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日々の覚書

MFCオーナーのブログ

シューゲイザー

2025年02月24日 11時31分33秒 | 本と雑誌


いきなりだが、レコード・コレクターズ(以下レココレ)最新号の特集は「90年代UKロックの名盤」である。今までにも、レココレが90年代を特集した事は何回かあるが、UKロックに絞ったのは、おそらく今回が初めてだ。何故、今、90年代UKロックなのか、は不明。ひょっとして、オアシスが再結成したからかな(笑)

90年代のUKロックと言えば、なんたってブリット・ポップだよね。全盛期は意外と短かったと言われるブリット・ポップだが、ブラーとオアシスという2大バンドが牽引してた感が強く、実際、この2バンドの新曲が同日に発売されると発表された時は、どちらがチャートの1位になるか、と本国イギリスだけでなく、日本でも盛り上がっていたような記憶がある(結果はブラーの勝ち)。
あと、個人的には、90年代初頭の”マッドチェスター”とか、レディオヘッドの登場などを、90年代UKの重要なムーブメントとして捉えているが、そんなに詳しくない(苦笑) レディオヘッドはやたら評判になってて、後年”レディオヘッド前とレディオヘッド後"とまで言われるくらい、重要なバンドになっていたのは覚えてるけど、そんなに凄いの?というのが正直な所だった(笑)レディオヘッドちゃんと聴いてないし^^;

という訳で、まずはレココレの『90年代UKロックの名盤』からいきましょう(笑) いつもと同じように、レココレのライターたちがセレクトした結果を基に、編集部で130枚選定した、とのこと。で、順位はないけど、おそらく最初に紹介されている10枚が、上位10枚なのだろう、と推測し(この10枚は、見開き2ページ使って紹介されているし)、まずレココレ選定の上位10枚を、ここに紹介させて頂く。

ノーホエア/ライド
スクリーマデリカ/プライマル・スクリーム
愛なき世界/マイ・ブラッディ・バレンタイン
バンドワゴネスク/ティーンエイジ・ファンクラブ
スウェード/スウェード
パークライフ/ブラー
モーニング・グローリー/オアシス
コモン・ピープル/パルプ
OKコンピューター/レディオヘッド
アーバン・ヒムス/ザ・ヴァーブ

見事なまでに、名前は知ってるけど、聴いた事ない、というのばかり(笑) ちなみに、↑の10枚のうち、僕が持ってるのはスウェードとオアシスの2枚だけ。予想通りってとこか。ちなみに、130枚掲載されている中でも、全部で11枚しか持ってない。なので、どうでもいい事ではあるが、その11枚を紹介させて頂く。

スウェード/スウェード
モーニング・グローリー/オアシス
ラーズ/ラーズ
ピルズン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス/ハッピー・マンデーズ
スターズ/シンプリー・レッド
天使のため息/ベル・アンド・セバスチャン
蒼い囁き/シンニード・オコナー
ネバー・ラブド・エルビス/ワンダー・スタッフ
パーバース/ジーザス・ジョーンズ
ギブ・アウト・バット・ドント・ギブ・アップ/プライマル・スクリーム
アンプリファイド・ハート/エブリシング・バット・ザ・ガール

スウェード、ハッピー・マンデーズ、ワンダー・スタッフといった所は、それぞれムーブメントは違えど、当時レコード屋で結構プッシュされてた印象が強い。あの頃は、もっと色々聴かなければ取り残されてしまうと思ってたので、薦められるままに買って聴いてたのだ。1994年頃、なんとなくロッキンオンを買って読んでみたら、編集部挙げてスウェードを猛プッシュしてたもんで、その勢いに負けて買ってしまったような気がする(笑) まぁ、新しいのについていけないとか言われるくらいなら死んだ方がマシ、とか思ってたオールド・ロック・ファンの弱みを、上手い事突いてきた気はするね(笑) で結局、ハッピー・マンデーズやワンダー・スタッフはともかく、スウェードは全く良いと思えなかった。誰にも言わなかったけど(爆)

前にも書いたと思うけど、ジーザス・ジョーンズは、僕にとって新感覚のロックだった。シンプリー・レッドは、以前から好きだったので、新譜のニュースを聞いてすぐ買った。UKロック云々は関係なく、『スターズ』はシンプリー・レッドの名盤と思ってる。ベル・アンド・セパスチャンはレココレの「90年代の名盤」特集を見て買ってみた。

で、ダンサブルな音楽性を打ち出したハッピー・マンデーズやストーン・ローゼス、60年代のポップ・エッセンスを90年代に蘇らせたかのようなブラーやオアシス、良く分からんけど斬新だったらしいレティオヘッド、といったあたりが90年代UKを代表するムーブメントだったようだが、個人的には、今回のレココレの特集を読んでると、まだ他にも90年代の重要なムーブメントがあるような気がする。それは”シューゲイザー”である。

シューゲイザー。独自に調べたところによると、1980年代後半から90年代にかけて注目されたジャンルで、深いディストーションをかけたノイジーなギターと意外に分かりやすくポップな歌メロが特徴。代表的バンドとしては、ジーザス&メリーチェイン、マイ・ブラッディ・バレンタイン、ライド、チャプターハウス、といった所が挙げられる。プレイヤーたちが、エフェクターを見ながら演奏する事が多く、いつも下を向いて演奏しているので、シューゲイザー(靴を見る人)と呼ばれるようになったらしい。僕は、この音楽を愛好する人たちが、下を向いて聴いているので、こう呼ばれるようになったと思ってたけど、ちと違うようだ。

