こちらを見て下さっている人の大半は音楽好きと思う。となれば、一人や二人お気に入りの歌手やグループがあるだろう。新作が出れば必ず買い、過去の作品も全て持っている、という、単に好きというだけでなく、それ以上の特別な存在というのが。
当然、僕にもそういうアーティストがいる訳で、新作は無条件で買うというのが、少なくとも10人(組)はいる。ただ、言いにくいんだけど、そういう特別なアーティストの新作なのに、個人的な感想としては「今イチ...」としか言えない場合もある。期待してたのに...何度も言うが、特別なアーティストであるので、久々の新作を手放しで褒めちぎりたいのは山々なのだが...しかも、どう転んでも駄作或いは失敗作としか思えない場合はまだいい。決して悪くはない、悪くはないんだけど今イチ...というケースが一番困る。褒める事も貶す事も出来ないからだ。つまり、何と言っていいのか分からない、という訳なんだな(笑)
そういう、“今イチ”だったアルバムたち...
なんと、南佳孝である(笑) 前作から約2年ぶりの新作は、なんとセルフカバー集なんである。ここ数年、彼の作風及び活動はボサノバ或いはサンバであるのは、ファンならご存知だろうが、「モンロー・ウォーク」「スローなブギにしてくれ」「憧れのラジオ・ガール」と言った代表曲をボサノバ・タッチでリメイクしているのが、本作なのだ。いわゆるヒット曲だけでなく、「日付変更線」「Midnight Love Call」などの隠れた人気曲も取り上げゆったりと聴かせる、正に“オトナ”のポップ・アルバムといえよう。ま、確かに悪くはないんだけど、なぜ今セルフ・カバーなのか...
思えば、前作の『Bossa Alegre』も、Rio Novaというボサノバ・ユニットと組んだ、いわば企画モノみたいなアルバムだった。収録曲の大半は、リメイクを含む有名曲のカバーで、ボサノバ風にアレンジして聴かせている。今回の新作も、その企画の延長線上にあるものと言っていいだろう。
ここまで書けば、賢明な皆さんはお分かりですね(笑) 僕は、南佳孝の企画モノなんかではなく、新曲を並べたオリジナル・アルバムを聴きたいのだ。南佳孝のオリジナル・アルバムといえば、2004年に出た『ROMANTICO』が最後で、以来4年間、彼はオリジナル・アルバムを作っていないことになる。もちろん、今回の新作にも新曲は収録されているが、一曲だけではねぇ....
ま、ボサノバな南佳孝も確かに良い。だけど、この手の路線も、本人がやりたくてやってるのか、それともレコード会社の意向なのか、どうも分からない。新曲っつったって大して売れるもんじゃなし、それならば、ボサノバチックにカバーでも歌ってたほうが、一般にはウケるだろう、なんて考える人がいても不思議ではない。僕もそっちの方がまだ売れる可能性がある、と思う(笑) しかし、巷の南佳孝ファンたちは、一体どう感じているのだろう。
売れないかもしれないけど、南佳孝にはオリジナル・アルバム作って欲しいです。リアルで“らしい”新曲聴きたいです。お願いです。2年に一枚ペースでいいですから(笑)
続いてはデュラン・デュランである。お分かりかな(笑) この新作、去年の12月に発売されたものだが、僕が買ったのは今年の1月。ま、そんなことはどうでもいい(笑)
知らない人も多いだろうが(笑)、デュラン・デュランは、20年ぶりにオリジナル・メンバーの5人が集結し、復活アルバム『アストロノート』を出した。2004年のことだ。これが実に素晴らしいアルバムであった。デビューしてから世界的な成功を収めたものの、あれこれあってバラバラになっていた5人が、長い年月を経て再び集った、これだけならよくある話だが、その5人が揃うだけで、こんなに素晴らしいアルバムが作れてしまう、という事実に僕は感動し、この先の活動に大いに期待していた。しかし、やっぱりというか何というか、アンディ・テイラーは再び辞めてしまった。
