大物ミュージシャンの訃報が続いているが、映画界も例外ではない。ロジャー・ムーアが先日亡くなった。享年89歳。慎んでご冥福をお祈り致します。
ロジャー・ムーアは3代目ジェーム・ボンドとして知られている。1973年の8作目『死ぬのは奴らだ』から14作目の『美しき獲物たち』までの7作に出演し、出演数は歴代最多だそうな。ワイルドな雰囲気のショーン・コネリーとは異なる、知的な二枚目というボンド像を作り上げて、007シリーズ人気の長期安定化に貢献した。4代目以降のジェームズ・ボンド役の俳優たちは、ショーン・コネリーかロジャー・ムーアのどちらか、或いは両方をイヤでも意識せざるを得なくなってるらしい。ま、確かに、この二人のイメージ強いよな。
失礼ながら、正直言うと、ロジャー・ムーアは007でしか見た事ない。キャリアが長い人で、ショーン・コネリーよりも年上だった、ってのを聞いて驚いた記憶があるが、007以外の映画は全く見ていない。ただ、前述したように、人気のあった前任者から役を引き継ぐなんて、かなり大変で、出来れば引き受けたくないのでは、なんて思ってしまうが、結果的には違うイメージのボンドを作り上げてしまった、というのは凄いことだ。このエピソードだけでも、なかなかの人だったのだろう、という気がする。
所で、007シリーズだが、第1作『ドクター・ノオ』が1962年公開なので、もう55年も続いている訳だ(ちなみに、僕と同い年。関係ない?爆)。最新作『スペクター』まで24作、寅さんほどではないが、かなりの本数である。最初の頃のプロデューサーは、既に亡くなってるというし、『ドクター・ノオ』の監督テレンス・ヤングも、音楽担当のジョンバリーも、この世の人ではない。当時を知らぬ全く新しい人たちによって、007シリーズは存続しているという事になる。これまた凄いというか、何というか。
僕はスター・ウォーズ・シリーズは一本も見た事ないが、007シリーズは何作か見ている。が、『ロシアより愛をこめて』と『女王陛下の007』を除けば、どれも同じに思えて区別がつかない。だから、何作か見た事はあるが、何を見たか、が分からない(笑) 困ったもんだ(意味不明)。
スター・ウォーズ・シリーズは見た事ないけど、『荒野の七人』はシリーズ全部見てる。と言っても、全部で4作しかないけど(笑) ただ、これはちょっと珍しいかもしれない。スター・ウォーズ・シリーズを見た事がない、というのと同じくらいに(笑)
という訳で、『マグニフィセント・セブン』を見た(長い前振り)
ご承知の通り、『荒野の七人』のリメイクである。リメイクと言っても、基本設定は同じだけど、登場人物は全然違うし、リメイクと呼んでいいのかどうかは疑問。けど、無法者から村を守るために、村民がガンマンを雇うという設定も、ミッションを託すリーダーを決めて、その男が連れて行く仲間を集める導入も、村民たちは最初はガンマン達を敬遠するものの、そのうち一緒に戦うようになるという展開も、犠牲者を出したものの、敵の首領を仕留めてガンマンと村民チームが勝って、ガンマンたちは村を後にするというラストも、ほぼ『荒野の七人』と同じ。だけど、『荒野の七人』と『マグニフィセント・セブン』は似て非なる映画である。
いや、決して、僕自身が『荒野の七人』に強い思い入れがあるもんだから、リメイクを認めたくないんだろう、なんて事は全くなくて、それどころか『マグニフィセント・セブン』は実に面白い。終始映画を支配する緊迫感がなかなかだし、ガンファイトはオーソドックスだけど迫力満点。画面も綺麗で風景も美しく、最後まで飽きる事なく、時間の過ぎるのも忘れて見入ってしまう、極上のエンタテインメントだ。素晴らしい映画である。
