柔道つながり ~からみつく大外刈~

柔道を通じてたくさんの人と出会い、成長できました。
柔道に興味のある人も、無い人も、コミュニケーションしましょう!

久しぶりの入院生活 〜第1部〜

2018年12月25日 | プライベート
どうも〜。

入院から1週間がたち、病院内での生活に慣れてきて、車椅子を自由自在にコントロールすることに快感を見出すようになってきた37歳です。


今回は、自分の手術内容について書きたいと思います。

①前十字靭帯の再建
→前十字靭帯の損傷(断裂)は、柔道だけでなく、バスケット・ラグビー・アメフトなどの競技でも非常に多いです。膝の皿を抜けないように保護する前十字靭帯は、切れると膝の皿が脱臼しやすくなります。なので、膝蓋腱(しつがいけん)という腱を移植して繋ぎます。

②半月板の縫合
→膝の横でクッションの役割を果たすのが半月板。膝に負担のかかる動きをすると、このクッションにヒビが入ります。そうなると、日常生活でも膝がガクンとずれる感触が生まれ、痛みも伴う場合もあります。なので、ヒビの入っている部分を縫い付けます。


全身麻酔による手術が終わり、気がつくと、ベッドの上に寝ているという状況です。(患者目線)


施術された膝にはニープレスという器具がガッツリ装着され、膝は曲げられないようになっています。また、膝には血抜きのためのドレーン(管)が通っており、これがまた異物感を感じて痛いんです💧
寝姿勢の態勢を変えるたびに、ズキーンと来て憂鬱になってしまいます。なので、僕の場合はナイツの漫才をエンドレスで聴いて、痛みを誤魔化そうとしていました。


術後2日目にして、やっとドレーンが抜けます。
抜けた後に待っているのは。。。

地獄のマッサージです😭

自分のものとは思えないほどパンパンに腫れた膝を、あねさん…いえ、看護師さんの方に揉み解してもらうのですが、これがなかなかハードでした。

「ほらほら、こんなんで痛がってたらあかんでー❗️」

と檄を飛ばされながら、「いたたたたたた❗️」と出てしまう声。

やっと終わったか。。。と涙をぬぐい、車椅子で処置室を出ると、出口には車椅子に乗った女の子が‼️

「みんな聞こえてましたよ〜」

と笑われちゃいました。


しかし、このマッサージのお陰で、カチカチに固まっていた筋肉もほぐれ、リハビリへの意欲も高まりました。少しずつ可動域も広がり、筋力も戻りつつあります。


そんな生活の中で、お見舞いに来てくれる人がいて、とても嬉しく思います。

柔道つながりの後輩・金谷くん。



手術の1週間前に、彼とお酒を飲みました。彼はニュージーランドに長い間住んでおり、英語のコツを聞こうと思っていたのに、ほとんどは違う話でしたね。退院したら、また遊びに行かせてくださーい❗️

他にも職場の方々にも来て頂き、リハビリをしっかり頑張って、早く職場復帰しようと改めて強く思いました。

ありがとうございます😊

久しぶりの入院生活 〜プロローグ〜

2018年12月22日 | プライベート
年の瀬も押し迫ってきました。

僕はというと、夏に膝を負傷したのですが、その怪我の治療のために大阪労災病院で入院・手術となっております。



入院までにやるべきことを付箋に書き出して、これまでにないくらいのスピードでタスクを終えて行きました。やればできるもんだなぁと、我ながら驚かされました。

入院前にやっておくべき(やっておきたい)タスクが、オーストラリアからアシスタント・ティーチャーとして来日していたロニー君とご飯に行くことでした。

彼の前向きでガッツ溢れる姿勢には、本当に刺激を受け、学ばされました。いろんな場面でこの子は偉いなぁと感心させられました。
また会う日もあるだろう、ロニー!
ありがとう。

焼肉をたらふく平らげた後、2人でコメダ珈琲でくつろいでいると、OBの湯河くん(まーくん)と遭遇☆
社会人として活躍しながら、柔栄会から柔道の試合にも出ていて、とても嬉しい出会いでした😊


