柔道つながり ~からみつく大外刈~

柔道を通じてたくさんの人と出会い、成長できました。
柔道に興味のある人も、無い人も、コミュニケーションしましょう!

柔道部始動

2007年03月10日 | 携帯から
昨日でトレーニング期間が終わり、今日から本格的に道衣を着ての稽古が始まりました。
大学生の稽古に高校生がまぜてもらうという形で、商大堺高校や弥刀中学も参加していたので、かなり大人数での稽古でした。
さらに、伏見青年の家で知り合った大藪さん、去年勤務していた高校の教え子・柿木が参加してくれました。

おぅおぅ!

うちの生徒、トレーニングでヒィヒィ言わされてきただけあって、地力がついてます。
しかしながら、それがそのまま試合でのパフォーマンスにはつながりません。
今日の稽古を見ていたところ、組んでしまえばうちの子の方が分がいいのですが、組むまでは向こうのペースにかき回され、イライラしてる様子がよく伝わってきます。
この組むまでの駆け引きを、「組み手」というのですが、うちの生徒にとって、組み手が試合までの課題になりそうです。

僕はというと、この春に卒業して沖縄に帰っちゃう学生の子と、今日初めて柔道しました。
結構名前の売れていた選手だけど、やっぱり強かったです(^^)

ええ一日でした☆


そうそう!
帰りの電車で、頭に毛糸のターバンみたいなん乗せたお姉さんが、やたら首を回すんですけど、その回数とスピードが常人離れしてるんですよね。

何のために!?

ターバンらしきものが、横の乗客の肩にバンバン当たっても無問題!

なぜなのだ!?

やつは只者ではない!

みなさんの町にもターバン女、出没するかもしれません。
ご注意ください!


ではでは、今からお勉強タイムに突入します(^O^)
再見!!


写真は、神戸の南京町で優一と。

上海の旅~3・4日目~

2007年03月07日 | プライベート
さてさて、しばらくお休みにしていました旅日記、続きを書いていきたいと思います。
この日記を見て、私が今現在中国に旅立っていると勘違いしている方、違いますから~!
この日記は、今年の2月14日に出発した3泊4日の旅を描いたものでごじゃります。「帰国してすぐに旅日記かけや!」なんてクレームには一切応じませんので悪しからずぅ~!!

我是在日本!


さてさて、3日目。

中学時代、国語の時間に、『故郷』という作品を勉強したことを記憶している人は、意外と多いのではないでしょうか?
人間や身分制度について考えさせられる作品ですが、ここではその内容までは述べません。
その作者である魯迅は、単なる小説家としてではなく、中国人に勇気を与えた偉大な作家として知られています。
彼は学生時代、医学の勉強のために日本に留学しますが、壮絶な光景を目にしてしまいます。
ロシアのスパイ容疑で逮捕された中国人が、日本人によって公開処刑される光景です。しかも、同胞のはずの中国人が、その処刑を無表情に見る光景に大きなショックを受けます。
それまでは、東洋医学に縛られる中国人(例えば、当時の中国人は、人の死は気の衰退だから生身の肉や血を使えば起死回生が可能であると信じられ、瀕死の父親に自分の肉を削いで与える孝行息子の話が伝えられていた)を西洋医学によって解放したいと望んでいた魯迅ですが、これを機に考えを転換します。
中国人を救うのは、医学による治療ではなく、文学による精神の変革であると。

そういう背景を知ってから彼の作品を読んでみると、一段と味わい深いと思います。

代表作『亜Q正伝』『狂人日記』

魯迅の墓がある魯迅公園に足を伸ばしてみました。


魯迅の墓の上にある魯迅像。人気も少なく、凛とした雰囲気に包まれます。


魯迅公園を出てみると、露天市場が開かれています。俺も中国語が喋れたらなぁ・・・


コケー!!かわいそうにこいつは、数分後には首を絞められ、茹でられ、羽根をプチプチちぎられる姿に。


魯迅故居(住んでいた家)前の通り。魯迅故居は、彼が生前住んでいた状態のまま保管されています。周りは同じ感じのアパートが延々と続き、今もたくさん人が住んでます。


守衛さんに撮ってもらいました。家の中は撮影禁止でした。魯迅は小柄だったみたいで、彼のベッドは小さかったです。


多倫路(ドゥオロンルー)文化名人街。かつて多くの中国人作家がここに住んだ。


続いて孫中山故居へ。孫中山は孫文という名でも知られています。魯迅が文学で中国を救いたいと考えたことに対して、彼は軍事力によって清王朝を打ち倒し、中国を救おうと考えました。中華民国・初代臨時大総統。
魯迅より態度が大きいです。


