ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

ドイツでの農場体験(9) <意外! 築230年の家屋にはバイキング文化の名残りも・・・>

2014-02-28 22:24:45 | 日記
9月17日(火)、午前中はマッシュルーム栽培用の地下室の掃除でした。不要になったマッシュルーム用の菌床を全て屋外に出し終えたので、次はそれが載っていた棚の掃除なのです。棚はメッキ加工されたスチール棚ですが一年経って汚れもついています。それらの汚れを環境に優しい洗剤を使ってスポンジでこすり落とします。次にその汚れた水を布で拭き取るのです。そして汚れた布はバケツの温水で洗います。それを繰り返すのでした。棚は各地下室に4~9棚入っており、地下室そのものは5室あるのでした。
(写真: マッシュルーム栽培の棚の一部)

この地下室そのものは、この家が建築された1782年から存在していることもあって下水設備がないのです。元々の用途は不明なのですが、食糧であったり、保存食品類の備蓄、それらに用いる陶器やガラス瓶、また関連する道具類の倉庫であった可能性が高いのです。従って、汚水等の流れ出る経路はないのです。そのため汚水の処理は掃除機のような形をしたバッキューム式の吸水装置を使って吸い取るのです。そして溜まった汚水を少し大きめのタンクに手作業で移し替え、さらにそのタンクが満水になると、太目のホースを利用し排水ポンプを運転して1階にある「トイレ」に汚水を流し込むのでした。この一連の排水作業は、ほぼ毎日のように私がやっていたのです。

さてある日のこと、ホストのOさんが別の地下室を見せてくれました。マッシュルーム栽培に使用している地下室は5室つながったレイアウトなのですが、それとは全く違う出入り口を有する地下室群があるのです。中は多少雑然とはしていましたが、例えば保存食のジャムやピクルス等を入れる大小のガラス瓶の器類も相当数保管されています。5個・10個のオーダーではありません。電気も冷蔵庫もなかった時代からの家屋でもあるので、食糧関係の備蓄には工夫したことでしょう。そしてその保存場所は地下室であったとも十分考えられます。

この地下室も数室つながっていて、古い糸紡ぎ用の機械(木工製品)も保管されていました。よくよく考えると、この築230年ほど経っている母屋の地下には、敷地面積の大半に渡って地下室が構築されているようなのです。しかも出入り口は複数に分けられていて、場所によっては隠し戸ではないかと思えるような所に出入り口があるのでした。Oさんに教えられるまで、そこが地下室への出入り口とは気が付かなかったくらいです。

話は少し飛びますが、Oさんが生まれ育ったのはこの地ではなく数十km離れたブッパータール(あることで有名なのですが)と言う場所だったそうです。そして実父が若い頃にこのラーデンの農場で暮していたとのことです。しかし、Oさんは先祖が400年近く暮してきたこの土地や、築230年経つ家屋に愛着のようなものや崇敬の念を抱き、ある時、ブッパータールからこの地に移り住んだと言うことでした。

彼の話を聞いていると、様々な場面で彼の先祖達への深い思慕の念を感じさせられるのでした。そして家屋の柱1本1本や、地下室そのものにも愛着を感じているのです。ちなみに彼は若い頃の3年間は大工の専門学校にも通っています。従って、大工に関する知識・技能も身に付けているのです。stableと呼んでいる作業小屋には木工用の電動丸鋸や様々な工具類も揃っていて、彼自身の手で家屋等の修理もしているのです。その腕前を見せてもっらたこともありますが、正にプロでした。
(写真: 工具類)

さらに、この地方に伝わる建築様式の一つで屋根の上にモニュメント(写真)のようなものが取り付けてあります。彼の説明によるとこれらのモニュメントは北方のバイキングから伝えられたものだと言います。一つは龍(または馬)、そしてもう一つは星を象ったものです。バイキング船の帆先等に飾られるデザインに共通したものがあると説明してくれました。魔除けであったり幸福を願うものであったりするようです。そしてこの家のそのモニュメントはOさん自身が堅いオーク材を削り出して作り、取り付けたものだったのです。
(写真: 馬を象ったものか)
(写真: 星のようなモニュメント)

