ドイツに着いたのは2013年の8月、空路でフランクフルトに到着、そして列車でケルンに向いました。その日は本場ドイツでの最初のビールを楽しみました。ケルンと言えば「ケルシュ」です。グラスも印象的でした。
(写真: ケルシュ)
次に向ったのが環境先進都市でもあるミュンスター、その次は長期滞在したラーデン(Rahden)でした。いずれも地域ごとに夫々のビールがあるようです。ラーデンではBarreという名前のビールでした。私が好んで飲んでいたのはピルスナーと呼ばれている淡色系のものです。時々は黒ビールとかハーフのようなものも試しましたが、好きなのはピルスナーです。
(写真: Barre)
ご存知の方も多いと思いますが、ドイツでは日本で言うところの全国に出荷している大手ビールメーカーはないようです。ハイネケンはよく見かけましたし、時には飲みましたがオランダのビールですからね。ドイツは300あまりの領邦国家から形成されていた時代から、次にドイツ帝国時代を経て現在の16の州から成り立つ連邦共和制へと移行しています。
こうした歴史的背景や、それぞれの州や自治体そのものにウェイト(重き)があって、中央とのバランスを取っている傾向があります。従って、ビールそのものも各地域に根ざしたブランドが生き続けているようです。それぞれの地域で守るべきものと変えてよいものを上手に使い分けてきているようにも見えます。そしてこれはビールだけではないでしょう。
日本のビール会社と単純に比較することには無理があるかも知れません。同じ視点で言及するならば「日本酒」でしょうか。正確な蔵元(酒造会社)の変遷については調べたことはありませんが、私の住む愛知県で言うならば、かつては60軒ほどあったものが、今は20軒ぐらいになっていると聞いたことがあります。今も頑張っている蔵元もありますし、店を閉じたところもいくつか知っていますが、これ以上減って欲しくはありません。願わくはブランド(銘柄)だけでも復活させてくれるとありがたいのですが、杜氏がみつからないかも知れませんね。
さて、ビールや日本酒の話がしたかったわけではありません。大量生産的な取り組みよりも地域に根ざした地域内循環型と言いますか、今流に言うのであれば地産地消型ですかね。こうしたイメージの経済循環の方が無理が少ないように思います。
コストを下げるために大量生産方式を考える・・・。機械化を進め、化学物質や薬品・農薬等を使って、さらには遺伝子組替え技術までも応用してです。確かに、一昔前のような悪しき状況からは抜けつつあるかも知れませんが、世界のあらゆる場所でそうした状況にあるのでしょうか。不安はつきません。コスト・効率を重視する結果、安全がおいてきぼりにされている懸念は払拭できません。
害虫や農作物の病気等を防ぐためには少なからず農薬を使います。以前に比べれば改善されていることは事実ですが、やはりどこかが間違っているような気がします。自然由来の全く安全なもの(そんなものはない?)を必要最小限だけ使うとか、天敵やコンパニオンプランツ等も最大限活用する。そうした工夫も加えながら、手間隙を加えて栽培・生産し、食し、飲む。
ある程度、栽培や飼育する場所の広さや集約(バラバラでなく)も必要でしょう。しかし、不安全なものに頼らざるを得ないような広さ・規模になるのは、何かを犠牲にすることにつながります。結局、本当に安全で安心なものを安定的に得ようとするとコストは相応にかかるものでしょう。それを消費者が認識し、妥当な価格として認めて支払う必要があります。
そうではなくて、目の前の安さのみを追求した場合は、後でツケを払わされると言うことでしょう。それも、お金で解決できる場合は救われるのかも知れませんが、取り返しのつかない事態も少なくないのです。
過去のことを追及ばかりしていては前に進めません。しかし、過去の過ちは繰り返さないようにするのが、それぞれの時代に生きる人々の務めでもありませんか。
さて、世界には大農圏と呼ばれる一つの農場で200ヘクタール(ha)前後はある国もあります。中農圏では20~50haぐらいでしょうか。日本や東南アジアのいくつかは小農圏で1~2haあるかどうかと言った規模です。1haでも農作業は大変なので、それ以上になるとどのようにしているのでしょうか。オーストラリアでは3,000ha以上になると聞いています。
疑いたくないことも事実ですが、この日本でさえ食品偽装等の消費者を裏切る事件が後をたたないのですから、遠く異国の地にあっては「見えない」のです。そして長時間の輸送を担保するためにも何がしかの対策が講じられていることでしょう。また、輸送のためのコストも相応にかかっていることになります。
話を少し戻します。やはり適度な広さの区域・地域内で、ある程度の供給や消費がなされるのが本来の姿ではないでしょうか。全く調達不可能なものや工業製品の場合は異なる考えに基づくのでしょうが。
ここまで述べた事柄は、おおよそ食に関わるものをイメージして書いています。しかし、エネルギー面も似通ったことが言えると感じています。ドイツの友人が目指している個人宅(農家)のエネルギーを完全自給するということは極論としても、それに近い「地域で自給すること」は望ましいスタイルかも知れません。
今日(1月30日)、名古屋で日本版「首長誓約」-「エネルギー自治」を通じた地域創生-のシンポジウムを聞いてきました。EUで広まっている取り組みを日本版として取り入れようとしているもので個人的にも関心は高いのです。但し、アプローチ方法として、あの裕福な都市が先行事例として誓約できたとしても、他の自治体から見た場合は「あそこはできるが、うちは無理・・・」とならないのか心配しています。逆に、ここでもやれたのか・・・と驚いてしまうような自治体が先駆事例になった方が良いのかも知れないと感じた次第です。(これは批判ではありません。)
