ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

ドイツ・後日談

2014-06-30 22:36:02 | 日記
2013年12月初旬、ドイツから帰国して3週間ほど経ち落ち着いた頃です。お世話になったドイツのOさんとEさんご夫妻にクリスマスプレゼントを発送しました。クリスマス直前に届くようにするには凡そ3週間前には発送したいので12月初旬に準備を進めていました。

Oさんは日本の「味噌」がとても好きなのでそれにしました。1.2kg分を用意しました。それとグリーティングカードです。カードは日本の代表的風景をあしらったものを選びました。そしてそれに簡単な挨拶文を書き記しました。

SAL便で送りましたが、「味噌」が重いので、送料の方が高くなってしまいました。送料は4千円弱です。クリスマスシーズンでもあり、予定の3週間で届くか若干の心配がありましたが、何とか間に合ったようです。Oさんからお礼のe-mailが届きました。

一方、発送した直後に、こちらからOさんにプレゼントを発送したことを伝えましたが、Oさんからもお礼の品がクリスマス前に届きました。クリスマスカードに加えてSDメモリーが破損しないように包装されて同封されていました。

Oさんは、私がイギリス、ドイツ、ベルギー等の農法や生活習慣(民俗学的)にも関心があることを知っているので、イギリスのBBC(放送局)にて制作された関連のテレビ番組を送ってくれたのでした。"Edwardian Farm" や "Victorian Farm"と呼ばれている番組です。以前のブログの中でも少し紹介したかと思います。この他にもいくつかの番組が入っていました。

全て英語ですから100%聞き取れるわけではありませんが、リスニングの勉強にもなるのです。また、こうした番組が制作されていることを教えていただいたことにも感謝です。
(写真: レモン・マリーゴールド)

さて、もう一人、ドイツ滞在中にお世話になった友人がいます。凡そ1ヶ月間を生活を共にしたポーランドの娘(こ)です。私より約1ヶ月前からラーデンに滞在していたので、現地情報に詳しかったのです。従って、風車への道案内や買い物場所等も教えてくれました。また、この娘は当初はフランス人と聞かされていたのですが、話してみるとポーランド人だと言うことがわかったのでした。

私の感覚からするとポーランドは「東欧」のイメージが強かったのですが、昨今は「中欧」に位置しているイメージが一般的のような気がしています。と言うことで、こうした地域の人と知り合いになれることも正直驚きでした。

しかし、その後、ポーランドの歴史についても紐解いてみると、ドイツやオーストリア、ロシア等の間に挟まれて複雑な歴史を変遷しており、特にポーランド北西部のドイツと隣接している地域ではドイツと一体になっていた時代もあり、民族的にもつながりは薄くはないようです。事実、このポーランドの娘は20%ぐらいはドイツ人の血が流れていると言っていましたが、祖父・祖母の一人がドイツ人なのでしょう。

と言う事情もあって、ドイツに滞在していたようです。彼女は英語は問題なしでフランス語もある程度話せます。そして滞在中は奥さんのEさんからドイツ語を教えてもらっていたのです。

かなりお世話になったこともあり、このポーランドの娘にもクリスマスプレゼントを送りました。グリーティングカードと日本風の絵柄が入ったマグカップ等を送りました。こちらも送料は4千円弱かかりました。また、この娘からはグリーティングカードとハーブティーが届けられました。

Oさん家族やポーランドの友人とは、今も月に1回ぐらいの割合でメール(e-mail)を交換しています。お互いの近況等を報告しあっているし、ウクライナ危機やその他の国際情報についても意見交換したりしています。

ある程度の期間を家族感覚で一緒に生活したことが、単なる友人の域を超えたものになっているようです。正に家族のようなものです。そう言えばOさんはスピード違反で運転禁止が3ヶ月間続いていたようで、その間のマッシュルームの出荷は、奥さんのEさんに手伝ってもらってEさんの車で配達するとか、自転車で配送して大変だったと言っていました。

そして、Oさんはその自転車に電動モーターを取り付け、充電可能電池も搭載してリヤカー風の乗り物を作ってしまったそうです。このOさんは転んでも只では起きない性格の持ち主のようです。
~続く~ 

