ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

デンマーク、コペンハーゲンの夏

2014-12-23 17:09:33 | 日記
2012年7月17日、80日間お世話になった農場に別れを告げました。

馬たちもベランダ近くに寄ってきていました。


茶色っぽいのが雄のリアム、手前の黒っぽいのが雌のヴィクトリア、リアムの足元には仲のよいネコがまとわりついています。


最寄駅まで奥さんに送ってもらいました。玄関のゲートの向こう側に2匹の犬が見送ってくれました。

(写真: 最寄駅、グラムソーの駅舎)

列車を待つ人たちです。

(写真: 列車の内部)
荷物があったので出入り口付近で立っていましたが、しばらくすると女性の車掌さんが通りかかり、席があいているから・・・と言って1輌ほど先の空席を教えてくれました。その場所まで連れていってくれたのです。(フーム、親切ですネ)

コペンハーゲンまでは列車で1時間半ぐらいだったと思います。予約済みのホテルに荷物を預け、夏のコペンハーゲンを散策します。4月下旬に来た時にはまだまだ寒い時期でしたが、街行く人々の装いも違っていました。
(写真: 右側奥は市庁舎です。)


左側ビルの1階部分、緑色のエリアはレストラン「チボリハレン」、ガイドブックにも紹介されています。私もここで食事しました。

以下は、ショッピング街でもあり遊歩道でもあるストロイエ周辺での写真です。

ストリートパフォーマーは思いのほか多いのです。


若い女の子が遊歩道の真ん中で水を売っています。日本ではみかけない光景でした。

(写真: 脇道、歩道に座った娘が印象的)

(写真: ユニークなショーウィンドウ)


動かない筈のパフォーマーが・・・。


かの有名なロイヤルコペンハーゲンの本店です。人出も多いです、平日ですが。


ラウンドタワーが見えています。


昼食です。ボリュームたっぷりです。ビールはハイネケン・・・これはオランダのビールですが。テーブルのロウソクの灯りもgood!です。




こちらはデパートです。


パンケーキを売っているようです。


またまた、ストリートパフォーマー。


日差しも強い印象でした。


ですが、突然の雨!


そして、30分後には雨はあがっていました。農場に滞在中のときも、天気がコロコロと変わるのはしばしばありました。

ここから先は「夜」の部です。

時刻は夜の9時を過ぎています。写っている時計をご覧下さい。北欧です。



土産ものにはアンデルセンや人魚の像ゆかりのものが目に付きます。


市庁舎前広場とチボリ公園が写っています。


こちらも定番のショットでしょう。アンデルセンの像がチボリ公園を見上げています。


この時刻でほぼ夜の10時です。

(写真: チボリ公園)


右側建物が宿泊したホテルです。久々のホテル宿泊、ゆったりとバスタブにつかりたい誘惑があるのですが、ここにもバスタブはありません。ハイ、シャワーのみです。日本では各家庭にバスタブつきのお風呂があるかと思いますが、考えようによっては贅沢なのかもしれません。それにしてもバスタブにつかるとリラックスできますよネ。

ほぼ3ヶ月間にわたるデンマーク滞在も終わりを告げようとしていました。 ~続く~



少しだけ、「デンマークの歩み」

2014-12-20 23:16:15 | 日記
2012年7月、滞在期間も残り僅か。ホストの奥さんが古いデンマークの本を見せてくれました。「以前はこんな風景もあったのよ、よかったら見て・・・」と言って渡してくれたものです。

ページをめくって行くと見覚えのある地名や建物等もでてきました。本は1943年の出版のようで、およそ70年ぐらい前のものです。いくつかを写真に撮りましたのでご紹介しましょう。

(写真: 出典はこの本です。)
(写真: 1943年)

(写真: 首都コペンハーゲン、アメリエンボー宮殿)
少し風景は変わっていますが、私もここを歩いています。

(写真: 人魚の像)