(写真: ケルシュ)
次に向ったのが環境先進都市でもあるミュンスター、その次は長期滞在したラーデン(Rahden)でした。いずれも地域ごとに夫々のビールがあるようです。ラーデンではBarreという名前のビールでした。私が好んで飲んでいたのはピルスナーと呼ばれている淡色系のものです。時々は黒ビールとかハーフのようなものも試しましたが、好きなのはピルスナーです。
(写真: Barre)
ご存知の方も多いと思いますが、ドイツでは日本で言うところの全国に出荷している大手ビールメーカーはないようです。ハイネケンはよく見かけましたし、時には飲みましたがオランダのビールですからね。ドイツは300あまりの領邦国家から形成されていた時代から、次にドイツ帝国時代を経て現在の16の州から成り立つ連邦共和制へと移行しています。
こうした歴史的背景や、それぞれの州や自治体そのものにウェイト(重き)があって、中央とのバランスを取っている傾向があります。従って、ビールそのものも各地域に根ざしたブランドが生き続けているようです。それぞれの地域で守るべきものと変えてよいものを上手に使い分けてきているようにも見えます。そしてこれはビールだけではないでしょう。
日本のビール会社と単純に比較することには無理があるかも知れません。同じ視点で言及するならば「日本酒」でしょうか。正確な蔵元(酒造会社)の変遷については調べたことはありませんが、私の住む愛知県で言うならば、かつては60軒ほどあったものが、今は20軒ぐらいになっていると聞いたことがあります。今も頑張っている蔵元もありますし、店を閉じたところもいくつか知っていますが、これ以上減って欲しくはありません。願わくはブランド(銘柄)だけでも復活させてくれるとありがたいのですが、杜氏がみつからないかも知れませんね。
さて、ビールや日本酒の話がしたかったわけではありません。大量生産的な取り組みよりも地域に根ざした地域内循環型と言いますか、今流に言うのであれば地産地消型ですかね。こうしたイメージの経済循環の方が無理が少ないように思います。
コストを下げるために大量生産方式を考える・・・。機械化を進め、化学物質や薬品・農薬等を使って、さらには遺伝子組替え技術までも応用してです。確かに、一昔前のような悪しき状況からは抜けつつあるかも知れませんが、世界のあらゆる場所でそうした状況にあるのでしょうか。不安はつきません。コスト・効率を重視する結果、安全がおいてきぼりにされている懸念は払拭できません。
害虫や農作物の病気等を防ぐためには少なからず農薬を使います。以前に比べれば改善されていることは事実ですが、やはりどこかが間違っているような気がします。自然由来の全く安全なもの(そんなものはない?)を必要最小限だけ使うとか、天敵やコンパニオンプランツ等も最大限活用する。そうした工夫も加えながら、手間隙を加えて栽培・生産し、食し、飲む。
ある程度、栽培や飼育する場所の広さや集約(バラバラでなく)も必要でしょう。しかし、不安全なものに頼らざるを得ないような広さ・規模になるのは、何かを犠牲にすることにつながります。結局、本当に安全で安心なものを安定的に得ようとするとコストは相応にかかるものでしょう。それを消費者が認識し、妥当な価格として認めて支払う必要があります。
そうではなくて、目の前の安さのみを追求した場合は、後でツケを払わされると言うことでしょう。それも、お金で解決できる場合は救われるのかも知れませんが、取り返しのつかない事態も少なくないのです。
過去のことを追及ばかりしていては前に進めません。しかし、過去の過ちは繰り返さないようにするのが、それぞれの時代に生きる人々の務めでもありませんか。
さて、世界には大農圏と呼ばれる一つの農場で200ヘクタール(ha)前後はある国もあります。中農圏では20~50haぐらいでしょうか。日本や東南アジアのいくつかは小農圏で1~2haあるかどうかと言った規模です。1haでも農作業は大変なので、それ以上になるとどのようにしているのでしょうか。オーストラリアでは3,000ha以上になると聞いています。
疑いたくないことも事実ですが、この日本でさえ食品偽装等の消費者を裏切る事件が後をたたないのですから、遠く異国の地にあっては「見えない」のです。そして長時間の輸送を担保するためにも何がしかの対策が講じられていることでしょう。また、輸送のためのコストも相応にかかっていることになります。
話を少し戻します。やはり適度な広さの区域・地域内で、ある程度の供給や消費がなされるのが本来の姿ではないでしょうか。全く調達不可能なものや工業製品の場合は異なる考えに基づくのでしょうが。
ここまで述べた事柄は、おおよそ食に関わるものをイメージして書いています。しかし、エネルギー面も似通ったことが言えると感じています。ドイツの友人が目指している個人宅(農家)のエネルギーを完全自給するということは極論としても、それに近い「地域で自給すること」は望ましいスタイルかも知れません。
今日(1月30日)、名古屋で日本版「首長誓約」-「エネルギー自治」を通じた地域創生-のシンポジウムを聞いてきました。EUで広まっている取り組みを日本版として取り入れようとしているもので個人的にも関心は高いのです。但し、アプローチ方法として、あの裕福な都市が先行事例として誓約できたとしても、他の自治体から見た場合は「あそこはできるが、うちは無理・・・」とならないのか心配しています。逆に、ここでもやれたのか・・・と驚いてしまうような自治体が先駆事例になった方が良いのかも知れないと感じた次第です。(これは批判ではありません。)