ドイツ総集編

2014-06-24 21:46:20 | 日記
2013年8月~11月にかけての約3ヶ月間をドイツで過ごし、そのイベント的な事柄をブログに綴ってきました。ここで改めてその期間を振り返り総括をしたいと思います。

1.ドイツの基本情報
 1)正式国名: ドイツ連邦共和国
 2)国土面積: 日本の約94%、四国を取り除いた面積に近い。
 3)人口: 約8250万人 (移民: およそ人口の10%が移民で構成されている。)
 4)行政区: 16の連邦州からなる。
    17世紀には約300の領邦国家からなり、18世紀末には約40からなる連邦へ。現在は16の連邦州。歴史背景から各州による自治の程度が高いと考えられます。
 5)主要都市人口: ①首都ベルリン(346万人)、②ハンブルク(177)、③ミュンヘン(133)、④ケルン(100)、⑤フランクフルト(66)、・・・⑧デュッセルドルフ(58)、・・・⑩ブレーメン(55)・・・  一極集中と言うよりも各地に分散しているイメージです。
 6)滞在先: ノルトライン・ヴェストファーレン州(人口約18百万人)、州としては最大人口の州です。州都は人口第8位のデュッセルドルフ。ケルンやボンも同一の州内に位置しています。この州の最北部にある街ラーデン(Rahden)人口6千人の街に滞在しました。

2.ドイツ人気質
 1)何事にもキッチリと対応する傾向があります。従って、相手が理解するまで、または、自らが理解するまで必要ならば時間を使います。
 2)別の見方で、心配性とも言われています。だから、何事も明確にしたがります。
 3)総じて、物事を探求する傾向があるように思われます。そして、全体的に日本人のそれに近いものがあるとしばしば言われています。
 4)精神性: 大方のヨーロッパ(言い切れないかも?)諸国のように、精神性が高く成熟度も高いイメージがあります。例として、弱者に手を差し伸べる傾向やマナーレベルの高さ等です。明らかに日本より高いと感じます。
 5)人種差別: 過去のナチスのことは除外したとして、現在の彼等は排他的ではありません。東洋系に対しても差別感はありませんでした。むしろ、幾度となく親切にされたのです。

3.地方自治や行政に対する考え方(私見含む)
 1)歴史的背景もあり、中央集権よりも地方自治に重きが置かれている感じです。従って、政策等にスピード感があります。
 2)一方で、必ずしも行政に頼らない考えもあり、やれることは民間レベルや個人レベルでやってしまう傾向もあります。

4.エネルギー問題
 1)ドイツ政府は2011年、東日本大震災と福島原発の事故後、原発は2022年(頃)には17基全てを停止する決定をしました。
 2)ラーデン近郊でも散見されましたが、太陽光発電、太陽光温水器、風力発電、バイオガス利用システム等の自然エネルギーや再生可能エネルギーへの挑戦は続いているし、その導入度合においても日本をしのいでいる感じです。残念ながら比較できる数値データは入手しておりません。但し、実際の現場を見ての感想です。
 3)放射能廃棄物の最終処分場: ドイツにおいても最終処分場の場所については最終決定できていないようです。既述のブログ内にリューネブルクで列車を乗り継いだことを書いていますが、この地域にある塩の鉱山跡地近くでもあるゴアレーベンを最終処分場にする動きがあるようですが、容易に決定できない諸事情もあるようです。この問題はドイツに限らず、原発を所有する各国にとって共通の課題であり問題でもあるのです。