(写真: ラウンドタワー、今も残ります。)
ここは薦められてタワーの中を登りました。コペンハーゲンの街を一望できます。

(写真: 国会議事堂の近く)

(写真: 牛の品評会でしょうか)


当時の姿(ワンシーン)

(写真: ビーチ)


コペンハーゲンから西に40kmぐらい離れたロスキレの街にある大聖堂です。今は世界遺産になっています。私も行きました。


これは長期滞在したホスト農場の地域でもあるネストヴェズの風景です。

(写真: シェラン島にある漁村の風景)


農家の写真ですが、場所はユトランド半島。この半島の名前は皆さんも聞いたことがあるかと思いますが、南部でドイツと接しています。但し首都コペンハーゲンはここではなくて、少し東方にあるシェラン島にあります。


当時の一般的な風景でしょうか。


これもユトランド半島の一部のようです。まだまだこうした状態の場所もあったようです。





デンマークは19世紀末頃に、それまでの穀物を中心とした農業から酪農に切り替えたとのことです。既述のブログ内でも触れていますが、現在のデンマークの食糧自給率はカロリーベースで「300%」です。日本は約40%であることはご存知かも知れませんが、この違いにも驚くのです。2013年に滞在したドイツも93%前後と聞いています。

どこの国においても、一朝一夕に成し得たことではないことは明白ですが、「食」の”安全・安心・安定”的な確保はグロバール時代になっても必須なのではないでしょうか。また、それを農業と言う一面からのみ見るのではなく、各地域社会そのものの存在意義を再考し、維持継続して行く観点からも見るべきこととしばしば感じるのです。

それぞれの地域の歴史的な意味合いも見出しながらこうした事柄を考えたいものです。部分最適のみに陥ることなく、全体最適をも視野に置いて考える・・・と言うことでしょうか。


ちょっと寄り道: 海外滞在からみたエコノミック・アニマルJAPAN

2014-12-07 21:09:33 | 日記
デンマークやドイツにそれぞれ3ヶ月間ほど滞在していましたが、そうした期間の中で何故か日本が外側から見えることがしばしばありました。それは、日本で普通に暮している中では気づきにくいことでもあります。

「エコノミック・アニマルJAPAN」 これもその一つでした。

日本は資源小国、様々なものについて原料等を輸入しそれを加工して輸出・・・、ハイ、経済大国です。小学校や中学でも習ったことでもあります。また、「経済」そのものはどこの国にとっても重要なことであることは言うまでもありません。

しかしながら、しばし日本を離れ、その地で暮しながら日本から飛んでくるニュースに接したりしていると、これでいいのだろうか・・・と思えるような場面に時々遭遇するのでした。おそらく、そうした経験をした方も多いと思います。

先ずは生活面や風景・景観から肌身で感じること。生活そのものや仕事そのものでの苦労や楽ではない点、夫婦げんか・親子げんか・兄弟けんか・・・こんな場面を日常的にみると日本のそれと変わりはないでしょう。でも、そんな中でも可能な限り生活や人生そのものを楽しもうとしている姿も垣間見られるのです。

一方、社会生活を通してみる場合、他人への気遣いや弱者へ差し伸ばす救いの手・精神性、そしてマナーの高さはデンマークやドイツの方が一歩先んじていると感じました。

また、持続可能社会への意識や取り組みそのものの高さについても、市民目線や政策面としても大切なものは何かを、より正しく判断して選択できていると感じるのです。エネルギー問題も然りです。

そうした情報に現地で接した時、日本が比較して見えるのです。この国は大丈夫だろうか?・・・と。

「経済を最優先に考えます」と国を導くべき人が叫び、また、相応の人々も生活することを目の前にして同調しているかのような姿が見えるのです。確かに、生活しなければなりません。貨幣経済の中に置かれている我々としては「お金」が必要です。しかし、それを得るためには何をしてもいいのでしょうか。答えは明白で「否(いな)」でしょう。