デンゼル・ワシントンなんて、カッコ良すぎるのでは、なんて思ってしまうが、そのガンマンたちが、白人だけでなく、黒人、アイルランド人、東洋系、メキシコ系、インディアン、と様々な人種で構成されているのも、今時のグローバルな世界観の表れなのだろう(は?) ガンマンのリーダーは黒人だし。
けど、『マグニフィセント・セブン』は認めつつも、やっばり『荒野の七人』とは違う。何が違うのか。これは、時代の違いと言ってもいいのかもしれないが、映画の雰囲気がまるで違う。悪玉一味対ガンマンの戦い(撃ち合い)を描いたという点では同じだが、『荒野の七人』には全編に、どこか牧歌的な雰囲気が漂っていた。もちろん、緊迫する場面はあるのだが、なんかこう、のんびりしてる感じがあったんだな。そこいらが、ストーリーの割には凄惨な印象になっていない要因なのではないか。のどかな風景や大らかな音楽の影響もあると思う。
ま、50年以上も前のハリウッドと、現在のハリウッドは全然違うだろうからね。同じネタで映画を撮っても、違う物になってしまうのは仕方ないし、それが気に入らないとか、昔の方が良かったとか、そういう事を言うつもりは、さらさらない。『荒野の七人』を知らなくても『マグニフィセント・セブン』は面白いし、『荒野の七人』を知ってるなら、このキャラはこっちではこいつだな、とか、ユル・ブリンナーとデンゼル・ワシントンの新旧のリーダーを比較してみるとか、そういうのを楽しむのもいいと思う。あと、安い報酬で危険な仕事を受けるガンマンたちは、一体何を考えているのか、とかね。単に”男のロマン”なのか、そうではないのか。
そうか、”男のロマン”か。『荒野の七人』が女性にはほとんどウケない理由が、なんとなく分かったような気がする。今さらだけど(爆)
という訳で、『マグニフィセント・セブン』久々にオススメです。是非、見て下さい。で、もし『マグニフィセント・セブン』を面白いと思ったら、『荒野の七人』も見てやって下さいね(笑)
ロジャー・ムーアは3代目ジェーム・ボンドとして知られている。1973年の8作目『死ぬのは奴らだ』から14作目の『美しき獲物たち』までの7作に出演し、出演数は歴代最多だそうな。ワイルドな雰囲気のショーン・コネリーとは異なる、知的な二枚目というボンド像を作り上げて、007シリーズ人気の長期安定化に貢献した。4代目以降のジェームズ・ボンド役の俳優たちは、ショーン・コネリーかロジャー・ムーアのどちらか、或いは両方をイヤでも意識せざるを得なくなってるらしい。ま、確かに、この二人のイメージ強いよな。
失礼ながら、正直言うと、ロジャー・ムーアは007でしか見た事ない。キャリアが長い人で、ショーン・コネリーよりも年上だった、ってのを聞いて驚いた記憶があるが、007以外の映画は全く見ていない。ただ、前述したように、人気のあった前任者から役を引き継ぐなんて、かなり大変で、出来れば引き受けたくないのでは、なんて思ってしまうが、結果的には違うイメージのボンドを作り上げてしまった、というのは凄いことだ。このエピソードだけでも、なかなかの人だったのだろう、という気がする。
所で、007シリーズだが、第1作『ドクター・ノオ』が1962年公開なので、もう55年も続いている訳だ(ちなみに、僕と同い年。関係ない?爆)。最新作『スペクター』まで24作、寅さんほどではないが、かなりの本数である。最初の頃のプロデューサーは、既に亡くなってるというし、『ドクター・ノオ』の監督テレンス・ヤングも、音楽担当のジョンバリーも、この世の人ではない。当時を知らぬ全く新しい人たちによって、007シリーズは存続しているという事になる。これまた凄いというか、何というか。
