日々の覚書

MFCオーナーのブログ

想い出のアルバム-GEORGE HARRISON

2006年11月30日 00時02分29秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Georgeharrison

慈愛の輝き/ジョージ・ハリスン(1979)

1.愛はすべての人に
2.ノット・ギルティ
3.ヒア・カムズ・ザ・ムーン
4.ソフト・ハーテッド・ハナ
5.ブロー・アウェイ
6.ファースター
7.ダーク・スイート・レディ
8.永遠の愛
9.ソフト・タッチ
10.イフ・ユー・ビリーブ

既に皆さんご存知のように、ジョージ・ハリスンが11月30日に癌のため亡くなった。ここ数年の闘病生活の末の死である。様々な意味で彼の死に対してやりきれない思いでいっぱいである。

僕はどういう訳か、ビートルズの中ではジョージが一番好きだった。ジョン・レノンとポール・マッカートニーという2大巨頭の影に隠れ、ファン以外の人には非常に地味な印象しか与えなかったけれど、アルバムに1~2曲入っている彼の曲に妙に惹かれたのだ。有名な「サムシング」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」はもちろんのこと、「恋をするなら」「アイ・ウォント・トゥー・テル・ユー」「オールド・ブラウン・シュー」「オンリー・ア・ノーザン・ソング」「フォー・ユー・ブルー」といった一般の人だったら聴き逃してしまうような曲が逆に印象に残り、ジョンもポールも凄いけどジョージだって捨てたもんじゃない、と思うようになっていた。やはり、へそ曲がりだったのかな(笑)

ビートルズ解散後は、ジョージのソロを一番熱心に聴いていた。ポールほどヒット曲は多くなかったけど、その優しげな世界に浸るうちに僕にとってジョージ・ハリスンはフェイバリット・ミュージシャンの一人になったのである。彼のアルバムの中では、初めて聴いたせいかもしれないけど、1975年の『ジョージ・ハリスン帝国』が一番好きだ。とてもジョージらしいアルバムだと思う。一般的には『オール・シングス・マスト・パス』が彼の最高傑作ということになっているけど、3枚組というボリュームや豪華なゲスト陣、かなりスワンプっぽい音などに惑わされて、一ミュージシャンとしてのジョージ・ハリスンの姿がぼやけているような感じがする。それより『オール~』以降の『リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』や前述の『ジョージ・ハリスン帝国』、または1979年の『慈愛の輝き』といったアルバムの方が、ジョージ・ハリスンの特性というか個性がはっきり出ているのではないだろうか。こういう曲を書き、こういうサウンドを好み、このようなギターを弾く人なんだよ、という彼の資質がとてもよく分かるのだ。『オール~』はロック史に残るアルバムだが、ジョージ個人のアルバムとは言い難い。

ジョージが世に送り出した数々の名曲の中でも、僕が最も好きな曲と言っていいのが「ブロウ・アウェイ」である。『慈愛の輝き』収録曲で、シングルカットされてそこそこヒットした。このアルバムは、長い間公私に渡るゴタゴタに悩まされたジョージが初めて子供を授かり、本当の幸せを掴んだ時期に発表されたもので、全てを吹っ切った明るいジョージの表情が感動的だ。彼のキャリアの中でも、この時ほど充実していた時はなかったのではないか、とすら思わせる。アルバムが出た時も湯川れい子氏がライナーでその事について触れ、真実の愛を得ると人間ここまで成長するものなのか、とアルバムを絶賛している。そんなジョージを象徴するかのような曲が「プロウ・アウェイ」なのだ。タイトルが示す通り、イヤな事もコダコダも全て吹き飛ばしてしまえ、と歌う曲だ。この曲を聴くと、自分までが元気になったような気がしてしまう。本当に素晴らしい曲なのである。実のところ、ジョージの訃報を聴いて真っ先に頭に浮かんできたのが「ブロウ・アウェイ」のフレーズだった。病気なんか、ほんとに吹き飛ばして欲しかったのに。

少し話はそれるけど、ロックが誕生して45年近く経過した。つまり、それなりの歴史を持つ音楽になってしまった訳だ。ロックが若者の音楽であった時代は過去のものとなり、アーティストたちも年をとる。必然的に成人病などで亡くなるアーティストも出てくるのだ。今回のジョージ・ハリスンのように。ロック・アーティストの死因といえば、ドラッグ絡みか自殺、というばかりではなくなっている。ロックは年をとった。この現実をかつてのロック少年たちはどのように受け止めるのか。射殺というあまりにもロック的な最期を遂げたジョン・レノンと、癌で死んでしまったジョージ。元ビートル同志の最期はあまりにも対照的だ。もう“伝説”は生まれないのだろうか。

