日々の覚書

MFCオーナーのブログ

新人類

2008年09月29日 23時21分38秒 | スポーツ

そろそろプロ野球も大詰め、阪神独走かと思われたセ・リーグは、ここへきて巨人の猛追もあり、ほんとどっちが優勝するのか分らない、という展開だ。でも、今の阪神と巨人だったら、申し訳ないけど、CSで勝つのは巨人という気がする(笑)

パ・リーグの方は、西武ライオンズがリーグ優勝を決めた。優勝という意味では、6年ぶりらしい。実際には、4年前に日本シリーズで中日に勝って、日本一になっているのだが、この時はシーズン2位で、プレーオフを勝ち上がっての日本シリーズだったので、優勝した訳ではない。とはいえ、西武ライオンズ及びファンの皆さん、おめでとうございます。

ご存知、西武の監督は就任一年目の渡辺久信である。かつて、西武の黄金期を支えたエースだ。1984年ドラフト一位で西武に入団、ルーキーの年から一軍に定着、3年目には最多勝投手となって、優勝に貢献した。ドラフト指名直後の渡辺を見た時は、ただのヤンキーじゃん、って思ったけど(笑)、プロ入り後は、成績もさる事ながら、野球選手らしからぬ言動やファッションで注目を集め、同じ西武の工藤や日本ハムの西崎あたりと並んで、「新人類」なんて呼ばれていた。

そう、20数年前の日本には、「新人類」と呼ばれた若者たちがいたのだ。今じゃ、ほとんど死語だろうね(笑) 

「新人類」とは何か。ま、昨今の若者は、こんな言葉知らないだろうから、一応解説しておく。といっても、大したことはない(笑) 要するに、当時の大人(というか中高年)たちが、常識も通用せず、何考えてるのか分らない若者たちを指して、「新人類」と読んだだけの話。そのちょと前は、宇宙人なんて呼び方もあったみたい(笑) ま、いつの時代でも、大人たちは若者が理解出来ない、というのは当たり前で、そういう点では、若い世代は上の世代から見れば、常に「新人類」だったのだ。それは明治も昭和も平成も変わらない。だから、僕のような中年からすれば、今の10代や20代は「新人類」なのである。

しかし、事はそう簡単ではない。今、若者を「新人類」などと呼ぶことはない、という点から見ても、かつての「新人類」というのは、特別だったのだと言える。この言葉は、特定の世代を指して使う言葉なのだ。その特定の世代とは、どのあたりか、というと、1980年代半ばから後半にかけて20代だった人たち、つまり1960年代(それも前半)に生まれた世代と言っていいと思う。という事は、僕も「新人類」なのである。これこれ、笑うんじゃない(爆)

この1960年代前半生まれ、つまり昭和30年代後半生まれ、というのは、共通言語のない世代と言われてから久しい。団塊の世代でもなく、全共闘世代でもなく、ビートルズ世代でもない。東京オリンピックは覚えてない。力道山なんて知らない。長嶋茂雄は晩年しか見た事ない。特定の世代に共通するアイテムというものを持たない、最初の世代なのだ、という話を僕は大学生の頃に聞いた。なんというか、自分らより上の世代は、「オレたちには東京オリンピックがあった」「学生運動に明け暮れた」みたいな、別にどうでもいいようなことを自慢してるような気がして、「下らん」と思ったのを覚えている(笑)

ま、よく考えてみると、昭和30年代以降というのは、高度成長の波に乗り、日本中が豊かになり、選択肢が増え価値観が多様化し始めた時代なのだろう。国民が一丸になって、何かに熱中する、なんて時代ではなくなりつつあった訳だ。街頭テレビで皆で力道山を応援するとか、銭湯にも行かずにドラマを見るとか、そういう時代ではなくなったのだ。そんな時代に育った世代は、集団より個を重んじ、自分の時間を大切にする傾向がある、なんて当時言われたような記憶がある。

でも、当時の僕は、ちょっと違うように感じていた。多少レベルは違うかもしれないけど、同世代でも、やはり共通の言語、例えばウルトラマンとか大阪万博とかミュンヘンオリンピックとかフィンガー5とか仮面ライダーカードとか、同じように熱中したものというのは必ずあった。価値観の多様化云々とはいうものの、我々の世代だって、皆同じなのだ。上の世代とは、熱中したものが違うだけ。なのに、我々は「新人類」と呼ばれた。何故?