ドイツ北方の民族性については、正確に特定したり限定することは難しそうですが、一部には(または相当な多さで)バイキングの血が流れている人々もいるらしいのです。この話を聞いている時、私は前年(2012年)にデンマークで3ヶ月間滞在し、その滞在先の農家はバイキングの子孫ではないかと思えるぐらいの大柄なご夫婦であったこと、さらに瞳がブルーであったことも思い出しました。そして今話を聞いているOさんも身長180cm以上はありそうですし、ご本人も言うくらいですからバイキングの末裔なのかも知れません。北ドイツは北欧とも極めて近いと改めて感じるのです。

話を戻します。今はマッシュルーム栽培に使用している地下室で、1年サイクルで言うところの最終段階でもある掃除をしているわけです。この後、数日を掛けて地下室の壁面や天井面を、天然素材であるカルシウム(漆喰のような)を水で溶かして塗る作業が続くのでした。数日後に乾いた壁面等は「真っ白」になっているのでした。Oさん曰く「先祖代々、毎年このような作業を続けてきた筈、だからこそ今尚この地下室も使える状態が保たれているのだと思う」と。彼の言葉の端々に先祖への感謝の思いがあるように感じるのです。
(写真: 築230年の家屋) 

そして、その日17日の午後は奥さん(Eさん)の実母の引越作業を前日に続いて行いました。この日の引越作業が終わったのは19時頃で、凡そ2時間の超過勤務(?)となったのでした。疲れた~!

ちなみに翌日18日(水)は、前2日間の超過勤務(?)を配慮して午後は休日扱いに切り替わったのでした。こうした律儀な面もドイツ人特有なものでしょうか。こちらから要求をしたわけではありませんでしたが、キッチリとした性格を感じたものです。

この後は引越に関わるお手伝いは多くはありませんでしたが、運び込まれた家具調度品や組み立て型の棚等を再度組み立てなおす部分でお手伝いに入ったぐらいはありました。そして作業の中心は農作業の方に戻ったのです。 ~続く~

ドイツでの農場体験(8) <引越のお手伝いから見たこの街ラーデンの姿>

2014-02-27 17:15:43 | 日記
2013年9月16日(月)、マッシュルーム栽培関係の作業としては、使用済みの菌床を地下室から取り出す作業に入っています。1年サイクルの終わりのステージに入っているのでした。菌床は手作業で1階に運び出し、その後、庭にある乾燥スペースに並べて行くのです。菌床は毎日のように給水されていたので、水分を吸って一つが2~3kgはあるでしょう。庭までは一輪車で運ぶのですが、十数個も載せると30kg前後で結構重くなります。そこそこの運動量になっていたでしょう。健康には良いことです。
(写真: マッシュルームの菌床)

さて、この日はそれ以外の手伝い作業も依頼されました。奥さん(Eさん)の実母が引越しするのでそれを手伝って欲しいと言うのでした。11時過ぎから車で別の場所へ向いました。地区としては同じラーデンの中でした。綺麗な庭付きのレジデンスで3階建ての1階部分に居住されていたのでした。間取りは3LDKと言った感じです。どれぐらいの期間をこの住居で過ごされていたのかは知る由もありませんが、調度品等の多さからしてもかなり長い間だったのではないかと推察できました。
(写真: 引越前のレジデンス)

ちなみに実母は、この2ヶ月ほど前に脳卒中で倒れ、今は車椅子での生活を強いられているとのことです。荷物はたくさんありそうです。組み立て型の大きな棚も分解して外に運び出します。そして借りてきた牽引型のトレーラーに積み込んで行きます。壁に掛けられている絵画も外します。中でもクリムトの「接吻」は大きなものでした。Eさん曰く「母はクリムトが好きみたいで・・・」、またEさんの娘の写真も飾られていました。お孫さんにあたるわけですが現在はベルリンで就学中で、私は会ったことがないのですが可愛らしい娘さんです。、

そしてトレーラーが一杯になると引越し先へ移動します。引越し先は私達が住んでいる農場に近い場所でした。多分200mは離れていないと思います。そこは介護者(看護師)が常駐しているレジデンスとのことです。実母は一人暮らしを続けるのですが、介護者が四六時中待機しているとのことで安心して暮せるのです。もっとも、娘であるEさんも至近距離に住んでいることになるので何かと安心でしょう。