僕はスター・ウォーズ・シリーズは一本も見た事ないが、007シリーズは何作か見ている。が、『ロシアより愛をこめて』と『女王陛下の007』を除けば、どれも同じに思えて区別がつかない。だから、何作か見た事はあるが、何を見たか、が分からない(笑) 困ったもんだ(意味不明)。
スター・ウォーズ・シリーズは見た事ないけど、『荒野の七人』はシリーズ全部見てる。と言っても、全部で4作しかないけど(笑) ただ、これはちょっと珍しいかもしれない。スター・ウォーズ・シリーズを見た事がない、というのと同じくらいに(笑)
という訳で、『マグニフィセント・セブン』を見た(長い前振り)
ご承知の通り、『荒野の七人』のリメイクである。リメイクと言っても、基本設定は同じだけど、登場人物は全然違うし、リメイクと呼んでいいのかどうかは疑問。けど、無法者から村を守るために、村民がガンマンを雇うという設定も、ミッションを託すリーダーを決めて、その男が連れて行く仲間を集める導入も、村民たちは最初はガンマン達を敬遠するものの、そのうち一緒に戦うようになるという展開も、犠牲者を出したものの、敵の首領を仕留めてガンマンと村民チームが勝って、ガンマンたちは村を後にするというラストも、ほぼ『荒野の七人』と同じ。だけど、『荒野の七人』と『マグニフィセント・セブン』は似て非なる映画である。
いや、決して、僕自身が『荒野の七人』に強い思い入れがあるもんだから、リメイクを認めたくないんだろう、なんて事は全くなくて、それどころか『マグニフィセント・セブン』は実に面白い。終始映画を支配する緊迫感がなかなかだし、ガンファイトはオーソドックスだけど迫力満点。画面も綺麗で風景も美しく、最後まで飽きる事なく、時間の過ぎるのも忘れて見入ってしまう、極上のエンタテインメントだ。素晴らしい映画である。
デンゼル・ワシントンなんて、カッコ良すぎるのでは、なんて思ってしまうが、そのガンマンたちが、白人だけでなく、黒人、アイルランド人、東洋系、メキシコ系、インディアン、と様々な人種で構成されているのも、今時のグローバルな世界観の表れなのだろう(は?) ガンマンのリーダーは黒人だし。
けど、『マグニフィセント・セブン』は認めつつも、やっばり『荒野の七人』とは違う。何が違うのか。これは、時代の違いと言ってもいいのかもしれないが、映画の雰囲気がまるで違う。悪玉一味対ガンマンの戦い(撃ち合い)を描いたという点では同じだが、『荒野の七人』には全編に、どこか牧歌的な雰囲気が漂っていた。もちろん、緊迫する場面はあるのだが、なんかこう、のんびりしてる感じがあったんだな。そこいらが、ストーリーの割には凄惨な印象になっていない要因なのではないか。のどかな風景や大らかな音楽の影響もあると思う。
ま、50年以上も前のハリウッドと、現在のハリウッドは全然違うだろうからね。同じネタで映画を撮っても、違う物になってしまうのは仕方ないし、それが気に入らないとか、昔の方が良かったとか、そういう事を言うつもりは、さらさらない。『荒野の七人』を知らなくても『マグニフィセント・セブン』は面白いし、『荒野の七人』を知ってるなら、このキャラはこっちではこいつだな、とか、ユル・ブリンナーとデンゼル・ワシントンの新旧のリーダーを比較してみるとか、そういうのを楽しむのもいいと思う。あと、安い報酬で危険な仕事を受けるガンマンたちは、一体何を考えているのか、とかね。単に”男のロマン”なのか、そうではないのか。
そうか、”男のロマン”か。『荒野の七人』が女性にはほとんどウケない理由が、なんとなく分かったような気がする。今さらだけど(爆)
という訳で、『マグニフィセント・セブン』久々にオススメです。是非、見て下さい。で、もし『マグニフィセント・セブン』を面白いと思ったら、『荒野の七人』も見てやって下さいね(笑)