ということで、こんなにヘラヘラしてる私ですが、この数日後に入院する運命にあるのでした。。。

18日に入院

19日に手術

今年最後の授業は17日。昨年度担任させてもらい、一緒にアメリカへ行った子たちのクラスで世界史Bの授業でした。

すると、こんなサプライズを😭
ホンマにありがてぇ❗️


12年前に左膝の前十字靭帯を、9年前に右膝の前十字靭帯を切ってしまい、そして今年の夏に左膝を。。。

本当にたくさんの人に迷惑を掛けて何やってんだか😞

でも、やるしかないねぇ。

ということで、次回は久しぶりの入院生活を書いていきたいと思います。

オーストラリアからのお客様

2018年12月13日 | お仕事
現在、私の勤務校にはオーストラリアの姉妹校から、約30名の高校生たちが短期留学に来ています。

東京、京都、広島を周って、最後は和歌山で2週間の学校生活を送るというプランです。

昨日は、近隣の小学校へ行き、小学生と交流を持ってきました。僕は送迎の係をしたのですが、僕の隣に座る男の子が日本語で話しかけてくれました。かなり上手なので、いつから日本語を学び始めたのか聞いてみると、まだ1年だけとのこと。

えっ!?

何年も英語を学んできた自分が恥ずかしい。。。

やはり積極性って大切なんだと改めて感じました。

そして、うちの高校生たちもドンドンと彼らに話しかけ、あっという間に友達になっていて、素晴らしいなぁと感心させられました。

彼らから学ぶべきことは沢山ありますし、日本のことを好きになって帰って欲しいなと思います。



僕はと言えば、今月18日に大阪労災病院に入院して、19日に左膝前十字靱帯の再建手術です。
同じ怪我で苦しんでいる人は高校にも結構いて、頑張ろっかと言い合ったりしてます。

それでは、少し早いですが良いお年を。

平成30年度和歌山県高等学校新人柔道大会

2018年11月18日 | 柔道
表記大会が白浜町立総合体育館で行われました。


昨日が女子団体戦、今日が男子団体戦。


【女子団体】
優勝 箕島
準優勝 初芝橋本
第3位 熊野
第3位 近大附属和歌山



【男子団体】
優勝 初芝橋本
準優勝 箕島
第3位 和歌山工業
第3位 和歌山北



優勝校は全国高校選手権大会に出場します。

新しい仲間

2018年10月15日 | 柔道
僕の学校内での部署は、国際理解教育部というところです。
主に、海外留学や国際交流などの仕事をメインにしており、なかなかハードですが、とてもやり甲斐のある仕事でもあります。

現在、5人の留学生がうちで学んでいます。その中の1人であるボエレイ君、体を動かすのが大好きで、サッカー部に入部していたのですが、柔道も体験したいということで、週に2度稽古に参加することになりました。

今日は2回目の稽古でしたが、とても運動能力が高く、飲み込みもはやく、驚かされました。
柔道独特の動きにしっかりと適応し、受け身もマスターしそうな勢いです。

ユーシン(1年)も頑張って英語でアドバイスを送り、コミュニケーションを取っています。

なかなか良い感じです。



お互いが刺激を受け、学び合いながら、良い方向に進んでいくといいなと思います。

そして、11月の新人戦に向けて、考え、実践し、修正し、結果を出せるようにベストを尽くしてもらいます。

祝☆弐段昇段

2018年10月07日 | 柔道
本日は和歌山県立武道館にて昇段審査でした。

基本的には4人組もしくは5人組のリーグで試合を行い、勝つと1ポイント、引き分けで0.5ポイントとなります。都道府県によって規定は異なりますが、和歌山県ではその様な方式で昇段審査を行っています。

3年生のリュートは受験勉強真っ只中ですが、弐段を取るために昇段審査を受けました。

前回の審査で1.5ポイントを得ているので、今回の試合であと1.5ポイントが必要でしたが、1勝3引き分けで見事弐段を得ることができました。

来年1月のセンター試験に向けて勉強が忙しい中、よく頑張りました!

たっちゃん(3年)は受験真っ只中で今回は出ませんでしたが、リュートに続いて弐段を取ってもらいたいと思います。

明日はユーシン(1年)と和歌山大学へ出稽古に行かせてもらいます。
これまでやってきたことがどこまで出せるのか楽しみやなー☆

闘いのステージは人それぞれ

2018年10月01日 | 想い
夏も終わりを迎え、陽が沈むのも日に日に早くなってきました。

高校ではテスト期間に突入し、クラブも自主練となっています。僕の手元には300人分くらいの世界史のテストが集まっており、採点という大切な作業が待ち構えています。。。