やはり、21世紀を迎え、確実に何かが変わり始めているような気がしてならない。ジョージ・ハリスンの訃報はふとそんな事を感じさせた。

ジョージ・ハリスンよ、永遠に。聞く所によると、彼は亡くなる前にレコーデングしていたマテリアルを自分の死後発表するようにと遺言したそうな。待ちわびていたジョージの新作を、こんな形で聴く事になろうとは...。まだ発表されるかどうかははっきりしないらしいけど。

心よりご冥福をお祈り致します。

断るまでもないが(笑)、上記の文章は、「ジョージ・ハリスンを悼む」というタイトルで、ジョージが亡くなった5年前に書いて、ブログ化する遥か以前の「日々の覚書」に掲載したものである。あの頃は、開設して丁度2年、ようやく10000ヒットを達成したばかりで、当然読んで下さった方も少なかったろう、と思われるので、ここに原文のママ(笑)再録させて頂く事にした。5年経っても、ジョージの命日が近づくたびに、僕は同じ事を思ってしまう訳で、昔と変わらないのなら昔の文章でもよかろう(笑)、という訳だ。5年経っても、考えにブレがないというのは、確固たる信念を持っているからなのか、それとも進歩がないのか...

ジョージの命日が近づいてくると、やはり聴きたくなるのはこのアルバムである。明るく柔らかなトーンで貫かれたアルバムだが、そこはかとなく伝わってくる哀愁がたまらない。いや、哀愁というのは正しくない。哀しいというほどではない、ちょっとセンチな雰囲気、とでも言おうか。ジョージの音楽には、いつもそんな雰囲気がある。優しくて暖かくてちょっぴり哀しくて...聴く人全てを善人にしてしまうような、正に慈愛に溢れた音楽をジョージはずっと作ってきた。同じ元ビートルでも、ジョンのようにアジるのでもなく、ポールのようにメロディの魅力でねじ伏せるのでもない、地味でインパクトに欠けるようでいて、いつの間にか心の中にしっかりと根を張っている、それがジョージなのだ。

「愛はすべての人に」「ブロー・アウェイ」の2大名曲を含むこのアルバム、確かに強烈ではないけれど、そんなジョージの優しさ(はかなさ?)がじわーっと染みてくる。ジョージのアルバムをどれか聴いてみたい、という人には絶対これがお薦めだ。決して『オール・シングス・マスト・パス』ではないので念のため(爆)

文中にもあるけど、ジョージが生前録音していたマテリアルは、一年後にアルバム『ブレインウォッシュド』として発売された。これがまた、聴いてて悲しくなってしまうくらい素晴らしい出来栄えなのである。とても、2~3年後には死んでしまう人が作ったとは思えないほど、ポジティブで若々しさに満ちたアルバムだ。本当に、神は残酷なことをするものだと思った。

今年もまた11月30日がやってくる...いつの間にか、この時期は(ある年代の)ロック・ファンにとっては、次から次へと悲しい事を思い出す季節となってしまった...

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8年目の悲願達成!

2006年11月27日 23時06分39秒 | スポーツ

Paper20061127

既にご存知の人も、少しはおられるだろうが(笑)、Jリーグの横浜FCが、昨日の試合に勝ってJ2優勝と来期からのJ1昇格を同時に達成した。前にも書いたけど、チーム結成から8年、JFLで2年、J2で6年頑張って、ついに来年からはJ1である。これが喜ばずにいられるか(涙) よかったよかった、本当によかった。

ま、昇格しても一年で落ちてしまっては意味がないので、ずっとJ1にいられる様、頑張って貰いたい。ここ数年、大分トリニータ、アルビレックス新潟、川崎フロンターレ、ヴァンフォーレ甲府、といったJ2からの昇格組が結構頑張ってるし、横浜FCもそれに続いて欲しいもの。

ここであれこれ言っても仕方ないので、詳しくは横浜FCの公式サイトこちらをご覧下さい。

でも、とにかく嬉しい(涙) 写真はまた勝手に貰ってきたけど、昇格決定に免じて許してね(爆)