それにしても引越しすべき物量は半端な量ではありません。そして新居は3階なのです。エレベータが1基ありますが、住民も使用しているので占有するわけにも参りません。部屋に運び入れるにも相当の時間を費やしました。この作業は翌日も続いたのです。

ところで、引越しする荷物の中に相当量の「書籍」もありました。日本にある文庫本や単行本サイズのものより二周りは大きくてぶ厚い本が大半です。中に何冊かの「JAPAN」の文字が背表紙に見えました。聞くところによると実母は大の日本ファンらしいのです。そう言えば装飾品や置物の中に日本風のものがいくつか混じっていました。どう言うことでしょうか? 日本文化への憧れのようなものがあるようです。これは一人Eさんの実母だけではないようです。

そもそも、お世話になっているホストのご主人は日本通で、「SHOJINRYORI(精進料理)」と言うことも知っているし、それに関する本も所有しているのです。自分で味噌汁(味は今一でしたが)も作るし、味噌は生で食べたりパンに塗ったりして食べるし・・・。陽いずる国、極東の文化に憧れがあるのでしょうか? それとも、人は自分達の良いところに気が付くのには疎く、隣の芝生が青く見えているに過ぎないのでしょうか。あれこれと考えさせられます。

さて、遅い昼食となりましたが、近くのピザ屋へ皆で向かいました。店内のカウンターで皆好きなものを注文します。私にも選べと言っていますが、ドイツ語が読めるわけではありません。しかし、ピザの種類を眺めていると先頭のメニューに目が止まりました。「マルゲリータ」(ドイツ語ですが)と書いてあります。ハイ、私の好きな最もシンプルで飽きの来ないピザです。迷わずそれを注文しました。

この日は結構肌寒かったのですが、注文の品が出来上がるのを皆で店の外で待ちました。何かを飲むか?と聞かれたので飲料の入っている冷蔵庫を覗きました。なんとガラス瓶入りのコークがあります。間違いなくそうなのです。それを出して栓抜きで開けて飲んでみました。何時間か喉を潤していなかったので炭酸の刺激が心地よかったです。コークは時々飲むことはあってもガラス瓶入りは見かけませんよね。軽量化のためには止むを得ない点もありますが、わがままかも知れませんがガラス瓶入りがいいと思うのは私だけでしょうか。

このピザ屋の前には高校があるのでした。高校生(もちろん私服ですが)が何組か連れ立って通って行きます。人口6千人規模の田舎(ホスト曰く)の街なのですが高校まではあります。そして待つこと10分ぐらいだったでしょうか、出来上がったピザを家に持ち帰り、いつもの食堂でそれらをいただきました。マルゲリータのピザは、味に多少の違いはあってもどこの国で食べても「ハズレ」はないように思いました。そして昼食後は再び引越しの続きです。
(写真: 高校の校舎と設備の一部)

それにしても処分する品は少なく、大半のものを新居に移動しています。新居は2LDK構成です。各部屋が荷物で埋まっていきます。こんな状態で収まりきるのだろうかと思いつつ、とにかく荷物の移動を続けました。この日は1時間ほどの「超過勤務」となったのです。

後から知ったことですが、ドイツでは引越しは業者に頼むものではなく自分達で行うのが普通らしいのです。家族や親しい友人達の協力を得て行うことが多く、また、引越しのためのトラック等も知り合いから借りることが多いようです。日本でも以前はそうでしたが、昨今は業者に頼むことが多いのではないでしょうか。

さて、この日の夕食に私が味噌汁を作りました。味噌とダシ、そしてカットワカメも日本からハンドキャリーしていました。この日の具はナスとワカメにしました。ナスは日本のそれより何倍も大きいのですが、味に大きな違いはありません。しいて言えば食感が異なりますかね。最後に味噌を溶かしながら加え一煮立ちしたら完成。日本の味です。