「経済」という言葉を隠れ蓑(みの)にして、お金を稼ぐためなら何でもやる・・・、原発さえも輸出する・・・、全く納得しかねる論理です。世界最高の安全基準云々は何の保証にもなりません。「技術はいつの世も未熟である」と言った方がありますが、正にその通りなのです。事故は起こりうるのです。そして、原発事故の場合は地球レベルの汚染や災害につながることが他の通常の設備やマシンと決定的に異なる点なのです。

オリンピックの東京誘致が決った時(2013年秋)、私はドイツに滞在中でした。誘致そのものには嬉しい気持ちが湧いたのですが、安倍総理のあのスピーチの中身「・・・コントロールされている」・・・これは許せませんでした。

滞在先の家で、この事について言及した時のことです。あれはウソ、福島原発の過酷事故は完全にはコントロールできていません。汚染水は漏れています・・・そんな事を話し合ったのです。私は日本を代表してドイツの一農家に滞在していたわけではないことは言うまでもないことですが、それでもドイツ人と話をするわけですから私の後ろには日本があるかのように感じてしゃべっていました。日本人として恥ずかしかったのです、泣けるくらい。

一国の首相が世界を相手に大嘘を吐いた・・・。知らなかった・・・では済まされないし、そう言う意味ではなかった・・・と「いいわけ」するのでは常套手段すぎるので情けない。こんな風に感じたのは私一人ではないでしょう。

こうした瞬間「エコノミック・アニマル、JAPAN」、強烈に感じるのです。諸外国の人々からも同様に見えているのではないかと思います。

再生可能エネルギー(太陽光発電等)の買取にブレーキがかかったニュースも最近ありましたね。送電網の未整備や発電そのものの不安定さ等にも問題があることは技術者であれば容易に推察・理解できることではありませんか。しかし、だからこそ、こうした分野も含めて日本の技術力をさらに高め、関連する産業や雇用機会を創出して行くことが、真のリーダーの役割の一つでしょう。また例えば、食糧自給率を格段に高めることも必須事項の一つでしょう。つまり、経済を確立して行くための方法論が違うのです。

他に関心を高めなければならないこともいくつかあると思いますが、多くの点で方向性を誤っているのです。その他の一つとしてですが、宗教的にも比較的客観性を有している日本だからこそ世界平和に貢献できることもあると感じています。積極的平和外交などという誤魔化しの言葉で軍事外交的な路線を目指す方向性も間違っています。

国民は目先のことだけにとらわれることなく、真の目的や目標を見すえてあるべき姿や実現のための方法論を考えなければなりません。表面上の言葉に惑わされることなく、真意を看破しなければなりません。一方で、政治家は政治不信を招かないよう、国民・市民のための「仕事」をしてもらわなければなりません。自分や身内のことに重きを置いた思考をする政治家は舞台から降りるべきです。

それにしても、12月14日は投票日。信頼たる政党はどこにいるのか!? ・・・頭が痛いですね。

尚、そもそも論で言えば、得票率が過半数に満たない政党が過半数の議席を確保して国政を司ることそのものにも大きな疑念を抱きます。議員定数の削減云々を声高にしている方もいますが、その前に考えるべきことはこちらでしょう。議会制民主主義の限界なのでしょうか? 政治家がシッカリしていればこうした心配も減るのでしょうが・・・。

(巻頭写真)ドイツのミュンスターにある平和の間。30年戦争が終結した1648年、国際平和条約を締結した場所のひとつです。

デンマークでの農場体験・懐かしいできごと

2014-12-05 23:01:07 | 日記
2012年7月、デンマークでの農場生活も残りわずかになったころです。3人の男の子兄弟の末っ子、名前は英語読みの場合は「アンドリュー」、デンマーク語読みでは「アンドリアス」、その子が私に話しかけてきました。