来年の開幕戦、どこが相手か、今から楽しみ(笑)

サッカー好きの皆さん、来期からJ1の横浜FCをよろしくね!(笑)

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A Night At RAG 2006

2006年11月26日 15時30分43秒 | あれこれレポート

今年もまたフレディ・マーキュリーの命日が巡ってきた。あれから15年。その間、予想に反して(笑)、クイーンそしてフレディのファンは減るどころか日を追うごとに増え続け、その評価も高まるばかり。CDは現役バンドの如く売れ続け(イギリス国内で最も売れたアルバムとしてクイーンの『グレイテスト・ヒッツ』が認定されたそうな。ビートルズを抑えての偉業である)、クイーン(フレディ)を題材にしたミュージカルやバレエが上演され、各地で開催される追悼イベントやファンの集いには多くの人がつめかけ、コピーバンドやソックリさんが多数登場し、元メンバーのブライアンとロジャーは休む間もなくクイーンとしての活動を続けている。多くのファンに愛され、多数の若手ミュージシャンたちからトリビュートとリスペクトを受け、クイーンの名前と音楽は、時代を超えたエバーグリーンとなった。本当に予想もしなかったことだ(笑) 何故、クイーンがこれだけ多くの人を魅了し、影響を与えているのだろうか。正直言って分からん。30年ファンをやっている僕だって分からない(爆) 言えるのは、“クイーンが好きだ”ただそれだけ。きっと、皆も同じだろう。

という訳で(?)、すっかりお馴染みとなった、京都のライブスポットRAGで開催される「A Night At RAG Queen & Freddie Mercury Tribute Live」の季節が、またやってきたのである。今年で5年連続5回目。毎回たくさんの人が足を運んでくれて、本当に有り難い事だ。そして、クイーンの根強い人気を実感する。それぞれに趣向を凝らしたトリビュート・バンドたちの熱演も、毎回楽しみだ。今年は、どんなバンドが登場して、どんなパフォーマンスを見せてくれるのだろう。

僕も2002年の第一回に観客として参加し、2回から4回つまり去年まで3年連続で出演させて貰っていたが、今回は出演を辞退し、観客として参加する予定だった。辞退した理由は色々とあるが、それはどうでもいいことなのであって(笑)、とにかく客席でビール飲みながら、皆さんの熱演を楽しむだけのつもりだったのだ。けど、2週間程前に急遽一曲だけ、ドラムを叩く事が決まった。なので、今年は観客でありながら、ちょこっと舞台にも上がる、というやや複雑な立場となったのである(笑)

てな訳で、ライブ当日の11月25日、おそらく紅葉狩りに行くのだと思われる人ですし詰め状態の京阪電車に揺られて、僕は京都へ向かった。昼過ぎにはRAGに到着。一曲だけでもリハは必要だ。で、リハが終わると、一旦外へ出て当日精算券で入場すると、まんまとステージ正面のテーブル席をゲットし、開演を待っていたのであった。

ま、詳細については、出演者の皆さん他のブログで見る事が出来るという思うので(笑)、この先は、個人的に感じた事をうだうだと書き連ねていくことにする。

今回のプログラムは、4バンド(六合 with Jazz、DQ2、RATTLESNAKE SHAKE、Brenda and Her Majesty)のライブ+選抜メンバーによる『オペラ座の夜』全曲演奏+様々な人が入り乱れてのファイナル・セクション、となっていて、若手注目株No.1ギタリストの安達久美氏をゲストに迎えたコーナーもあり、見る前から非常に楽しみだった。なるべく事前情報は耳に入れないように、と関係者のブログやイベント公式サイト等は覗かないようにしていたくらいだ(笑) もちろん、始まってみれば全てが期待通り。ゲストの安達久美氏はテクニックもさることながら、実に迫力あるプレイが凄かった。来年メジャーデビューするそうなので、皆さん是非チェックとしといて下さいよ(笑)

目玉である『オペラ座の夜』全曲演奏は、実に見事だった。個人的には、曲を再現するのはもちろん、アルバムとしての流れを断ち切らないように進行していたのが素晴らしいと思う。

