「説明がわかりやすくてよかったです」
研修終了後の受講者アンケートにこのように書かれていると、思わずホッとします。
こうしたこともあって、弊社では年に何度も担当するようなテーマの研修であっても、業種や職種、階層、個々の企業が抱えている問題や要望をあらかじめ確認して、それに沿ってわかりやすいようなケースを作ったり、紹介する事例を工夫したりしています。
しかし、同時にわかりやすいメッセージを送ることにばかりに集中してしまうことに一抹の不安も感じています。
では、「わかりやすい」ことは本当に良いことなのでしょうか?
実は「わかりやすい」を重要視することについては、これまでにも多くの人が警鐘を鳴らしているのです。
「わかりやすい」という言葉を辞書で調べてみると、「理解するのが簡単である、見つけるのがたやすい、明快である、単純である」などの意味があります。
確かに、わかりやすいメッセージだけを送ろうとすると、どうしても物事を単純化してしまいがちです。本来なら背景などを含めた全体像を伝えるべきであるところを、一部分だけ切り取って、そこだけが重要だというような伝え方をしてしまうことがあります。
さらには、わかりやすさを追い求めることによって、本当は別の見方もあるのにそれを伝えなかったりします。事実は他にもたくさんあるのに、他面的な見方をそぎおとしてしまったりするようなこともあります。
弊社では、研修のテキストは通常はWordで作っていますが、文章が書いてあるWordのテキストは読むのが面倒だから、スライドで紹介したパワーポイントの資料をもらいたい。そのほうが文字が少なくてわかりやすい、と要望する受講者もいます。
しかし、果たしてそれでよいのでしょうか。
一見、わかりやすいことはわかりにくいことよりも良いことだと考えられます。
しかし、その一方でわかりやすくすることによって、考えたり想像したりする「思考」を止めさせてしまうことにつながる面があることも確かです。
実際に、演習で課題に取り組んでいただいても、すぐに答えを見いだせないと考えることを放棄して、すぐに正解を求めてくる方も結構います。
もちろん、考えれば必ず答えを見いだせることばかりではないのも確かです。今はスマホで簡単に検索ができるわけですから、「考えたけれども答えは出なかった。だったら自分で調べてみよう。わかりにくかったから、ちょっと調べてみよう」と考えて実際にそうしてみることが必要でしょう。
以上のことから、弊社では当面の間、研修アンケートの項目から「説明がわかりやすかったか、否か」の質問は外すことにしました。講師の立場からはアンケート結果を見る楽しみ(不安?)はなくなるのはちょっぴり寂しい気持ちもしますが・・・