デンマークの農場体験(2012年)の中で、いくつかの危険と思われる体験もしたわけですが、最大の危険に遭遇したことはごく一部の方にしか話していません。
Trauma: 心的外傷・・・そこまで深刻な状態ではないと自覚していますが、「死」を覚悟した瞬間でもありました。
2012年4月下旬、予定通りの日程でデンマークの農場に到着。事件は農場生活に慣れたと思われた10日目ごろに起こりました。忘れもしません。月曜日の午後、一連の作業も終えて夕方の家畜達への餌やり(feeding)まで2~3時間の休息時間があったので牧場内を一人で散策してみようと思ったのでした。
ここに至る10日間ほどの中で、馬・牛・豚・羊や家禽類等への給餌や給水、また、注意すべきことも一通りは教えてもらっていました。しかし、まだ家畜たちが私の顔を覚えてくれた時期とは思っていませんでした。それでも私の作業そのものについては慣れてきたころです。
15時頃、牛や馬、羊等が放牧されているエリアに入っていきました。近くに家畜たちはいません。20~30m以上は離れていたでしょう。羊の親子(雌と子供)が比較的近くにいたのを記憶しています。それでも20mは離れていました。周囲の風景を楽しみながら母屋のほうに戻ろうと、足をそちらに向けて歩き始めたころです。
突然、背後から一頭の羊が私のすぐ脇に寄ってきました。近寄ってくる気配すら事前には感知していなっかたので正直驚きました。また、それは以前から注意されていた危険な雄の羊だったのです。その雄羊は真黒で他の雌の羊よりもやや大きくて体つきもがっちりしているので区別は容易にできるのです。また、この牧場に羊は20頭ぐらいいるのですが、親羊(雄は1頭、雌が10頭ぐらい)と子羊が8・9匹の構成になっていました。つまり雄は1頭だけなのです。
そして、群れのボスであるこの雄羊は群れを守る本能から、近寄る人間や牛・馬等にも威嚇してくるので「気を付けろ」とホストからも説明を受けていたのでした。しかし、羊の群れにも餌を与えていたこともあって、注意を払っていたものの特段の脅威は感じていなかったのです。それが「油断」だったのでしょう。
背後からすり寄ってきたかのように見えた雄羊は、私の進路をふさぐかのように私の前に来たのです。至近距離です。私の膝が羊の胴体に触れています。明らかに進路を妨害しているのです。そして、ぐるぐると2・3回私のまわりを歩くのでした。私は危険を感じたので羊と目を合わせないようにしながら母屋の方に向けて急ぎました。母屋までは20~30mぐらいはあります。
雄羊は私の視界からは消えています。但し、背後でどうなっているのかはわかりません。と、その時です。強烈な衝撃が私を襲いました。私は前方に転びながらも何が起こったかすぐにわかりました。雄羊が突進(頭突き)してきたのです。やや左側臀部の上側に突進されました。私はすぐに立ち上がり雄羊に対峙することになりました。
これまでも、雄羊を追い払う時には長い棒切れ等を頭の上にかざして威嚇したこともあったので、道具はありませんでしたが、体を大きく見せるかのようにして威嚇してみせました。しかし、4・5m先で”ヤツ”は前足をかくそぶりで再び突進のポーズをとっています。そして、こちらの威嚇をまったく意にせず、2度目の突進をしてきました。今度は正面からの攻撃でした。膝から太ももの高さにかけて頭突きしてきました。
雄羊の体重は知る由もありませんが、大きさから推定して40~50kgでしょうか。正面からだったのでくい止めることができるのかと思いましたが”敵”は四足でしかも助走しているので、あっけなく私は後ろに転びました。2度の攻撃を受けてまともに立ち上がることも困難でした。生命の危険を感じたので、大声で「HELP」を叫びました。英語で叫ぶしかありません。母屋の中にいる人に聞こえて欲しいと叫びました。「HELP! HELP! HELP!・・・」
よろけながら立ち上がった私に3度目の突進をしてきました。再び私は後方に倒れました。この直前ですが、私の頭部(顔面)に頭突きされたら死ぬかもしれないと真剣に考えました。しかし、3回目も膝付近だったので致命傷にはなりませんでした。
HELP!を叫びながら、私の頭部への直撃を避けるために必死に起き上がろうとしました。背後に牧場の柵がせまっていたのでそれにつかまって立ち上がることを試みました。と言うのはそれは「電柵」だからです。右手で掴んだか左手で掴んだかは覚えていません。しかし。とっさに電線を掴みました。感電です。ビリビリしていますが感電は初めてではないので比較的軽いものでした。そのまま電線を掴んでいました。そして、ちょうどそのころ「HELP!」の異変に気が付いてくれたデンマーク人の若者(仲間)が母屋の反対側の庭から走ってきてくれました。