3人兄弟の末っ子なので、はた目には甘えん坊に見えていました。そして当然ですがまだ英語はしゃべることはできません。日本から来ているみかけないおじさんを毛嫌いすることは全くありませんが、会話は成立しないのでした。それに比べると12歳や11歳になったお兄ちゃん二人は英語を話すことができるし、特に長男のほうは私よりスラスラとしゃべっていました。なので、上の二人とは日常的にも会話していましたし、農場での仕事に関してもいっしょにしたことも多かったのです。

そんな状況が続いていたのですが、ある時、リビングルームでくつろいでいる私に末っ子のアンドリアスが声をかけてきました。「イロー」(ジローではありません。) アルファベットでJiroと書くのですが、JはY的な発音に近いこともあって「イロー」と呼んでいるように聞こえます。とにかく何かを頼みたい様子なので、その子に引っ張られてキッチンに行きました。

そこには飲み物に炭酸ガス(発泡)を加える装置が置いてありました。ヨーロッパでしばしば見かける炭酸水を作るガス充填器です。この子が手にしているボトルに炭酸ガスを加えてくれと私に頼んでいるのでした。

しかし、残念ながらその装置の使い方は知らなかったので「ごめん、使い方がわからないよ」と2回ほど英語で言いました。もちろんジェスチャーも加えてのことですが・・・。この子はその英語はわからなかったかも知れませんが、意味は伝わったようです。残念そうな顔をしてあきらめていました。

また、数日後だったと思います。農場周辺に咲いている白い花を摘んできてデンマーク特有(?)の濃縮ジュースをホストの奥さんが作っていました。その花は主に私が摘んできたものです。作られたジュースの量は多分20リットルぐらいあったと思います。奥さんいわく毎年作っているようです。私も飲ませてもらいましたが、花の香り豊かで甘みもあってとても美味しいジュースでした。(お湯か水で薄めて飲みます。)

出来上がって1・2日経ったころでした。またまた、末っ子が「イロー!」とチョット語尾を上げる呼び方で声をかけてきたのです。随分距離間が縮まったような印象を受けました。こんどは何をして欲しいのでしょうか。今回もキッチンに連れていかれました。

そして、コンロの上の大なべに入っている濃縮ジュースをコップに汲んでくれと言っています。彼の背丈では届かない高さなのです。「OK!」と言ってコップにそれを汲んであげました。彼はその先の処理は自分でできるのです。踏み台にのって蛇口をひねって水を加えて薄めていました。そして美味しそうに飲むのでした。

周囲に頼める人がいなかったからでしょうが、この子が私に頼んできたことそのものが私にとってはとても嬉しく感じたのです。あれから2年、どれぐらい大きくなっているでしょうか。お兄ちゃんたち二人も大きくなっているでしょう。

そうそう、1週間ほど前、このファミリーにクリスマスプレゼントを発送しました。クリアスマスと新年を祝ったGreeting Card、それに子供たちがお気に入りの「味付け海苔」「あられ等」です。味付け海苔は私がデンマークに行った時に持っていったもので、ご飯(米)に巻いて食べるのですが、子供達が大変気に入ってくれたものです。

彼らは時々、首都コペンハーゲンにある日本食料理店(数軒はありそうです。)で寿司を食べるそうで、海苔は初めてではないのですが、思う存分食べることができた意味でも気に入っていたようです。私が帰国する際、「覚えていたら送るからね」と約束していたもので、毎年、クリスマス前に届くように送っています。

ちなみに、次男坊(ダニエル)は食べ物に関しては好き嫌いが激しいのですが、海苔とご飯は大好きなのです。それだけをパクパクと食べるのでした。この次男の子は一番優しくて、私にも一番よく話しかけてくれたし、仕事も手伝ってくれました。

北緯55度のデンマーク、もうすっかり冬モードでしょうね。

(写真: 首都コペンハーゲンのバス広告)

(巻頭写真)世界遺産のロスキレ大聖堂をバイキング船博物館から望む・・・場所はロスキレと言う街です。