孫中山故居前。魯迅の家が狭くボロかったのと対照的に、とても豪華で広かったです。小説家と革命家の違いですかね。


この旅では、4回スタバに行きました。上海限定のタンブラーを買ったときの店員。代金支払い後、いきなり「サプライズ!」と言って、豚のぬいぐるみをプレゼントしてくれました。いい笑顔でしょ!
彼とはその場で義兄弟の契りを結びました。(ウソ)


西暦247年に創建された龍華寺に行きました。呉の皇帝・孫権がお母さんを偲んで建てたお寺です。当時の日本は弥生時代!
ちなみに、この塔は宋代に再建。高さ40.4m。


中にはいろんな仏様がいて、みなさん熱心に拝んでいました。


危ないとわかっていても、裏道をウロウロしてしまう私。でんじゃあーーー!!


最後の夜!ということで、足ツボマッサージの店へ。エッチな店や怖い店だったら逃げようと思って入ると・・・1時間きっちりやってもらえました☆
横のおばさんとわんちゃんを激写!


上海3日目は以上でおしまいです。
かなり上海を堪能できたのではないかと思います。

4日目はガイドの徐さんとリニアモーターカーに乗って空港へ。


最高時速430km!!俺に乗りこなせないもんなんてない!!(これもウソ)


空港の送り迎えに来てくれたガイドの徐さん。謝謝!


あっという間の4日間。
いろいろなことを学べた旅でした。早く教員採用試験に合格して、いろいろな国を周ってみたいですな。
ここまで見てくださった皆様、謝謝~☆

それでは再見!

ケコーン!!

2007年03月05日 | 携帯から
日曜日、堺の某ホテルで結婚式が行われた。

高校時代、僕が一番エネルギーを注いだことは、エロ本漁りなどではなく、この日の新郎を倒すことだった。
勉強よりも、ガールフレンドよりも、その男の背中を畳に叩きつけるためには、どう行動するべきかを中心に考え、生活していたように思う。今考えると、かなり異常な高校生だった。
と同時に、その男の双子の弟は、僕と同じ柔道部の親友であり、いつのまにかその兄であるヤツともよく遊び、よく笑う仲になっていた。

僕の高校生最後の試合、なみはやドームで行われた大阪総体個人戦(-60kg級)の準々決勝戦、ヤツと対戦した。
それまでの戦績はこちらの2戦2敗。稽古では得意技で投げることができた。最後の試合こそは絶対勝ってやる!と臨んだその試合、終わってみれば、背負い投げで有効を奪われ優勢負け!
ヤツはインターハイ予選に続き、その試合も優勝した。
ということで、恥ずかしながら彼には全敗のまま僕の高校柔道は終わった。

そして大学進学。
ヤツは関西学院大、僕は和歌山大に進学。
もう僕が階級を上げたので、試合で当たることはなかったが、一緒に「全日本学生個人出場」という目標を持ち、それぞれの環境で最大限に努力したつもりだ。
稽古が無い日には二人で遊びに出かけ、よくバカもした。というかしまくった(笑)

結局、お互い大学では目標を達成できずに卒業を迎えてしまう。

彼は警察官に、僕は教員に。
別々の道を選び、最近は連絡も途絶えがちになっていたが・・・

「け、け、結婚やて~!?」

びっくりたまげた!

でも、いい結婚式だった!

奥さんきれかった!