彼は長い棒切れを持ってかけつけてくれたので、すぐにそれで雄羊を逆に威嚇して追い払ってくれたのです。この間、2・3分間だったのか5・6分間だったのかは定かではありません。とにかく危険は遠ざかりました。
私は半ば放心状態で母屋の方に自力で歩いて行きました。そして、入口前の岩の上に腰掛けました。その頃には異変に気づいたホストの奥さんや子供たちも全員が私にのまわりに駆けつけてきました。
奥さんは看護師の資格も有している人なのですぐに私の腰や打撲状況、擦り傷状況を見てくれました。幸いなことに骨折等はしていないようです。しかし、打撲傷害はあるようです。かなり痛みがありました。外科的処置と痛み止め薬を出してもらいました。
私の「油断」が一番の問題だったと思います。しかし、ホストファイミリーは「申し訳ないことをした」と言って繰り返し謝罪してくれるのでした。雄羊もファミリーも悪いことはありません。・・・私の過信だったと思います。
翌日(火曜日)は寝ていてくれ・・・とのことで体を休めました。しかし、体の痛みは治まりません。水曜日、最初に頭突きされた腰付近の痛みが徐々に治まってきたようです。鎮痛剤の服用も敢えて止めてみました。痛みは耐えられる程度になってきました。(本当に骨折はしていなかも知れない。)
この水曜日の午後には牧場内をゆっくりですが散歩しました。しかし、通常の歩行は困難な状況でした。そして、この2日間、日本の家族にはいらぬ心配をかけるのを避けるためにこの事件のことは一切連絡しなかったのです。また、それは7月の帰国までは自らかん口令を敷いたのです。
木曜日、体は全快ではありませんが、体を動かす方が治癒を促すと自分も判断したので、スローペースではありますが、通常の作業に復帰していったのです。この時期はデンマーク人の若者が滞在していたので彼が力仕事等をサポートしてくれたのでした。
それにしてもこの若者が駆けつけてくれなかったら第4・第5の攻撃を受けていたかも知れません。まさに彼は命の恩人となったのです。
一方、この事件を通して、動物(家畜)の恐ろしさの一面も体験することになりました。それでも、その後に牛たちや馬とのふれあいもこれとは別に経験できたのも事実です。
ホストの奥さんが言っていました「秋(2012年)になったらあの雄羊を食ってやる!」と、・・・ その後、あの雄羊がどうなったかは敢えて聞いていません。
(写真: 羊が写っています。)
事件後、羊の群れには近づいていない私でした。
(巻頭写真)牛はやさしい家畜でした、私にとっては。
Trauma: 心的外傷・・・そこまで深刻な状態ではないと自覚していますが、「死」を覚悟した瞬間でもありました。
2012年4月下旬、予定通りの日程でデンマークの農場に到着。事件は農場生活に慣れたと思われた10日目ごろに起こりました。忘れもしません。月曜日の午後、一連の作業も終えて夕方の家畜達への餌やり(feeding)まで2~3時間の休息時間があったので牧場内を一人で散策してみようと思ったのでした。
ここに至る10日間ほどの中で、馬・牛・豚・羊や家禽類等への給餌や給水、また、注意すべきことも一通りは教えてもらっていました。しかし、まだ家畜たちが私の顔を覚えてくれた時期とは思っていませんでした。それでも私の作業そのものについては慣れてきたころです。
15時頃、牛や馬、羊等が放牧されているエリアに入っていきました。近くに家畜たちはいません。20~30m以上は離れていたでしょう。羊の親子(雌と子供)が比較的近くにいたのを記憶しています。それでも20mは離れていました。周囲の風景を楽しみながら母屋のほうに戻ろうと、足をそちらに向けて歩き始めたころです。
突然、背後から一頭の羊が私のすぐ脇に寄ってきました。近寄ってくる気配すら事前には感知していなっかたので正直驚きました。また、それは以前から注意されていた危険な雄の羊だったのです。その雄羊は真黒で他の雌の羊よりもやや大きくて体つきもがっちりしているので区別は容易にできるのです。また、この牧場に羊は20頭ぐらいいるのですが、親羊(雄は1頭、雌が10頭ぐらい)と子羊が8・9匹の構成になっていました。つまり雄は1頭だけなのです。
そして、群れのボスであるこの雄羊は群れを守る本能から、近寄る人間や牛・馬等にも威嚇してくるので「気を付けろ」とホストからも説明を受けていたのでした。しかし、羊の群れにも餌を与えていたこともあって、注意を払っていたものの特段の脅威は感じていなかったのです。それが「油断」だったのでしょう。
背後からすり寄ってきたかのように見えた雄羊は、私の進路をふさぐかのように私の前に来たのです。至近距離です。私の膝が羊の胴体に触れています。明らかに進路を妨害しているのです。そして、ぐるぐると2・3回私のまわりを歩くのでした。私は危険を感じたので羊と目を合わせないようにしながら母屋の方に向けて急ぎました。母屋までは20~30mぐらいはあります。