ところで最近は、山本KID徳郁の入場曲『I believe』をずっと聴いています。

いい歳して、なんでこんなにセンチな気分になるんだろうと、自分でも不思議に思っています。

どれほど圧倒的に強い人も、輝いている人も、いつかいなくなる。

そんな当たり前の真実にショックを受けているんだと思います。

別に山本KIDだけじゃなくて、どの世界でも圧倒的な輝きを放つ人がスポットライトを浴びては消えていきます。

いろんな敵をなぎ倒して、積み重なった屍の上に立つスターという昭和的な構図、僕はこれに憧れていたんだなぁとわかってきました。

僕の場合、自分が立ちたかったステージは中学校から始めた柔道という競技で、中学から社会人までたくさんのスターを見てきて、憧れて、追いかけて、結局自分自身は目標とする場所まで届くことは出来ませんでした。



しかし、自分がそれなりに経験してわかってきたことは、みんな闘っているということ。若い頃はスポットライトを浴びようという姿勢の人だけが闘っているんだと勘違いしていました。

その度合いやフィールドは違うけど、それぞれが闘っています。

子育てで奮闘するお母さん、病気と闘うおじいちゃん、就職するために面接を受けに行く若者、眠たいけど我慢して学校に行く学生。。。

みんなが何かと闘い続けていて、歴史が続いていく。そんな中で一際輝いて、一時代を築いた山本KIDという選手の死を通じて、昭和の終わりを感じたような気がします。

もう平成も終わりを迎え、どんどん新しい時代が始まって来ている。日本の人口はどんどん減っていく一方で選択の自由はどんどん広がっていく。

凄く寂しい気持ちもあるけど、変わり続けていく世界をじっくり見て、考えて、進んでいくだけです。


先週は、ふらりと卒業生の2人が学校に遊びに来てくれました。2人とも大学を卒業して、新たなステージに上がるということで、これから始まる新生活への意気込みを言葉の端々から感じました。


闘う理由やフィールドは人それぞれ違うけど、お互い初心を忘れず闘っていくのみだ。

とりあえず今の僕は採点に励むのみだ!

神の子の死

2018年09月22日 | 想い
前回は「強さ」についての想いを書きました。

「本当の強さって何なんやろうな〜?」と改めて考えていたら、総合格闘家の山本KID徳郁選手がガンで亡くなったとのニュース。

まだ41歳という若さでした。

個人的には、KIDが若い時、ノックアウトした相手に対してレフェリーが止めるにもかかわらず舌を出して何度も殴り続けた試合を見たことがあって、狂気を感じるくらいのファイターでしたが、年齢を重ねるにつれて穏やかになり、その中に誰にも寄せ付けない怖さを持った雰囲気に変化していったという印象を持っています。
本当に本当に強い選手でした。相手の技を見切る勘と反射神経はNo.1でした。

30代に入ってからは怪我に悩まされ、かつてほどの輝きは取り戻せませんでしたが、僕は勝てなくなってからの方が何故か魅力的に感じました。
前十字靱帯を切ると、自分もそうだったのですが、体重の掛かり方や筋肉の硬さが変化して、微妙に身体のバランスが崩れて大きな影響が出ます。自分と同じ怪我で悩まされているという事も親近感を覚える要因だったのかなと思います。

ニュース記事からの知識ですが、彼はレスリング日本代表を目指したが挫折して、プロ格闘家を目指すも最初はうまくいかず、お金も尽きて、極貧生活の中でとことん追い込んだ時期があったとか。

そうした苦しい時期を抜け出し、実力を開花させて一気にブレイク。

名シーン動画がYouTubeにあがってました。

いや、本当に強かった。

応援していた須藤元気選手との闘い、凄かった。

K-1王者の魔裟斗選手との闘い、勝ったと思ったけどなぁ。

コンテンダーズで柔道家の小室選手と闘った試合もハイレベルな動きが見られて、とても興奮したのを覚えています。

彗星のように現れ、神の子と言われた山本KID徳郁選手のご冥福をお祈りします。



さて、テストが近付いて来ました。

三連休の1日目だけ早朝練習を行いました。ユーシン(1年)の背負投の形も少しずつ良くなってきて、体力も付いてきました。全力で打込100本できるようになったので、次のステップへ移りましょう。
課題である寝技に関しては、まだまだこれから沢山乗り越えてもらわないといけないので、頑張ってもらいます。


部員1人でここまでやれる君は強い!