で、この新作を聴いてると、アンディ・テイラーが辞めた理由が、なんとなく分かるのだ。前作のような、キャッチーでポップで怪しげな雰囲気はここにはない。ティンバランド、ジャスティン・ティンバーレイクといった、僕なんか名前すら知らない、現代のサウンド・クリエイターたちと組んでの新作は、正に21世紀と言わんばかりのハイパーなダンス・ミュージック。悪くない。でも、これはデュラン・デュランじゃない、と僕は思ってしまう。いけないことだと知りつつも(笑)
はっきり言って、再集結したデュラン・デュランが、単に過去の栄光にすがったようなアルバムを作っていたのであれば、たとえ“らしく”なくても、今回のような路線変更は賛成である。でも、彼らはそうじゃなかった。昔の名前も適当に利用しつつ、現代に通用する作品を生み出していたのだ。過去のイメージを引きずらず、かといって否定もせず、そこに新たな感覚を取り込んだ『アストロノート』は、実にしたたかでもあり、デュラン・デュランの才能と可能性を世間に思い知らせた傑作であったと思う。それだけに、これだけやれるのなら、別に違う方向に進まんでも...なんて、残念に思ってしまうのだ。分かって貰えます?(笑)
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ディトアーズ 価格:¥ 2,500(税込) 発売日:2008-01-30 |
最後はシェリル・クロウである。ここでちょっと聞きたいのだが、皆さんはシェリル・クロウに対して、どんなイメージを持っておられるのだろうか?
前作『ワイルドフラワー』から約2年ちょっと。なかなかいいペースでの新作だ。しかし、この約2年の間、シェリル・クロウは大変だったのだ。婚約者と破局し、乳癌と闘い、1歳の幼児を養子に迎え、と人生の転機を一気に3回も体験してたのである。これは凄い事だ。自殺を考えても不思議ではない。そんな中から立ち直り、シーンに復帰したシェリル・クロウはやはり只者ではない。
ま、そういう、あれこれ経験した上での新作が、この『ディトアーズ』である。なんというか、当然と言えば当然なんだけど、実にシリアスな雰囲気のアルバムなんである。そりゃそうだよね。仕方のない事だ。
ここで、最初の質問である。シェリル・クロウのイメージって、どんなだろう? ま、僕の偏見でなければ、彼女は新旧のロックに精通しつつも、マニアックに走ることなく、分かりやすくキャッチーなロックを作ってきた、いわばアメリカのロック姉ちゃんである。ロックンロール、ブルース、カントリーといったルーツ的な要素を根底に持ちつつも、下世話なくらい明るく親しみやすくシンプルなロックが、シェリルの真骨頂だったと思う。しかし、そんなシェリルはこの新作では聴く事が出来ない。この『ディトアーズ』での彼女は、人生や生命などに思いを馳せ、それらと向き合い、見つめる事によって、作品を生み出している。もちろん、悪い事ではない。それによって、このアルバムが非常に奥深いものになっているのは間違いない。リアルなシェリル・クロウがここにいる。でも、重苦しい。
でも、何か違うのだ。かつて見たコンサートでの彼女は、音楽を演奏するのが楽しくてたまらない、という雰囲気を全身から発散しており、見てるこちらまで嬉しくなってしまうような、そんな明るさがあった。そんなシェリルが好きな僕としては、この『ディトアーズ』悪くはないけど、違和感を感じるのである。養子に迎えた男の子に捧げた「ララバイ・フォー・ワイアット」が、こんなに悲しく響くなんて...
そういう、あれこれシリアスな経験をした後だからこそ、シェリルにはもっと明るく陽気にロックして欲しかった、なんて思ってしまう僕は、間違っているのだろうか?(笑)
あ、この3枚とも、決して悪いと言ってる訳ではありませんので、念の為(しつこい...笑)