手伝いに来ているポーランドの娘にも飲んでもらいました。「これが本当の味噌汁の味なんだ」と言い、「とても美味しい」との評価です。ホストのご主人が遅れてやってくること30分、味噌汁を見て「作っているところを見たかった」と。次回、作り方の実際を見てもらうことを約束したのです。そしてご主人も味噌汁を味見して「旨い! 全然違う」との評価です。彼の作り方を以前聞いたのですが、ドイツで入手した味噌に日本酒を加え、ダシは使わず、具は何種類も入れる。但し、自家製の椎茸は忘れない・・・と言うものです。私がラーデンに到着した8月22日のランチにそれが出されたのですが、味は今一でした。

この日飲んでもらった味噌汁が本物のなのです。日本の本当の(何通りもあるでしょうが)「味」を知ってもらいたいものだと願うばかりでした。そもそも味噌汁に日本酒を入れると言うのはどこから聞いたのでしょうか? ちなみに、後日、味噌汁の作り方を見てもらったのでした。

この日もドイツの生活習慣の一部に触れた気がしましたし、逆に日本の食文化の一つを紹介することもできたのかなと思った次第です。しかし、一番印象を深くしたのは、介護者が常駐しているレジデンスがあること、そしてその内部は日本のいわゆる老人ホーム的なものとは全く異なるもので、一般のレジデンスとほとんど変わりないことです。さらに、昼食のピザを買いに行った店の前には立派な高校があって高校生の年代の子供達もこの地区に居住しているのです。(但し、さすがに大学はないのですが)

そして頭をよぎったのは、街中で車椅子に乗った人や杖を使って歩いている年配者達の姿を思い出したのです。フェスティバルの日にはフリーマーケットに出店している子供たちも見たし、妊婦も時折見かけるし・・・。小さい子供から介護を必要とする年代まで、複数世代に渡ってこの街に住んでいる。人口減少問題はどうなっているのでしょうか、それはあるのか?ないのか?
(写真: ラーデンの中心街とくつろぐ年配者)
(写真: ラーデンのフェスティバルと楽しむ市民)

  ~続く~

ドイツでの農場体験(7) <ラーデンでのお祭り・・・街は遊歩道・・・>

2014-02-26 16:14:50 | 日記
9月13日(金)、ドイツに来てから4週間が経ちます。ホストの農場では3週間が過ぎたところです。この週末(14・15日)はこの街ラーデンでお祭が開かれるとのことでした。その前日である金曜日、作業を終えてから自転車で街の様子を見に行きました。しばらく続いていた雨模様の天気もすっかり晴れています。

街中でどのようなお祭になるのか全く知りませんでしたが、中央の通りには早くもビール会社の出店が準備されていました。そしてレストランの駐車場にはミニサイズのメリーゴーランドまで用意されています。また、いくつかの屋台風の店もセッティング中です。結構、本格的なお祭のようです。
(写真: 地元ビール「Barre」の出店)
(写真: 祭前日のメリーゴーランド)

翌日の土曜日、残念ながら祭の様子を確認することは出来ませんでした。理由は夕食に日本版カレーライスを私が作ることになっていたので、夕食の準備等に追われて外に出かける余裕がなかったからです。一方、日本から持参したカレールーを使ったオーソドックスなカレーは、スパイシーで美味しいとの評価をいただきました。この日は祭には出かけられなかったのですが、ビールやワインも出され楽しい夕食となったのです。

そして日曜日、天気は快晴です。11時頃から祭を見に行きました。驚いたことに街のメインストリートは車は通行止めになっています。歩行者天国そのものなのです。思い切ったことをやるもんだと感心しました。もちろん車には迂回路が用意されているのです。そして、道の両脇には出店がズラ~ッと並んでいます。人出も相当なものです。様々なものが売られています。衣料品、雑貨、CD、骨董品等々、また、子供達が不要(?)になった自分の持ち物を売っている店もあります。半分はフリーマーケットのイメージです。
(写真: 子供のフリーマーケットも)


食べ物や飲み物も売っています。日本では見かけたことのない焼き方(写真)で肉を販売しているコーナーもあります。綺麗なお姉さんが豆菓子を売っていたりします。アイスクリームもあります。また、地元ビール会社の「Barre」もオープンしていて、午前中でも数人がビールを美味しそうに飲んでいます。