5.ホスト(Oさんと奥さんのEさん)について
 1)先祖がこの地ラーデンに移り住んだのは1650年頃で三十年戦争(1618~1648年)が終結した直後。住まいである建物の建築は1782年で、築約230年の家屋に今も暮しています。
 2)Oさんの言葉には、しばしば先祖への感謝の思いが出てくるのです。この土地を愛し守っている印象です。
 3)自給自足: 地産地消の考えも有しており、それぞれの家庭(農家等)が得意なものを生産し供給し合う。供給不可能なものは他から購入する。従って、大規模大量生産ではなく多品種少量的なイメージに近くて地域内にて完結、または、経済流通サイクルの大半が成立するような地域イメージを持っています。
 4)農業: Oさんは専業農家であると本人が断言しています。Oさんはマッシュルーム栽培、奥さんのEさんはハーブ栽培。現在建設中のファームショップが完成すれば、自家栽培品や加工品(保存食品)、さらには知人の商品も販売すること等で収入を増やす予定です。
 5)専門知識: Oさんは大工のプロであり、コンピュータやシステム、また、電子回路も得意としており、様々な物を自分で構築してしまうのです。これはOさん固有の優位性と思われ、ドイツ人全てがそうであるとは考えられません。
 6)エネルギー問題: 北緯52度に位置しており、長い冬が相応に厳しいとのことです。2012年から13年にかけての冬にはマイナス20℃を記録した日もあったとのことです。従って、暖房に関わるエネルギー(電気代)は相当なもののようで、太陽光を利用したソーラーバッテリーシステムや太陽光温水器を設置してエネルギーの自給自足も目指しています。近い(?)将来、エネルギー的に完全に自給体制にするのが「夢」と言っています。

6.人口6千人の街ラーデン
 1)周辺人口を加味すると1万6千人規模の地域とのことです。
 2)街には大きな建築物(教会を除く)は見当たりませんが、スーパーマーケット、ドラッグストアや各種の専門店もあります。そしてその専門店はデパート並みの品揃えをしている店もあります。
 3)高校まではありますが、大学はありません。しかし、妊婦から乳幼児、小学生から若者、青年、中高年、老人まで。バランスよく各年代の人々がこの街で暮しています。また、ハンディキャップを持った人達も一人で散歩したりしている姿も見かけます。少ないですが中東系の人達も暮しています。Oさんに質問しましたが、この街に人口減少問題は存在していないとのことです。街作りも綺麗であるし、日本の多くの中山間地と比べると大きな違いを感じます。一極集中型の日本的な動きにはどこかに間違いがあると感じています。

7.人と人の出会い
 1)国が異なり、人種が異なり、民族が異なり、母国語が異なり・・・、でも民間人レベル、ふつうの人と人のつながりにおいては何等の支障もありません。言葉の壁が多少あったとしても辞書を使いながらでの意思疎通も可能です。にも関わらず、世界の国家間の争いはどう言うことでしょうか。宗教問題に端を発していることも多いでしょう。しかし、お互いにお互いの存在を認め合い尊重しなければ平和は訪れません。武力では何の解決にもなりません。歴史が証明しているではありませんか。武力外交は不要です。真の外交力はそうではないところにあります。
 2)現在、ウクライナ情勢が大変気になっておりますが、これも武力でごり押ししている国家があります。そうではなくて真の外交力で安定的な世界を築くべきでしょう。どこかの総理達が憲法の解釈を変えることで集団自衛権・・・云々と言っていますが、その方法では過去の歴史を繰り返すだけで、真の解決方向に導くことにはなりません。日本に限らずですが、武力に頼らない外交力を高めて行くことこそが世界の人民の望むところなのです。第二次世界大戦の敗戦国でもある日本だからこそ、戦禍に散った多くの人民のためにも武力外交を選んではならないのです。
 3)2012年のデンマーク、2013年のドイツ。そしてその滞在の間に知り合った幾人かの友人達、今もメールでの交流は続いています。今後も可能な限り交流を続け、さらには広げることにも努力したいと考えている次第です。

8.2014年
 まだ検討段階ではありますが、ベルギー(またはベネルクス3国のいずれか)かポーランドを訪ねてみたいと思案中です。また、このブログについては、気になる話題があれば随時綴るつもりです。時々はチェックしてみて下さい。 ではまた!

