限りは他人事としてとらえがちでしょう。

ドイツにおける緑の党の発足に関しても幾多の困難があったようです。しかし、小さな政党ではあっても国政に影響を与えているし、一定の役割は果たしているようです。ドイツ滞在中(2013年)にお世話になっていたホストのドイツ人に聞いてみました。緑の党はいいことは言うが、お金がかかることをしばしば言うので必ずしも広く一般に受け入れられているかどうか・・・と。多少は煙たがられている存在であるかのような印象を語っていました。

しかし、ドイツはエネルギーや環境問題に関しては、今や日本より30年ぐらい先んじていると思います。結果的には小規模ではあっても緑の党の意見が国政に生かされていることは間違いない事実でしょう。

こうしたことを見てみると、日本でもより正しい判断ができる政党を立ち上げ、国政に参加できる体制を早く立ち上げるべきでしょう。何年か前にもそうした兆候はありましたが、軌道に乗れなかったようです。これらも、国民に正しく判断できる情報が提供されていなかったからではないでしょうか。経済(お金)最優先ばかりを唱えているやからがいますが、元来、日本人はそれほど愚かではないと思います。正しい情報が伝えられていないが故の結果ではないでしょうか。

我々市民は、より多くの判断材料に触れ、より正しい行動が起こせるようにしたいものです。そして、時には傍観者ではなく当事者の一人として行動したいですね。

さて、表題にはベルギーの名称も出しました。私の計画では次はベルギー滞在を予告しております。しかし、欧州の各地でこれだけ不安材料があるとベルギー行きも躊躇してしまいます。EUの首都でもあるベルギーのブリュッセルは避けては通れないだろうし、そうなると今の状態ではテロに遭遇する恐れもないわけではないでしょう。そもそも最初はポーランド行きを考えていましたが、ウクライナ情勢のこともあって今回は見送っているわけです。最悪はその他の国を検討すなければならないと感じているところです。






デンマーク、コペンハーゲン<最後の一日・続編>

2015-01-18 22:06:44 | 日記
2012年7月18日夜、コペンハーゲンでの最後の夕食を、招待されたレストランで楽しみました。

(写真: レストラン、中庭方面から写したもの)

(写真: 落ち着いた雰囲気)
テーブルは10卓ぐらいで、全て予約席でした。

アペリティフ(食前酒)にはドライシェリーを頼みました。本場スペインではヘレス(Jerez)と呼ばれています。




中庭サイドの屋外でも食事できます。テーブル上にはローソク、そして少し離れたところにはペチカのようなものも。いいですね。

さて、いよいよ料理が出てきました。出されるごとに簡単な料理の説明がありました。すべてオーガニック(有機栽培)材料です。また、その前にアレルギーや食べれないものはないかの質問もありました。


器(うつわ)も洒落ています。石のようなプレート状のものもあります。




どこまでが前菜だったのでしょうか。

途中で白ワインを注文しました。するとソムリエがやってきてお薦めの白ワインを説明してくれました。イタリアのGAVI(ガヴィ)だと言います。これはとても美味しいと言っていますので素直にそれをいただきました。フルーティながらややドライの感じで料理に合います。(ちなみに、日本に帰国してからも白ワインはGAVIにしています、今も。)





銀の器もステキです。

言い忘れましたが、ナイフとフォークは料理ごとに交換です。全てです。・・・日本でもそのようなサービスは受けたことがありません。

そして、赤ワインへ切り替え。ソムリエがワインリストを渡してくれます。このくだりは以前のブログに記述しました。重複しますが、一本約2万円のボトルを頼みました。フルボトルサイズです。 デキャンタに移してくれました。





(写真: 牛肉)
これは、お世話になっていたホスト農場で肥育していたジャージー牛の肉なのです。(いわば、タタキです。)




ここまでで何品あったかカウントできませんでした。どこまで続くのでしょうか。


面識のあるシェフが自らサービスに来てくれました。




担当のウェイトレスです。この人に頼んで厨房に入らせていただきました。よくOKしてくれたと思います。




ステーキ用のナイフです。形もいいですね。


そして厨房へ。5人ほどのシェフはホスト農場へ来てくれているので顔見知りです。目があうとニッコリ。でも仕事中なので無駄口は禁止。







灯り(ロウソク)の使い方は見習いたいところです。



赤ワインも三分の二ぐらいはいただきましたが、完全に空けるのは私にはムリでした。







クッキーは一皿に1個づつのせてのサービス。




夕方7時頃から始まった夕食は11時ごろになって終盤です。4時間を超えていました。すばらしいデンマークの思い出になったのです。招待してくれたホスト農場に改めて感謝です。ありがとうございました。

2012年4月下旬から約3ヶ月間に渡ったデンマーク滞在も終わりました。色々と勉強になった思いです。

デンマーク、コペンハーゲンの夏<最後の一日>

2015-01-12 22:24:55 | 日記
2012年7月18日、デンマークでの3ヶ月間にわたる滞在も終わりです。翌日の早朝にはコペンハーゲンの空港から日本へ帰国するのでした。夏のコペンハーゲンを楽しみます。

最初に向ったのは何度も歩いている遊歩道であるストロイエ、現地の人もお薦めのラウンドタワーに登ることにしました。コペンハーゲンの街並みが一望できると言うことです。
(写真: ラウンドタワーの内部)
部分的に階段もありますが、傾斜した坂道を登るような感じです。


徐々に高度が上がって行きます。





コペンハーゲンの街並みがグルリと見渡せます。


螺旋になった傾斜通路を降りて行きます。

(写真: 隣接する教会の天井部分)
ラウンドタワーは教会部分とつながっている構造になっています。模型も展示されています。




みやげものコーナーもあります。

ナイフメーカーはわずかですがあるようです。バイキングゆかりのデザインでしょうか。


ラウンドタワーの出入口です。

さて、ストロイエに戻りジョージ・ジャンセンのお店へ行き、みやげとしてアクセサリーを買い求めました。ちなみにデイジーの花はデンマークの国花です。



(写真: 衛兵はアメリエンボー宮殿の交代儀式へ向うようです。)

(写真: 奥のほうに見えているのはニューハウンの街並み)



昼食はニューハウンでイタリアンピザです。オリ-ブオイルがたっぷりかかっていました。



ニューハウンはお気に入りのポイントですね。街の雰囲気を味わって下さい。



タトゥーを入れた人は多いですね、印象ですが。


ストロイエで見かけましたが、日本人のような雰囲気でした。



招待されている夕食の場所に到着しました。フレデリクスベア公園に隣接した立派なレストランです。
(写真: 公園側から見たレストラン)
(写真: フレデリクスベア公園の中)


(写真: レストランです。)


次はレストランの施設内写真です。
(写真: 中庭)
右側に孔雀が放し飼いされているのが見えるでしょうか。


レストラン内部です。この翌年(2013年)、このレストランはミシュランに登録される予定と聞きました。

さて、ご紹介が長くなってしまったので、レストランでの食事等の詳細は次回にしたいと思います。

ところで、パリで発生したテロ事件。17人の犠牲者に心から哀悼の意を捧げたいと思います。暴力や武力による解決を試みることは報復の連鎖を助長する結果となり、真の解決にはならないでしょう。一方、言論の自由と言う言葉にも一定の節度や配慮が必要であることは言うまでもありません。
Multicultural Coexistence(多文化共生)と言う言葉もあるようですが、文化や宗教等に違いがあっても排他的であってはならないと思います。世の政治家たちは、互いの文化等を相互に認めつつ共生して行くための社会・世界を構築すべく最大限の努力をすべきでしょう。
~続く~