アトラクションとしては小型のメリーゴーランドが回っています。また、輪投げのようなゲームコーナーもあります。大人も子供も楽しそうです。


ちなみに、ラーデンの人口は6千人と聞いていますが、周辺人口は1万6千人ぐらいとのことです。祭のこの日も周辺住民が集まって来ているのでしょう。パレード等はなかったようですが、去り行く夏を惜しみながら初秋の休日を皆が楽しんでいるように思えました。いい雰囲気です。


さて、3時間ほどを祭会場で過ごした後は、この日、再びサイクリングに出かけました。ポーランドから来ている女の子にとっては最後の休日となるこの日、まだ見ていない風車を見学しながら近郊をサイクリングしようと言うことになったのでした。

目的地はWeheと言う場所(地名)です。道路標識を頼りに走ります。少し道に迷いながらも約1時間程度で目的地に到着しました。前回の風車とは形が随分異なります。そして風車の横に放牧地があって黒い牛の親子2頭が草を食んでいました。最初は70~80mも離れたところにいたのですが、近くに生えていた草を手にとって柵の中に投げ入れてやると、その2頭は小走りでこちらにやってきます。



この親子の牛は随分と人に慣れているようで、電柵越しではありますが、手に持った草を直接食べてくれます。もちろん、電気の通ったワイヤーに触れないように注意しながらですが。


しばらく牛との触れあいを楽しんだ後は帰路につきました。来る時とは異なるルートです。こちらのルートはほぼ真っ直ぐ帰ることになるので40分ほどで家の近くにたどりつきました。街の中央は祭が続いていて人手も多いと思われたので迂回して帰着した次第です。走行距離は30km弱だったと思います。身心ともに充実した一日になったのです。 ~続く~

ドイツでの農場体験(6) <ワインとビールにまつわるお話>

2014-02-24 16:02:21 | 日記
2013年9月9日(月)、朝から小雨で少し寒いぐらい、天気予報によると終日雨となっていました。この日はマッシュルームの収穫作業はなしで、終日、断熱材(発泡スチロール)の接着作業となりました。作業場所が変更となり作業小屋(barn)の中で行うことになったのです。そこは雨は避けられますが扉は開放のままなので気温は外と全く同じで日中でも寒いくらいでした。

ちなみにbarnとは納屋とか物置小屋のイメージです。もう一つstableと呼んでいる方は馬小屋の意味合いを持ちます。この農場では昔の用途に基づいて小屋の呼び方を意図的に使い分けているのでした。

ここラーデンは9月に入ってから天候の変化がめまぐるしい印象です。この日も14時を過ぎた頃から晴れ間が出てきて日差しだけは少し暑いくらいなのでした。

17時半、すっかり晴れていたこともあり、作業を終えて久しぶりの買い物に出かけました。歩いて15分ぐらいの「Combi」(コンビ)の看板があるお店に入ってみました。名前からしてコンビニの類かと思ったのですが、中に入ってみると意外に大きい店です。明らかにスーパーマーケットでした。

陳列されている品物の種類や価格等を見ながら店内を歩き回りました。チーズやソーセージの種類の多さは日本の比ではありません。地元の人はわかっているのでしょうが、私にしてみれば目移りするばかりでした。お酒のコーナーにも行ってみました。こちらも結構な品数です。ドイツワインを試してみたかったのでモーゼル地方産のワインを赤・白一本づつ買いました。白はTrockenと書かれている辛口(ドライ)タイプを選びました。赤は半辛口(Halbtrocken)です。日本では一般的にドイツのモーゼル地方産であるモーゼルワインは甘口が多いと聞いていたのですが、意外と簡単にTrockenをみつけることができました。値段も想像以上に安いのです。逆に味は期待できないかも知れないと思いつつ買ったのでした。値段は1本4ユーロ以下でした。

この日の夜、買ってきたモーゼルワインの赤・白ともに開けて飲んでみました。常温で飲んだためかも知れませんが赤ワインの方が美味しく感じられました。この値段にしてはgoodの私の評価です。白の方は冷蔵庫で冷やして飲めば料理に合うと思った次第です。このような値段で美味しいワインが楽しめるのは羨ましい限りです。