(写真: ラーデンのOさんの家屋と庭)
(写真: 地下室で栽培しているマッシュルーム)
(写真: 地元のビール)
(写真: バイオガス利用システム)

さようならドイツ

2014-06-15 17:38:02 | 日記
2013年11月9日(土)、ドイツを離れる日になってしまいました。早朝、ネットに接続して、予定通りに帰国の途に着くことを家族にメールで連絡しました。そして朝食をいつものレストランでいただきました。

8時半、少し早めですがホテルをチェックアウト。フランクフルト中央駅には地下道を通って向いました。空港までの地下鉄のチケットを券売機で購入します。4.25ユーロです。空港駅は3つ目の駅なので、乗車時間はおよそ10分で空港駅に到着。出発ゲートが不明瞭でインフォメーションセンターで聞いてもよくわからない説明でした。それらしきところで案内係をみつけて再度聞きました。すると突然日本語が返ってきました。現地在住の日本人の案内係だったのです。ほぼ3ヶ月ぶりの日本語会話になりました。こういうところで働く日本人の方もいるのですね。驚きでした。

その係の説明では、この先の一番奥に該当のチェックインカウンターがあるとのことでした。ちょっとわかりにくい場所です。受付開始時刻までは近くの椅子に腰掛けて待ちました。荷物があるので自由に動き回ることもできません。・・・ そして受付開始時刻になりチェックインカウンターへ、やっと重い荷物から開放されました。預けた荷物は16.5kgで、私には少し重過ぎる重量でした。他にノートPCやカメラ等は手荷物としてハンドキャリーしています。

出国審査も終えてTAX FREEエリアで時間を過ごします。まだ昼前ですが、少し早めの昼食をいただきました。コーラとキング・バーガーで6.2ユーロです。円換算すると900円ぐらいなのでやや高めに見えますが、1ユーロが100円ぐらいと「仮定」すると妥当な金額に見えてしまいます。まァ、こんなもんでしょう。

と言うことで、昼過ぎには機上の人となったのです。翌11月10日(日)、長い旅路を終え中部国際空港セントレアに無事に到着しました。いや~3ヶ月ぶりの日本です。15時頃には自宅に到着しました。

8月16日(金)にセントレアを出発して約3ヶ月間、当初の主要目的をほぼ達成したのではないかと考えています。特にノルトライン・ヴェストファーレン州最北のラーデンの農家Oさんと奥さんのEさんご夫妻、そしてWWOOFERの同僚Mさんには大変お世話になりました。また多くの親切なドイツ人にも助けられた思いです。日本の家族に感謝することも当然ですが、このドイツ滞在に関わったドイツやポーランドの友人達に感謝したいと思います。
(写真: ラーデンの農家)
(写真: ケルンにて)
(写真: ジーゲンの木組みの家群)

また、ドイツやヨーロッパの歴史も一部ですが勉強することにもなり、今日のドイツの姿の理由についてもある程度理解できることとなりました。ドイツの総括編は次回のブログに掲載したいと思います。さらに、帰国して既に7ヶ月を経過しており、その間にお世話になった現地の人と数回はやりとりが続いているので、そうした事柄も後日談としてブログに記載したいと考えています。
~続く~

ドイツ・フランクフルトの3日目

2014-06-07 18:40:52 | 日記
2013年11月8日(金)、この日でドイツ滞在は84日目です。フランクフルトでの滞在は3日目ですが、実質的にドイツ滞在の最後の一日となります。明朝は空港へ向うことになるので、ある程度の荷物整理もしなければなりません。朝食はホテルのレストランでいただき、帰国の準備もある程度済ませました。

この日の早朝は雨模様でしたが、10時頃には雨も上がっていました。ホテルを出て最初に向ったのはシュテーデル美術館です。ホテルから南東方向に歩くこと1kmぐらいでしょうか。マイン川を渡ったところにその美術館があります。チケット売場には20人以上の列が出来ていました。入館料は12ユーロです。チケットを買う時に国籍を聞かれました。何の為かわかりませんが、「JAPAN」とだけ答えました。アンケートでも取っているのでしょうか? ヨーロッパではイタリア、フランス、スペイン、デンマーク、そして、今回のドイツを旅行してきましたが、美術館入館の際に国籍を聞かれたのは初めてでした・・・。
(写真: シュテーデル美術館)

そして手荷物(ザック)はロッカーに預けなければなりません。個々のロッカーの扉の裏側(内側)に1ユーロコインを入れる場所があるので、そこにコインを投入すると鍵が回せる(ロックできる)ようになっていました。ちなみに、荷物を取り出す時に入れた1ユーロコインは戻りますので「無料」と言うことではあります。