僕が参加したのは、最後のファイナル・セクションなので、出番までの約3時間、ずっと客席で見ていた訳だが、去年までのように出演者として見ている時とは、やはり違う。なんというか、ちょっと冷静だったのだ(笑) そういえば、やはり客として見ていた第一回の時もそうだったかもしれない。出演者の場合だと、自分らの出番以外は盛り上げ役だ、という意識もあったし、何よりも本番前という事でミョーにハイになっていたりして(笑)、ライブが始まると、ホールの後ろの方で歌ったり踊ったり(爆)と、端からテンション高かったけど、見る立場になると、じっくりと演奏を聴こう、という気になってしまう。もちろん、冷静に聴いてはいても、皆さん熱演だし、唸らされる選曲もあったりして、少し経つとのめり込んでしまって、終わる頃には我を忘れてたりしたんだけど(笑)。でも、ファンの為のイベントであり、盛り上がるのは間違いないとはいえ、出演する以上は、一夜限りのバンドであっても、しっかりとしたコンセプトのもとに入念にリハを行い、その演奏や選曲・構成などできっちりと個性を打ち出していかなければ、という至極当たり前の事を改めて強く感じた(決して、我々が去年までいい加減だったとは思わないが、聴いてる方はそう感じたかもしれない、という自戒を込めて)。断るまでもないけど、この日出演した4バンドは、皆そこいらはクリアしていた。これは、あくまでも去年までの自分たちを振り返っての感想なので、決してダメ出しをするつもりはない、というかその必要のない演奏だったので、どうかお気になさらずに(笑)

あと、気になったのは演目である。このイベントも前述したように今年で5回目、毎回同じ事ばかりやってる訳にはいかないから、徐々に選曲がマニアックになる傾向がある。ラストで必ず演奏される(というか、演奏しない訳にはいかない)「We Will Rock You」「We Are The Champions」を除くと、有名なヒット曲だけど一度も演奏されず、今回初お目見えとなったのは「Killer Queen」「Bicycle Race」くらいではなかろうか。シングルではないがファンにはお馴染みの曲としては「Brighton Rock」「In The Lap Of The Gods(これはお初ではない)」があったけど、その他ははっきり言って、かなりマニアックというかシブめの選曲が目立った。『オペラ座の夜』の曲は別として。確かに、そういうのも悪くはないし、コアなファンにとっては楽しみでもある訳で(正直言うと、僕が演奏する側だとしても、マニアックな曲を選ぶだろう)、いい事ではあるけれど、反面観客が合唱できるタイプの曲は少なかったと思うし、それを不満に思う人もいるかもしれない。もっとも、マニアな曲でも一緒に口ずさんでしまうファンも多いイベントであるので、気にしなくてもいいのと思うが(笑) 王道と裏名曲とのバランスをどうとるか、オーソドックスにいくかアバンギャルドに迫るか、完全再現を目指すのか独自の解釈を加えていくのか、来年以降も関係者の頭を悩ますことになりそうだ。 

と、ああだこうだ言ってるけど、ずっと見ていて、やはり自分も演奏したい、という気持になってしまったのは事実だ。その点では、最後近くに一曲とはいえ演奏出来てよかった(笑) 声をかけてくれた、今回のプロデューサーであるsinくんに深く感謝するものである。ま、なんだかんだ言っても美味しい所だけ持っていったなぁ、とJ○nさんややっ○んには言われたけど(爆)

という訳で(??)、今年のA Night At RAGも大盛況のうちに幕を閉じた。関係者の皆さん、お疲れさまでした。今や、日本中にその名を知られるイベントだけに、来年以降も手を変え品を変えて続いていってくれる事を願ってやまない。

個人的には、色々な人に会えたおかげで、イベントとは全く関係ないバンドやライブ、セッションなどの打ち合わせも出来て、とても有意義な夜だった(爆)

最後に、初の試み。

200611252047000

ドラムセットの位置からRAGの客席を撮ってみたんだけど、何が何だか分からんな、これじゃ(爆)

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想い出のアルバム-PSYCHOPATH

2006年11月23日 17時04分54秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Psychopath

PSYCHOPATH/BOφWY(1987)

1.ライアー・ガール 
2.エンジェル・パスト・チルドレン 
3.ロンガー・ザン・フォーエバー 
4.ジゴロ&ジゴレット 
5.ランデブー 
6.マリオネット 
7.プラスティック・ボム 
8.サイコパス 
9.セルロイド・ドール 
10.ファンタスティック・ストーリー 
11.メモリー 
12.季節が君だけを変える