ワインのついでにビールのお話です。この日はビールは買いませんでしたが、後日、ビールも買いました。その値段は330cc瓶ビール6本パックで5ユーロ以下です。単純な比較はできませんが、500cc入りのミネラルウォーターが1本1ユーロ以上でした。ドイツでは水よりビールの方が安いと言う話はチラホラ聞こえていましたが、それは本当だ・・・と言うのが私の見解です。

もう一つ、日本には大手ビールメーカーなるものが日本全域に商品を展開していますが、ドイツではそのようなメーカーは存在していないそうです。ちなみに滞在していたラーデンでは「Barre」と言うメーカーが地元ビールです。それしか売っていないかと言うとそうではありません。「BECKS」と言うビールもしばしば見かけました。これはおよそ数十km離れた都市ブレーメン(童話で有名、ブレーメンの音楽隊・・・)のビール会社とのことでした。州は違いますが距離的にはさほど遠くはないので、準地元ビールと言ったところでしょうか。
(写真: 週末の金曜日夕方に現れたBarreの移動販売車)

そしてビールでの話題がもう一つあります。ある日の夕食後、リビングルームで映画を見ることになり、ホストからビールが提供されました。缶ビールではなく瓶ビールでした。しかし、手に取ってその軽さに驚きました。ガラス瓶ではなくプラスチックボトルなのです。形は瓶ビールのそれにソックリなので手にするまでは気が付かなかったわけです。コップに注いで飲むこともあるのでしょうが、こうした場合は瓶から直接飲むのでした。まァ、それにしてもガラス瓶がいいなァ、個人的には。(日本にはプラスチックボトル入りのビールはないですよネ) ~続く~



ドイツでの農場体験・エネルギーの話(1)

2014-02-23 22:14:56 | 日記
9月の上旬、予め知りたかったことを休みの時間を使ってOさんに聞くチャンスがありました。Oさんは丁寧かつ詳細に答えてくれたのです。先ずはエネルギー関係について質問しました。

ここラーデンは北緯52度近辺に位置していることもあり、夏であっても冷房は不要な地域です。逆に、私の感覚では北欧に限りなく近いしその気候に近いと思います。もっとも北欧と言っても広いので、ドイツに隣接するデンマークやスウェーデンの南部に似ている感じでしょうか。つまり、比較的長い冬の間ずっと暖房を必要としているのです。

私が寝泊りしていた部屋は電気ストーブが常設されていましたし、夜間に関しては9月からそのストーブを使っていました。明け方等は10℃を下回ることもあり、ストーブが必要なのです。また、食堂においても朝夕は同様に暖房を入れていました。特に奥さん(Eさん)は寒がりのようで、Eさんが現れるとしばしば暖房を入れていたものです。

と言うことで、暖房にかかわるエネルギー消費は相当なものと言えます。家も大きいし天井も高めの造りなので相応のエネルギーが必要だろうことは容易に想像できるのです。だからこそ、Oさんは様々な対策をしてきているのだと思います。

最初にガスについてです。いわゆる都市ガスの利用は既にやめています。やめた時期は聞き漏らしましたが、ソーラーバッテリーの導入と時期が前後していると思われます。従って、調理のためのエネルギーは全て電気エネルギーでオール電化と言えます。

こと暖房に関して、もう一つの本格的な熱源が用意されています。薪ストーブです。ただの薪ストーブではありません。いわばセントラルヒーティング式の設備として作り込まれています。少し大型のイメージの薪ストーブがあって熱の循環が出来るようになっています。また、それとは別の単独の薪ストーブも玄関の土間には設置されているのです。家の周囲や庭にはそのための薪が積まれています。その量は半端じゃありません。

一方、ソーラーバッテリーの導入は3・4年前から始めたそうです。現在は母屋と元家畜小屋の屋根の上に合計94枚のソーラーパネルが設置されています。但し、その設置は3回に分けて段階的に進めてきたのです。余剰電力は法律に基づいて電力会社が買い取ることになっています。また、投資した金額の回収にはあと3年ほどかかるようです。
(写真: 屋根の上は大半がソーラーバッテリー、左の母屋屋根の下半分は温水器)