館内は結構混んでいました。絵画を中心に1時間ほど観賞し、最後におみやげコーナーで記念品等を少し購入です。荷物になるようなものは購入できません。そして外へ出ました。マイン川の南岸を東に向って歩きます。この辺りには博物館等もいくつか並んでいますが、入館はパスして散策を続けます。
(写真: マイン川から北方向を望む)
(写真: マイン川と大聖堂)
(写真: ドキッとさせる美しい看板?・・・)

そして前日も歩いた大聖堂の近くにやってきました。時刻は12時半を過ぎています。お腹も空いてきたので前日も印象の良かったミュンヘン縁(ゆかり)のレストランに入りました。ブラートヴルスト(焼きソーセージ)の料理をメニューに見つけたので注文しました。当然(?)ビールも合わせて注文です。
(写真: ブラートヴルスト料理)

以前のブログに記述したかも知れませんが、「ドイツは・・・」と言うか、「デンマークは・・・」と言うか、「ヨーロッパの各地は・・・」と言うか、ランチの際にもビールやワインを楽しんでいる人は実に多いのです。それは観光地に限ってはいません。確かに飲みすぎは体に良くないのでしょうが、適度にたしなむ程度に飲むのは悪くはないな・・・と思うのです。総じて感じるのは「人生を楽しむ・・・」と言う考えです。国の経済や失業率状況等によってはそのような余裕が乏しい国もあるのでしょうが、限られた条件の中においても楽しもうとする精神があるのではないかと思います。

前年の訪問地であるデンマークは北欧の一国であり、長い冬の期間が続くのですが、その分、春から夏・秋にかけての比較的短い期間を思いっきり楽しもうとしている考えに近いものを感じるのです。

さて話を戻します。マッシュドポテトもついたブラートヴルストはドイツらしさを感じました。ビールも間違いなく旨いのでした。支払いはチップも含めて14ユーロです。納得の価格ですね。

この後は歩行者天国(ツァイル: Zeil)方面を散策しました。ちなみにユーロを統括している欧州中央銀行の本拠地はここフランクフルトにあり、ユーロの巨大なモニュメントも見かけたのでした。
(写真: 歩行者天国)
(写真: この巨大広告にもドキリ?・・・)
(写真: ユーロのモニュメント)

8月17日にここフランクフルトに到着し、ケルン、ミュンスター、70日間滞在のラーデン、そして帰路のブレーメン、リューベック、最終地フランクフルトとドイツ北西部を一周するかのような旅でした。特に長期滞在したラーデンでの体験が強く印象に残りました。既述のブログ内にも書き記したと思いますが、総括したものを別途に綴りたいと考えています。

翌日の11月9日は日本へのフライトとなります。
~続く~

ドイツ・フランクフルトの2日目

2014-06-01 20:44:43 | 日記
2013年11月7日(木)、前夜は早めに寝たので5時半頃の起床でした。朝食はホテル内のレストランでいただきます。コーヒーの淹れ方がわからなかったので女子店員に聞いてみました。明らかにインド系の若い女の子です。丁寧にコーヒーメーカーの操作方法を教えてくれました。ドイツには結構多くの人種が入っているなァと感じたものです。
(写真: 宿泊したホテル前の通り)

ちなみに、ドイツ人口は約8250万人ぐらいですが、およそ10%近くが移民(外国人)と聞きました。昨今、ヨーロッパの各国で移民問題がクローズアップされていますが、ドイツもそうした課題を抱えているのではないでしょうか。

さて、フランクフルトで利用したホテルでのインターネット接続は、宿泊料金とは別設定になっていました。24時間契約で15ユーロ、5時間で9ユーロ、1時間で6ユーロ・・・です。ドイツでは5軒のホテルを利用しましたが、フランクフルト以外のホテルではネット接続は無料でした。従って、結構高い値段だと感じてしまいました。結局、5時間契約のものを適宜使うことにしたのです。

10時頃、市内散策に出発しました。先ずは繁華街方向を目指します。そして前日確認しておいた革製品専門店「BREE」の店へ。午前中でもあり客は私のみなのでユッタリと品定めができました。女店員に用途や予算等を伝えて数種類の革製品を見せてもらいました。結局、2品をここで購入しました。ちなみに、翌週になればバーゲン期間に入るので50%OFFになると言っていました。(残念!・・・)
(写真: BREEの店が入るビル)
(写真: 自転車用の通路表示)