11月の大会まで、ベストを尽くして行きましょう。

強さへの憧れ

2018年09月16日 | 想い
社会人になってから、「強さへの執着は物凄いです」とある後輩に言われたことがありました。

自分では気付いてなかったけど、そう言われると、人よりも強くなりたい!という気持ちが強く、強さへの憧れがあったなぁと思います。


そんな自分が中学生の頃に読んだ本の中で、最も衝撃を受けたのが、木村政彦先生の『我が柔道』という自伝です。

読んでみての感想は、とりあえず強い。
ほとんど負けないんです。

そして、体から精神、思考、生活、食事、豪快さ…生物としてのスケールが違うんです。

何を取っても尋常ではない木村政彦ワールドに、中学生だった僕は頭をガツンと殴られたくらいの衝撃を受け、感激したのを覚えています。

そして、随所に妙に笑ってしまうというか、凄いなと感心するセンスの話が盛り込まれているのがポイントでした。

仲がよかったヤクザとの交流を開けっぴろげに描いているかと思いきや、個人名まで出したそのヤクザを「ダニのような」と書いてみたり、大学での寮生活で味噌汁にウ○コを混ぜて食べてみたり(そして自分でも食べてみて凄い味がしたと書いてある!)、一度乱取りで膝をつかされたことが悔しくて、包丁を持って相手の家の前まで行ったが思いとどまったり、稽古の時間を1日9時間にして、夜はウサギ跳びと腕立て1000回と木への打ち込み1000回のトレーニングを毎日行ったり、フランスではホテルの窓際にとまっていた鳩を鷲掴みにして圧殺し、コックに料理させたり…

ちょっと自分の常識を超えた世界にいる人なんだなと、畏怖の気持ちを覚えたわけです。


しかし、柔道界を離れた37歳の時、一斉を風靡したプロレスラー・力道山との闘いでは、引き分けにするという約束を本番で破られた上、完膚なきまでに叩きのめされ(YouTubeにも動画があがっています)、死ぬまで複雑な思いを持ちながら75歳で亡くなったのです。

木村政彦最強論を信奉する北海道大学柔道部出身の作家・増田俊也が、15年以上の取材を行い、木村政彦の強さを客観的な視点から分析してまとめ上げた渾身の作品が、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』です。

増田先生は、木村政彦先生の勝ちを裏付けるため、様々な角度から裏を取ってその強さを測定していきます。しかし、一方で力道山の強さも冷静に測っていく上で、自分の中で木村政彦の方が強かったという確信を持てなくなっていくのです。

この過程を見ていると、本当にキツい部分もあるのですが、木村と力道山を取り巻く様々な武人、政治家、女性との相関関係がとても面白く、歴史を感じさせてくれます。
もはや武道の歴史だけでなく、昭和史や日系移民史、社会史の要素も入り、壮大なスケールで木村政彦を取り巻く動きを描いていくのです。

そして、『木村政彦外伝』はそれを補足する内容となっており、一見違う分野の話かと思いきや、全てが木村政彦に繋がっていく内容となっています。




本当の強さとは何なのか?

考えさせられる2冊でした。

土曜の稽古

2018年09月01日 | 柔道
9時より高校で行いました。

部員1人と膝が怖い僕とでどんな稽古ができることができるのか?

本当に試合で勝てるように持っていけるのか?

この夏は色々と悩みましたが…



ユーシン(1年)は黙々とやり遂げます。

この夏を超えて、体力も劇的に付いてきました。ここに来るまで本当に苦しかったと思うけど、ひとつ山を越えたような感覚で受けとめています。

稽古の内容はというと、まずは崩しをイメージさせた1人打ち込みを何度も何度も反復させ、その後はずーっと2人で研究と打ち込みの繰り返し。相四つ、ケンカ四つ、背の高い相手、背の低い相手、奥襟狙い、前襟狙い…

自分が考えられる全てのイメージを使って、対応策を練っていく感じ。

立ち技の後は、寝技の反復。

、三角、逆三角、腕ひしぎ逆十字などの反復をして、あとは僕と時間無制限の乱取り。

投げ込み(投げた後は抑え込むか関節に移行)が終わると、柔道の試合の特性を考えたサーキット・トレーニング。



こんな感じです。

時々、イヴァルや社会人の先輩が稽古に来てくれ、稽古をつけてくれます。本当に有難い。

ベストを尽くし、冬の試合に向けて力を蓄えていこう!



そして、今日は関西学生体重別選手権です。今年は行けないけど、OB達の奮闘を願ってます。
特に最後の4回生は、悔いのない試合を。

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