お互いそれなりに年を食ったわけだが、バカな話も真剣な話もできる関係に変わりはない。
そして、今の環境の中、大阪の国体予選で勝ち抜き、一緒に国体に出たいね~って言い合える高校時代からの友は、平畠優一くんだけなのである(^3^)


このブログになんで俺が出てけーへんねん!?って怒りの電話かけてきた優一へ(笑)

結婚おめでとう!!
式に参加して、ホント多くの人にかわいがられ、期待されてるんやな~って感じたよ。
まだまだ柔道でいけるで俺ら!一緒に国体に出場できるようにがんばろーぜ!!
また新居に遊びにいかせてね☆

つながり

2007年03月03日 | 携帯から
中国旅行記は後に回しまして・・・
最近は、年度末の節目ということで、人と人のつながりについて考えさせられることが多くなりました。

義理人情に縛られて生きていくのはイヤじゃー!!って思う自分と、世の中は助け合いやろ!!って思う自分がいます。

縛るのはあんまり興奮しないけど、少しは縛られたいかな?みたいな!
自分でも何が言いたいのかわかりません(笑)

我々はついついひとりで生きていると思いがちです。しかしながら、いろいろな人と人のつながりの間に自分がいるわけであって、そう考えると、しがらみってやつも生きていく上で必要なアイテムなんかなと思ったりもします。

旅に出て、自分の職業や肩書きを失った時、どれだけ自分の能力が通用するのか!?って、最近よく考えます。
もっと柔軟な頭になりたいなぁ。


さてさて、本日は生まれて初めて、フットサルなるものに参加してきました。
私、テクニックは全く無いので、柔道で鍛えた体を武器に精一杯やってみました。
ムチャンコ楽しかった!
いずれは、大胸筋の弛緩・収縮によるリフティングを実現させ、「乾くんはやっぱりテクニシャンやなぁ!俺らかなわんわぁ・・・」って、周りの者にため息をつけさせようと思います。
これから土曜の夜は、初芝体育館の稽古にも行きたいけど、フットサルもやりたいというジレンマで苦しみそうです(*_*)

上海の旅~2日目~

2007年03月03日 | プライベート
2日目は、どうしようか迷いましたが、上海の郊外にある蘇州へ行くことに決めました。
ツアーで行くと、専用車にガイド・昼食つきで1万円くらいします。ガイドの徐さん曰く、中国の春節(旧正月)の前後は、実家に帰省する人が多く、バスや電車の切符は取りにくいので、ツアーをオススメするとのこと。しかしながら、僕はそんなにお金を使うわけにはいかないので、いけるかどうかわかりませんが、自力で行くことに決めました。


現地人ばっかりの駅までタクシーで向かい、試行錯誤の末、蘇州までの高速バスの切符を購入。片道300元(450円)ほど。苦労した甲斐がありました。でも、乗客に日本人ひとりだけ。


1時間30分ほどかかりましたが、無事蘇州に到着。バスターミナルからタクシーをつかまえ、蘇州の名所・寒山寺へ。坊さんいるけど、携帯電話あやつりまくりで少し興醒め(笑)
なんか着メロが、マイクロソフト社のCMの音でした。


蘇州は明・清時代、商人の町として栄えていました。有能な商才を持った商人は、中国各地を駆け回り、OFFの日には遊びまわったことでしょう。その名残か、裏路地の壁には、こんな広告が!でんじゃあ・・・


商品を天秤棒に抱えて商売するおじさん。日本でも、昭和の中頃までは見られたのではないでしょうか?


昼飯はめっちゃ地元の食堂。店長とその息子、そしてその幼い娘、優しい従業員のおっちゃん2人という感じで、とてもいい感じでした。孫はメチャかわいい!
ちなみに、蘇州炒飯は10元(約150円)。めちゃ量が多く、これだけでおなかいっぱいになります。


昼飯を食った後、タクシーで蘇州郊外の胥門(しょもん)へ。
この門の名は、中国の戦国時代に活躍した武将・伍子胥(ごししょ)の名から取られています。

蘇州は、かつて「呉」という国の首都であり、彼は呉王・闔閭(こうりょ)に仕えていました。しかしながら、呉の南方に現れた新興国家の「越」という国との抗争で、彼の主人である闔閭は死に、その子・夫差(ふさ)が即位します。