よく言われたのは「付き合いがよくない」、ま、つまり、就職して、上司や先輩に飲みに誘われてもついて来ない、社内のレクリエーション等にも参加しない、会社にいる時には真面目に仕事するけど、残業はしたがらない、飲みにも行かないわ残業もしないわで、アフター5はそんな忙しいのかというと、そうでもなく、まっすぐ家に帰って一人でテレビ見てたりする、と、そういう所が理解出来ない、ということ。当時の僕は、そんなライフスタイルではなかったから、ごく一部の人間を見て、全員がそうであると思い込んでるのではないか、と思ったけど、要するに、僕らより上の世代の常識が、通用しなくなり始めていたって事なんだろう。

僕自身の場合、食っていく為に就職したので(笑)、仕事ならともかく、休日まで会社の人間と一緒に過ごすなんてとんでもない、という意識はあった。休みの日は好きな事をしたかったのだ。けど新米だし、仕事も覚えにゃいかんし、最初の頃は気持ちだけは、仕事優先だった。けど、残業なんて滅多になかったし、上司や先輩に飲みに誘われるなんて事もあまりなかった。我が社は車通勤が多いので、飲んで帰る人は少なかったのだ(笑) ま、でも、食っていく為に働く、なんて言う新人は、やっぱり理解不能だったかも(笑) 今でも、「会社の為に」という意識はない(爆) でも、仕事してない訳じゃありません(眉唾)。

前述の、西武の渡辺や工藤は、プロ野球選手ではあるが、野球に対するスタンスが、それ以前の選手とは違っていたような気もする。かつての選手に見られた、求道的な雰囲気が全くないのだ。どこか、軽く野球をやってるような。でも、彼らは毎年立派な成績を残していたし、怠けていては成績なんて残せないから、真面目に野球に取り組んでいたのは確かだと思う。工藤なんて、若い頃から栄養学やトレーニング理論の本を読んで勉強していたというし。ただ、そういう、いかにも真面目にやってます、真剣に野球に取り組んでいます、というのを周囲に見せようとしなかった。一所懸命やるのは当然だけど、一所懸命やってる、というのを他人に見られたくない、そんな感じかな。

そういうのって、なんとなく分る気がする。努力はする、練習もする、だけどそれをアピールするのはカッコ悪い、という感覚。努力してる所を周囲に見せても、結果がついて来ないと、逆にみっともない、ならば遊んでるように見せて、しっかり結果は出し、「たまたまですよ」とか「まぐれですよ」なんて言ってみる、そういう方がずっとカッコいい。

それと、他人に強要されると、やる気が失せる、というのもあるように思う。やらなければならない事は、自分で分かってるんだから、口を出さないでくれ、という感覚。これも、よく分かる。

そう、渡辺や工藤、西崎といった選手たちの佇まいは、決して『巨人の星』ではなかったのだ。ま、僕も『巨人の星』嫌いだったけど(爆)

と、そんな、やる気あるのかないのか、みたいな「新人類」たちは、今や中年となり、理解出来ないながらも、若者を使わねばならない立場だ。いや、意外と、「近頃の若いもんは分からん」なんて言わないのが、「新人類」なのかもしれない。若い者には若い者なりの価値観があり、それは上の世代には受け入れられないもので、実はそれは当たり前と達観してるのかもしれない。就任一年目にして、若手ばかりのチームを率いて優勝してしまった渡辺監督を見てると、そんな気がするのである。

これからは、旧「新人類」に注目だ!(爆)

コメント (4)
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