もう20年近くも前の事になるが、BOφWYの人気は凄まじかった。社会現象と言ってもよかったのではなかろうか。アルバムもシングルも出せばチャート一位、コンサートはいつも超満員、あまりの人気ぶりにオヤジ向け週刊誌でも特集が組まれていたのを、見た事さえある。彼らに影響されて楽器を手にした人も多かろう。『イカ天』から火がついて、バンドブームが起きるのはもうちょい後だが、BOφWYやレベッカ、ブルーハーツといったバンドの成功に牽引されてのブームであったのは間違いないと思う。

そんな人気絶頂の中、突如BOφWYは解散してしまう訳で、そのラストギグをオープンしたばかりの東京ドームで行い、さらにその一ヵ月後にラストギグのライブ盤をリリースする、などという実にカッコいい事もして見せたりなんかして、やっぱりスターなんだな、なんて思ったものだ。そう、今にして思うと、BOφWYは実にロックバンドらしいロックバンドだった。ボーカル・ギター・ベース・ドラムという必要最小限の編成といい、ライブもレコーディングもほぼ4人だけで行なった潔さといい、氷室と布袋というフロントに立つ2人が共にカリスマでありスターであった事といい、ストイックなロックバンドとしてのカッコ良さを全て備えていた。基本的な活動は、レコーディングとライブに絞っていたという点も好感が持てる。そういう彼らに憧れてバンドマンを志した若者がたくさんいたであろう、というのは納得できるし、解散後20年近くが過ぎた現在でも、今なお高い人気を誇っているのも不思議ではない。

で、前置きが長くなったが(笑)、この『PSYCHOPATH』である。実質的にはBOφWYのラスト作となったアルバムで、楽曲も充実しているし、小気味良い疾走感も味わえて、なかなかの好盤だ。車で聴くのに最適。実際、僕も友人にこのアルバムを借りて、カセットに録音して車内で聴いていた。このアルバムが出た直後に、彼らは解散を発表したはずで、車で聴きながら惜しいよなぁ、とファンでもないのに残念に思っていたものだ(笑) シングルヒットした「季節が君だけを変える」も好きだけど、タイトル曲や「ロンガー・ザン・フォーエバー」あたりもいい。中でも好きなのは「プラスティック・ボム」で、英語交じりの歌詞がパンク風のメロディとビートにぴったりとはまっていて、実に小気味良い。今でも、ふと鼻歌で歌ってしまうくらい(笑) このように、簡単な英語を日本語と上手く混ぜて、ビートに乗せてしまった所に、彼らの非凡さが感じられる。変に意味を持たせようとしたり、ひたすら日本語にこだわったりしていないのがいいのだ。洋楽を聴いてるのと同等のカタルシスを得ることが出来て、しかも売れた、というのはBOφWYが最初ではないか、とすら思える。正に、“洋楽コンプレックス”のない世代が作り上げた日本語のロックである。

と、なんだかBOφWYを絶賛しているようだが(笑)、僕としては彼らの音楽を聴いてると、曲作りに関して“素人っぽさ”を感じる事がよくある。悪いと言ってるんじゃないけどね(笑) 彼らの曲には、よく使われるパターンがあって、例えば曲構成でいくと、サビのパターンをイントロに持ってきて、少し感じの違うAメロになり、Bメロで半音づつ下がるコード進行が登場する、というのがそれである。で、ここまでは実にカッコいいのに、サビに入った途端拍子抜けする、というのが結構あるのだ。本来、ここまで引っ張ってサビで決める、あるいは盛り上げるはずなんだけど、案外と工夫のないメロディであっさり終わったりして、物足りないというか、勿体ないというか。例を挙げると、「B・Blue」とか「クラウディ・ハート」とか「ワーキング・マン」とかがそのパターンだ。構成がやや違うけど「オンリー・ユー」もそうだな。イントロからBメロまでは凄くカッコいいのに、サビが今ひとつに感じるのである。カラオケで歌ってみると、今イチ乗り切れない(爆) 皆さんは、こういう事を感じた事はありませんか?(笑)

とはいえ、そういう部分もひっくるめてのBOφWYである(意味不明)。カッコよさと同時に親しみやすさも兼ね備えていたからこそ、一大ブームになったのだし、今でも伝説となっているのだ。フォロワーを数多く生んだ、というのも偉大な功績と言える。彼らなくしては、その後のJ-POPの隆盛はなかったかもしれない。そういう点では凄いバンドだった。と、今では素直にそう思う(笑)