ソーラーバッテリーの発電能力としては、自家の最大消費電力を十分にカバーできるものとなっているそうです。しかし、年間を通して考えると、日照時間の長い夏の期間は短く、逆に冬の期間は長いので冬場の発電能力は十分とは言えないのです。しかも、ソーラーパネルの設置されている屋根面はほぼ東向きなのです。家屋の作りがそのようになっているので、発電効率でマイナス面になっているでしょう。

大雑把な話ではありますが、夏は発電した電力を電力会社に販売し、冬場は逆に買わざるを得ない・・・、しかし、年間を金額レベルで平均化すると±0に近いようです。

そして、設備そのものにも興味があったのである日見せてもらいました。電気を直流から交流に変換するインバーターがありました。3系統に分かれていて3台のインバーターが屋根裏部屋に設置されています。そして電力を蓄電するためのバッテリーがどこかに並んでいるのかと想像していたのですが、蓄電装置はないのです。つまり、発電して余力となった分はインバーターで交流変換した後に商用電力網に流されているのでした。


Oさんの考えはこれだけでは終わっていません。エネルギー的に完全に自給できるシステムを目指しているのです。言い方を変えるならば、電力会社との接続を断ち切ることを目指しているのです。彼は「あるシステム」を検討しています。実際に小規模実験もやっています。そしてその一部はハノバーメッセ(大展示場)での展示会に個人で出展までしているのです。この話の信憑性は原理的には高いのですが、技術的ハードルは高いのではないかと推察するので、ここで詳細に述べるのは控えたいと思います。但し、彼を弁護するのであれば、不可能ではないと言えます。

仮に彼が考えているシステムが実現すると、夏場に余剰となった電力エネルギーをそのシステムに蓄積し、冬場の必要な時にその蓄積エネルギーを取り出して必要電力を賄うと言うものです。但し、いくらかの原料の消費(減耗)も伴うので、減った分は追加投入するのです。しかし、その減耗する原料のコストは低いと言います。話を聞いている限りでは面白いなァと感じるものなのです。

話をソーラーパネルに戻します。ソーラーパネルのメーカーはドイツに5社あったそうですが、現在は大半が中国メーカーに席巻されてしまい市場は奪われてしまったそうです。その5社は倒産(または撤退)に追い込まれたそうです。ここでも中国企業が活躍しているのか・・・、本来はその国の中で生産され供給して行く体制が整うことが望ましいと私個人としては思うのですが。しかも、こうした事業は設置しただけで終わりでなく半永久的にメンテナンスも必要になるので、それぞれの国内や地域内で経済的に循環できることが望ましいと思うのです。この話をOさんから聞いて改めて感じた次第です。

さて、まだあります。それは太陽光を利用した温水器です。これも屋根に設置済みです。そして暖められた温水を蓄える大型のタンクが母屋の1階部分に備えられています。キッチンや洗面所、さらにシャワーで使うお湯はここから供給されています。クリーンエネルギーを最大限に利用することも実践しているところがすばらしいと思います。

おまけ的なことですが、この話を聞いている時にOさん曰く、ここから少し離れた農場に巨大なソーラー温水器を備えているところがある・・・と。これは私が9月1日にサイクリングの途中で見かけた設備そのものであることがわかったのでした。
(写真: 巨大な温水器、左に見える小さな物体は牛の群れ)

断っておきますが、ドイツ滞在を交渉する段階で、こうした家庭を意図的に選んだわけではないのです。有機農法(オーガニック)に取り組んでいて比較的小規模な農家を選択基準に考えてはいましたが、ソーラーパネルや温水器云々は到着してから知った内容なのです。そして近在の農家も相当の高い割合でこうした仕組みを導入しているのです。さらに、比率そのものは下がりますが、ラーデンの市街地にある住宅においてもソーラーに基づく設備が屋根にあることを、しばしばこの目で見ているのです。


原発に頼らない、クリーンで再生可能なエネルギー、環境面をも考慮、持続可能社会、そして政府・行政を必ずしも頼らない、自分達でやれることは率先してやってしまう・・・等々、一農家での体験に過ぎないのですが、ドイツのベーシックな事例を見た気がしたのです。

エネルギーに関しては続編でさらに述べる予定です。 ~続く~