夫差は、その悔しさを忘れず父の仇を討つため、毎晩堅い薪(まき)の上で寝ます。(これはかなり背中が痛くて、寝るのが大変そうですね。)
そして富国強兵に努めた結果、夫差は越を破ります。破れた越王・勾践(こうせん)は、あえて卑屈な態度を取って降伏を申し込みます。自尊心の強い夫差は、勾践の卑屈な態度を見て、「こんな相手なら命を取るまでも無い」と考え、勾践を奴隷の身分に落とし、命だけは助けます。

これを見逃さなかったのが伍子胥です。
「勾践はわざと卑屈な態度を取り、復讐の機会を狙っています。ここで命を取らないでどういたします?」と、夫差につめよります。
夫差は夫差で、いつまでも自分を子ども扱いする、父の代からの老臣が、疎ましく感じられるようになっていたのでしょう。ついには伍子胥を追放し、剣を与え、自らの命を絶つことを命令します。
この命令を受けた時、伍子胥は周りの者にこう言ったといいます。

「わしが命を絶った後、わしの目玉を門にかけておくがよい。呉の国が滅び、逃走する姿を見届けよう。」

こう言い残した後、夫差から賜った剣で自害します。

さてさて、彼の目玉が本当に門にかけられたのかどうかは『史記』に記述が無いのでわかりませんが、彼が自分の目玉をかけておけと指示した門が、この胥門なのです。

結果としては・・・
呉王・夫差は他国との戦争に勝ち続け、都に豪華な宮殿を建て、覇者となります。しかしながら、手広く活動しすぎたために、財政難に陥るようになります。
一方、奴隷になった勾践は、悔しさを忘れぬため毎晩熊の肝(ムチャクチャ苦いらしいです)を舐め、秘密裏に富国強兵に努めます。
その結果、呉の国が手薄になった機会に乗じて、勾践は兵を挙げ、呉を滅ぼします。
破れた夫差は、「伍子胥の言うとおりの結果になっってしまった。わしは伍子胥に会わせる顔が無い。わしが死んだ後は、首を布で巻いて隠して欲しい。」と言い、自決します。

これが、「悔しさを忘れずに復讐の機会をうかがう」という意味の「臥薪嘗胆」のエピソードです。


蘇州の民家をウロウロ。子ども達が集まって遊んでいます。


生活感を感じさせてくれる町並み。蘇州の町は、明・清時代から時がとまっているようです。
蘇州の家は、なぜか雨樋(あまどい)がありません。雨が降るとどうするんだろう?


夕方に蘇州を発ち、上海へ戻りました。夜は夜景で有名な外灘(ワイタン)を散策。漂亮(ピャオリャン・中国語で美しい)!!


名物・上海タワーをバックに撮影。カメラマンは韓国人の新婚さん☆


帰りにお土産を物色に行くと・・・ブタさんが!で、でんじゃあ~!!

ということで、中国一人旅は3日目・4日目と続くのであります。
次回乞うご期待!!

上海の旅~1日目~

2007年03月02日 | プライベート
少し遅くなりましたが、中国1人旅の旅日記です。文章よりも写真で訴えかけますよ!
残念ながら、携帯からは画像が見れないと思います。堪忍してください。

2月14日、バレンンタインデーに、僕は関西空港から上海へ出発!

向こうに到着するともう夕方。
目的も無く、宿舎の金門大酒店からすぐの南京東路(ナンキントンルーと読む。人民広場から続く上海一の繁華街)をブラブラ。


そんな賑わっている南京東路をひとつ横の筋に入ると・・・こんな感じです。でんじゃあ・・・


ぎゃああああ!!


でも一歩表通りに出ると、こんな感じです。驚くくらいに人、人、人!


1日目の晩御飯。裏道の食堂にて。これで8元(約120円)!

この後も暗い路地をウロチョロしていると、怪しいおっさんに話しかけられる。30分ほど話し込むが、僕の中国語レベルではうまくコミュニケーションが取れないが、僕から金を恵んでもらおうという雰囲気になって着たので再見(バイバイ)!

筆談の記録を後で訳してみると・・・「先生、私は上海の友人に会うためにここへやってきましたが、電車に乗るお金がありません。もし可能ならば、いくらかのお金を援助してもらえないでしょうか?」なんて内容が延々と続いていました。
初日からげに恐ろしい体験をしてしまいました!

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