所で、BOφWY解散後の氷室京介は、マスコミに姿を見せる事が少なくなったけど、これは髪が薄くなったのを気にしているのだ、とか、氷室と布袋はすごく仲が悪くて、解散の原因は結局そこなのだ、とかいう噂は本当なんだろうか? 誰か、ご存知の方がいらしたら、是非教えて下さい(笑)

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制裁は必要か

2006年11月19日 16時35分44秒 | 時事・社会ネタ

この所、毎日のように、中学生(ばかりではないのか)のいじめを苦にした自殺の報道が相次いでいるが、ついにこういう輩が逮捕された。

「いじめ自殺」中2名乗りメール、42歳女を逮捕
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/bullying_2/story/19yomiuri20061118it16/

実際に自分の所にも、自殺を予告する手紙が届いたという石原東京都知事は、公開された一連の手紙は大人が書いたものと思う、という発言をしていたが、やはりそういうヤツもいたという事だ。当たり前だが、僕も自殺予告の手紙やメールは見てないけど、騒ぎに便乗して当事者を装って予告手紙を送りつける輩もいるのではないか、と思っていた。中には深刻な手紙もあるだろうに、こういう事をする輩がいると、そのうち誰も予告手紙を信用しなくなるのでは、と気になる。

ちょっと前に、いじめに遭っていた事を示唆する遺書を残して自殺した中学生の事件以来、次から次へと自殺関連の報道が飛び交っている。こういった報道に影響されて、いじめを告発する遺書を書いて自殺してしまう中学生もいるのではないか。いじめに悩む子供の背中を押してしまう危険性もあるし、報道を控えた方がいいのではなかろうか。それに、とある新聞で見たのだが、遺書を残して自殺しても、問題は解決しない、という意見もある。なぜなら、いじめをしていた子供は何も感じないからだ。だいたい、いじめたという意識も薄いだろうし、悪い事をしたという気持もない、仮に遺書にいじめた子供の実名が書かれていても、報道では伏せられるから世間に知られる事もない。人ひとり死に追いやるようないじめをする子供なんて、他人に対する配慮とか思いやりとかが、かけらもないからそういう行為をするのであって、同級生が死のうと死ぬまいと、どうでもいいのだ。結局、自殺した子供は死に損でしかない。と、こういう意見だった。

一理ある、と思う。もし、自殺する子供が、遺書を残すことによって加害者の反省を促し、いじめを根絶しようと思っていたのなら、これは全く効果がない。実名で書くことで、報復を狙ったのだとすればなおさらである。相手を反省させるにせよ、報復するにせよ、加害者の子供が、自分は大変な事をしてしまった、と自覚しなければ意味がないと思う。遺書が実名で世間に公表され、顔も名前も住所も知れ渡り、連日のように無言電話やいやがせ電話がかかってきて、家には石や汚物が投げ込まれ、あちこちで中傷ビラがばら撒かれ、外へ出るとバイクに轢かれそうになったりホームで突き落とされそうになったりして、しかも本人だけでなく家族も同様の目に遭い、警察も何もしてくれず、という状況にでもおかれないと、罪の自覚が芽生えないのではなかろうか。だから、どうせ自殺を予告する手紙を送りつけるなら、役所よりはマスコミの方がいいと思う。

いじめにより同級生を自殺に追い込んだ、なんてのは立派な犯罪である。でも、立件はされないだろうし、人権問題とかもあって、いじめた本人は守られぬくぬくと生きていくのだろう。必ずしも厳罰に処すべき、とまでは言わないが、こういった事があっても、全く心に傷を負わずに社会へ出て行くのかと思うとゾッとする。罰を与えなくても、己れのしでかした事を思い知らせることは出来ないのか。そういった意味では、遺書に実名が書かれていたなら、それを公表してもいいのではないか、とすら思う。そういう事例を作らなければ、いつまで経ってもいじめ問題は解決しないのではないか。何度も言うが、今のままでは、自殺した子が損をするだけだ。いじめにより他人を自殺に追い込むような輩は、たとえ中学生であっても制裁されるべきである。

という訳だ。いじめで悩んでいる人は、死ぬのは止めて、マスコミに文書でも送りつけて、この事実を世間に公表する方向に持っていった方がいい。無駄な死を選んではならない。

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