慈愛の輝き/ジョージ・ハリスン(1979)
1.愛はすべての人に
2.ノット・ギルティ
3.ヒア・カムズ・ザ・ムーン
4.ソフト・ハーテッド・ハナ
5.ブロー・アウェイ
6.ファースター
7.ダーク・スイート・レディ
8.永遠の愛
9.ソフト・タッチ
10.イフ・ユー・ビリーブ
既に皆さんご存知のように、ジョージ・ハリスンが11月30日に癌のため亡くなった。ここ数年の闘病生活の末の死である。様々な意味で彼の死に対してやりきれない思いでいっぱいである。
僕はどういう訳か、ビートルズの中ではジョージが一番好きだった。ジョン・レノンとポール・マッカートニーという2大巨頭の影に隠れ、ファン以外の人には非常に地味な印象しか与えなかったけれど、アルバムに1~2曲入っている彼の曲に妙に惹かれたのだ。有名な「サムシング」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」はもちろんのこと、「恋をするなら」「アイ・ウォント・トゥー・テル・ユー」「オールド・ブラウン・シュー」「オンリー・ア・ノーザン・ソング」「フォー・ユー・ブルー」といった一般の人だったら聴き逃してしまうような曲が逆に印象に残り、ジョンもポールも凄いけどジョージだって捨てたもんじゃない、と思うようになっていた。やはり、へそ曲がりだったのかな(笑)
ビートルズ解散後は、ジョージのソロを一番熱心に聴いていた。ポールほどヒット曲は多くなかったけど、その優しげな世界に浸るうちに僕にとってジョージ・ハリスンはフェイバリット・ミュージシャンの一人になったのである。彼のアルバムの中では、初めて聴いたせいかもしれないけど、1975年の『ジョージ・ハリスン帝国』が一番好きだ。とてもジョージらしいアルバムだと思う。一般的には『オール・シングス・マスト・パス』が彼の最高傑作ということになっているけど、3枚組というボリュームや豪華なゲスト陣、かなりスワンプっぽい音などに惑わされて、一ミュージシャンとしてのジョージ・ハリスンの姿がぼやけているような感じがする。それより『オール~』以降の『リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』や前述の『ジョージ・ハリスン帝国』、または1979年の『慈愛の輝き』といったアルバムの方が、ジョージ・ハリスンの特性というか個性がはっきり出ているのではないだろうか。こういう曲を書き、こういうサウンドを好み、このようなギターを弾く人なんだよ、という彼の資質がとてもよく分かるのだ。『オール~』はロック史に残るアルバムだが、ジョージ個人のアルバムとは言い難い。
ジョージが世に送り出した数々の名曲の中でも、僕が最も好きな曲と言っていいのが「ブロウ・アウェイ」である。『慈愛の輝き』収録曲で、シングルカットされてそこそこヒットした。このアルバムは、長い間公私に渡るゴタゴタに悩まされたジョージが初めて子供を授かり、本当の幸せを掴んだ時期に発表されたもので、全てを吹っ切った明るいジョージの表情が感動的だ。彼のキャリアの中でも、この時ほど充実していた時はなかったのではないか、とすら思わせる。アルバムが出た時も湯川れい子氏がライナーでその事について触れ、真実の愛を得ると人間ここまで成長するものなのか、とアルバムを絶賛している。そんなジョージを象徴するかのような曲が「プロウ・アウェイ」なのだ。タイトルが示す通り、イヤな事もコダコダも全て吹き飛ばしてしまえ、と歌う曲だ。この曲を聴くと、自分までが元気になったような気がしてしまう。本当に素晴らしい曲なのである。実のところ、ジョージの訃報を聴いて真っ先に頭に浮かんできたのが「ブロウ・アウェイ」のフレーズだった。病気なんか、ほんとに吹き飛ばして欲しかったのに。
少し話はそれるけど、ロックが誕生して45年近く経過した。つまり、それなりの歴史を持つ音楽になってしまった訳だ。ロックが若者の音楽であった時代は過去のものとなり、アーティストたちも年をとる。必然的に成人病などで亡くなるアーティストも出てくるのだ。今回のジョージ・ハリスンのように。ロック・アーティストの死因といえば、ドラッグ絡みか自殺、というばかりではなくなっている。ロックは年をとった。この現実をかつてのロック少年たちはどのように受け止めるのか。射殺というあまりにもロック的な最期を遂げたジョン・レノンと、癌で死んでしまったジョージ。元ビートル同志の最期はあまりにも対照的だ。もう“伝説”は生まれないのだろうか。
やはり、21世紀を迎え、確実に何かが変わり始めているような気がしてならない。ジョージ・ハリスンの訃報はふとそんな事を感じさせた。
ジョージ・ハリスンよ、永遠に。聞く所によると、彼は亡くなる前にレコーデングしていたマテリアルを自分の死後発表するようにと遺言したそうな。待ちわびていたジョージの新作を、こんな形で聴く事になろうとは...。まだ発表されるかどうかははっきりしないらしいけど。
心よりご冥福をお祈り致します。
断るまでもないが(笑)、上記の文章は、「ジョージ・ハリスンを悼む」というタイトルで、ジョージが亡くなった5年前に書いて、ブログ化する遥か以前の「日々の覚書」に掲載したものである。あの頃は、開設して丁度2年、ようやく10000ヒットを達成したばかりで、当然読んで下さった方も少なかったろう、と思われるので、ここに原文のママ(笑)再録させて頂く事にした。5年経っても、ジョージの命日が近づくたびに、僕は同じ事を思ってしまう訳で、昔と変わらないのなら昔の文章でもよかろう(笑)、という訳だ。5年経っても、考えにブレがないというのは、確固たる信念を持っているからなのか、それとも進歩がないのか...
ジョージの命日が近づいてくると、やはり聴きたくなるのはこのアルバムである。明るく柔らかなトーンで貫かれたアルバムだが、そこはかとなく伝わってくる哀愁がたまらない。いや、哀愁というのは正しくない。哀しいというほどではない、ちょっとセンチな雰囲気、とでも言おうか。ジョージの音楽には、いつもそんな雰囲気がある。優しくて暖かくてちょっぴり哀しくて...聴く人全てを善人にしてしまうような、正に慈愛に溢れた音楽をジョージはずっと作ってきた。同じ元ビートルでも、ジョンのようにアジるのでもなく、ポールのようにメロディの魅力でねじ伏せるのでもない、地味でインパクトに欠けるようでいて、いつの間にか心の中にしっかりと根を張っている、それがジョージなのだ。
「愛はすべての人に」「ブロー・アウェイ」の2大名曲を含むこのアルバム、確かに強烈ではないけれど、そんなジョージの優しさ(はかなさ?)がじわーっと染みてくる。ジョージのアルバムをどれか聴いてみたい、という人には絶対これがお薦めだ。決して『オール・シングス・マスト・パス』ではないので念のため(爆)
文中にもあるけど、ジョージが生前録音していたマテリアルは、一年後にアルバム『ブレインウォッシュド』として発売された。これがまた、聴いてて悲しくなってしまうくらい素晴らしい出来栄えなのである。とても、2~3年後には死んでしまう人が作ったとは思えないほど、ポジティブで若々しさに満ちたアルバムだ。本当に、神は残酷なことをするものだと思った。
今年もまた11月30日がやってくる...いつの間にか、この時期は(ある年代の)ロック・ファンにとっては、次から次へと悲しい事を思い出す季節となってしまった...