次は歩行者天国になっている通り「ツァイル(Zeil)」近辺の散策です。さらにレーマー広場を通ってマイン(Main)川河畔へ。そして大聖堂(Dom)に出ました。その近くに綺麗なレストランがあったので昼食に入りました。小さなホテルの1階にあるレストランです。
(写真: レーマー広場)
(写真: マイン川)
(写真: 大聖堂が見えています。)
(写真: 1Fはレストラン)

中に入ると3~4人の女店員が目につきましたが、その服装はどこかの地方の民族衣装のような感じです。着席を促されて二人掛けのテーブルを選びました。室内装飾品等を眺めていてわかりましたが、ここはミュンヘン縁のお店のようです。メニューからビールとシュニッツェルを選び注文です。フランクフルトでミュンヘンのビールが飲めるとは思っていませんでした。
(写真: レストラン内部)

実は、2013年のドイツ行きを選んだ時、訪問地がミュンヘンに近いのであれば、有名なオクトーバーフェストに行ってミュンヘンのビールを思う存分楽しみたいとも思っていたのです。時期は9月下旬から10月初旬のフェスティバルなので滞在スケジュールには合致していて可能性はあったのです。しかし、長期滞在先は北方のノルトライン・ヴェストファーレン州となったのでミュンヘン行きは諦めていたのでした。と言うわけで、フランクフルトでミュンヘン縁のお店に入ることができて嬉しかったわけです。

ランチにビールを楽しむことの贅沢(?)にほくそ笑みながらゴクゴクッと飲みます。実に旨い!です。それにしても、多くはありませんがドイツ各地を通ってきて様々なビールを飲んできましたが、いずれも旨いのです。大き目のグラスでほどよく冷やされたビール、そしてきめ細かな泡立ち、そしてその場の雰囲気・・・なのでしょうか。それにしても確かに旨いと言えます。

料理が出てきました。ここのシュニッツェルにはポテトフライが付いていたのですが、冷凍ポテトのフライと言う感じではなく、丸いジャガイモを数ミリの厚さでスライスしたものを調理しています。またハーブものせられているし、本格的な料理と言う感じで好印象でした。チップを含めて18ユーロの支払いです。納得の金額でした。
(写真: シュニッツェル)

楽しい昼食を終え散策を続けます。しばらく行くと日本で言う公設市場のような雰囲気のマーケットをみつけました。名前はクラインマルクトハレ(Kleinmarkthalle)でした。食料品や花等も売っています。そしてなんと寿司屋があります。日本人らしい男性が握っています。マーケット内を通り抜けて午前中に歩いた歩行者天国方面に戻って行きました。
(写真: 寿司屋)
(写真:クラインマルクトハレ)
(写真: 歩行者天国の様子) 

さらにフランクフルト中央駅の方に向いカイザー通りの一本北側の道を通りました。比較的駅に近い所ではアダルトなお店の看板が目に付きます。道路の幅は普通に広いので裏道のイメージはありませんが、若干人通りは少ない印象でした。
(写真: 夜の街?)

天候に恵まれた一日となりました。フランクフルトの中心街に限定した散策でしたが、歩行者天国や伝統ある雰囲気、また超高層ビルのオフィス街、そしてアダルトエリア(?)もあって、渾然一体の大都市との印象を深めた次第です。

(写真: 高層ビルも)


この日の夜、フランクフルトの印象を日記にメモしています。その一部なのですが、ドイツの北西部を一周したかのようなルートを辿ったわけですが、その中では一番「おもらいさん(乞食)」が目立った街でした。ドイツの何に期待した旅だったのか・・・、それにも依ると思いますが、フランクフルトはある意味で近代大都市でしょうね。但し、文豪ゲーテ生誕の地でもあり、また、あのロスチャイルド家発祥の地でもあるのです。個人的な好き嫌いで言うのであれば、フランクフルトは私にとってはあまり好きではない都市に見えてしまいました。

尚、ロスチャイルド家について関心がある方はネット等で調べていただければ、様々な情報が出てくるでしょう。また関連書籍も入手できると思います。
~続く~