雄羊は私の視界からは消えています。但し、背後でどうなっているのかはわかりません。と、その時です。強烈な衝撃が私を襲いました。私は前方に転びながらも何が起こったかすぐにわかりました。雄羊が突進(頭突き)してきたのです。やや左側臀部の上側に突進されました。私はすぐに立ち上がり雄羊に対峙することになりました。
これまでも、雄羊を追い払う時には長い棒切れ等を頭の上にかざして威嚇したこともあったので、道具はありませんでしたが、体を大きく見せるかのようにして威嚇してみせました。しかし、4・5m先で”ヤツ”は前足をかくそぶりで再び突進のポーズをとっています。そして、こちらの威嚇をまったく意にせず、2度目の突進をしてきました。今度は正面からの攻撃でした。膝から太ももの高さにかけて頭突きしてきました。
雄羊の体重は知る由もありませんが、大きさから推定して40~50kgでしょうか。正面からだったのでくい止めることができるのかと思いましたが”敵”は四足でしかも助走しているので、あっけなく私は後ろに転びました。2度の攻撃を受けてまともに立ち上がることも困難でした。生命の危険を感じたので、大声で「HELP」を叫びました。英語で叫ぶしかありません。母屋の中にいる人に聞こえて欲しいと叫びました。「HELP! HELP! HELP!・・・」
よろけながら立ち上がった私に3度目の突進をしてきました。再び私は後方に倒れました。この直前ですが、私の頭部(顔面)に頭突きされたら死ぬかもしれないと真剣に考えました。しかし、3回目も膝付近だったので致命傷にはなりませんでした。
HELP!を叫びながら、私の頭部への直撃を避けるために必死に起き上がろうとしました。背後に牧場の柵がせまっていたのでそれにつかまって立ち上がることを試みました。と言うのはそれは「電柵」だからです。右手で掴んだか左手で掴んだかは覚えていません。しかし。とっさに電線を掴みました。感電です。ビリビリしていますが感電は初めてではないので比較的軽いものでした。そのまま電線を掴んでいました。そして、ちょうどそのころ「HELP!」の異変に気が付いてくれたデンマーク人の若者(仲間)が母屋の反対側の庭から走ってきてくれました。
彼は長い棒切れを持ってかけつけてくれたので、すぐにそれで雄羊を逆に威嚇して追い払ってくれたのです。この間、2・3分間だったのか5・6分間だったのかは定かではありません。とにかく危険は遠ざかりました。
私は半ば放心状態で母屋の方に自力で歩いて行きました。そして、入口前の岩の上に腰掛けました。その頃には異変に気づいたホストの奥さんや子供たちも全員が私にのまわりに駆けつけてきました。
奥さんは看護師の資格も有している人なのですぐに私の腰や打撲状況、擦り傷状況を見てくれました。幸いなことに骨折等はしていないようです。しかし、打撲傷害はあるようです。かなり痛みがありました。外科的処置と痛み止め薬を出してもらいました。
私の「油断」が一番の問題だったと思います。しかし、ホストファイミリーは「申し訳ないことをした」と言って繰り返し謝罪してくれるのでした。雄羊もファミリーも悪いことはありません。・・・私の過信だったと思います。
翌日(火曜日)は寝ていてくれ・・・とのことで体を休めました。しかし、体の痛みは治まりません。水曜日、最初に頭突きされた腰付近の痛みが徐々に治まってきたようです。鎮痛剤の服用も敢えて止めてみました。痛みは耐えられる程度になってきました。(本当に骨折はしていなかも知れない。)
この水曜日の午後には牧場内をゆっくりですが散歩しました。しかし、通常の歩行は困難な状況でした。そして、この2日間、日本の家族にはいらぬ心配をかけるのを避けるためにこの事件のことは一切連絡しなかったのです。また、それは7月の帰国までは自らかん口令を敷いたのです。
木曜日、体は全快ではありませんが、体を動かす方が治癒を促すと自分も判断したので、スローペースではありますが、通常の作業に復帰していったのです。この時期はデンマーク人の若者が滞在していたので彼が力仕事等をサポートしてくれたのでした。
それにしてもこの若者が駆けつけてくれなかったら第4・第5の攻撃を受けていたかも知れません。まさに彼は命の恩人となったのです。
一方、この事件を通して、動物(家畜)の恐ろしさの一面も体験することになりました。それでも、その後に牛たちや馬とのふれあいもこれとは別に経験できたのも事実です。
ホストの奥さんが言っていました「秋(2012年)になったらあの雄羊を食ってやる!」と、・・・ その後、あの雄羊がどうなったかは敢えて聞いていません。
(写真: 羊が写っています。)
事件後、羊の群れには近づいていない私でした。
(巻頭写真)牛はやさしい家畜でした、私にとっては。