名前が挙がった中でも、特に評価が高いのがマイ・ブラッディ・バレンタインの『愛なき世界』で、レココレだけで見るなら、「90年代の名盤」とか「1991年のベスト・アルバム」といった特集でも、このアルバムは上位に入っている。これだけプッシュされてると興味を持ってしまうのは、人として避けられない事であり(笑)、実際、僕もマイ・ブラッディ・バレンタイン及び”シューゲイザー”に興味を覚えたが、まだ手は出していない(笑)

あちこちで調べてみると、マイ・ブラッディ・バレンタインの『愛なき世界』は、シューゲイザーというスタイルを完成させ、世間に知らしめて浸透させた名盤である、との評価が高い。となれば聴いてみたくもなるが、未知のジャンルでもあり手を出しづらいので、YouTubeで2曲ほど聴いてみた。すると、最初に想像してたほど暗くない。もっとダウナーで暗い音楽た思ってた。それと、ギターが思ってたほどノイジーではなく、むしろクリーンなトーンだった。歌メロも分かりやすい。”シューゲイザー”は、予想してた以上にポップな音楽だった。マイ・ブラッディ・バレンタイン以外のバンドは、まだチェックすらしてないが(苦笑)

僕にとっては、UKロックというのは、ブルース・ロックからハード・ロック、プログレ、ジャズ・ロック、フォーク、トラッド、電子音楽、パンク、と多岐に渡るもので、決してひとつのジャンルで語れるようなものではないのだが、今回の「90年代UKロック」特集を見て思うのは、昔ほどジャンルが細分化されてないってこと。UKでも、ブリット・ポップ以外の勢力は、当時もあったはずだが、重要ではないとの判断で編集部が外したのか。ま、確かに重要ではなかったろうね(苦笑) 僕自身の話をすると、90年代はアメリカを中心としたオルタナ系に興味が集中してて、あまりUKには目配りしてなかったなぁ、という気がする。スウェードに限らず気に入ったバンドが少なかったしね(苦笑) ただ、ここ何年かで知った”シューゲイザー”が重要なムーブメントであったというのは新鮮な衝撃であり、今さらではあるが、”シューゲイザー”に興味を覚えているのも事実。今後は”シューゲイザー”を軸に90年代UKロックを見てみたい、と思う。

こういう事があるから、昔のロックを追いかけるのは止められないのだ(笑)
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ライズ・アゲイン

2025年02月23日 10時53分15秒 | 音楽ネタ
いきなりだが、最近買ったCDから。



ハーブ・アルパートである。最初の頃、僕も間違えていたが、決してハープ・アルバートではない。気をつけましょう。パッと見よく分からないと思うけど(意味不明)

で、改めてハーブ・アルパートである。若い人はもしかするとご存知ないかもしれないので(笑)、一応簡単に解説しておくと、ハーブ・アルパートはトランペッターで、60年代から活動しており、自身のバンド、ティファナ・ブラスを率いて、「悲しき闘牛」「ディス・ガイ」といった曲を全米TOP10に送り込んでいる(「ディス・ガイ」は全米No.1)。この頃は、アメリアッチと呼ばれる、メキシカンな雰囲気を漂わせたサウンドが特徴で、「ビター・スイート・サンバ」は『オールナイトニッポン』に使われたので、知ってる人も多いだろう。また、あの有名なA&Mレコードの創業者としても知られていて、この社名は創業者2人の頭文字から取られたものだ。AはアルパートのA、Mはジェリー・モスのMである。

と、ここまでは、僕も後追いの知識で(苦笑)、洋楽に目覚めた頃、既にハーブ・アルパートは過去の人みたいになってた。70年代以降は地味だったしね。偉そうに言ってるけど「悲しき闘牛」も「ディス・ガイ」も実は聴いた事ない。そんな、過去の人と思ってたハーブ・アルパートが、1979年突如「ライズ」でヒット・チャートに返り咲き、あれよあれよという間にチャートを上昇し、ついに全米No.1になってしまったのには驚いた。当時『全米TOP40』を毎週聴いてたもんで、今でも覚えてる。インストでは珍しく、またハーブ・アルパートにとっても「ディス・ガイ」に続く2曲目の全米No.1だった訳で、しかも「ライズ」は決して昔の名前にすがっておらず、当時の空気を反映したモダンな作風であり、正にハーブ・アルパート華麗なる復活だったのである。ま、この当時ハーブ・アルパートは44歳、ベテランではあるが老け込む年でもない。

で、その「ライズ」をフューチャーしたのが本作である。ジャケットの印象は、当時流行りのフュージョンぽい感じだけど、中味もそんな感じかな。「ライズ」はクールでオシャレでファンキーなインストだけど、アルバムとしてはそういう曲ばかりでもなく、かつてのアメリアッチ風な曲もあるし、ラテン風もあるしで、バラエティに富んでいて飽きさせない。ハーブ・アルパート自身の淡々としたボーカルが聴ける曲もあるし、「アランフェス協奏曲」の哀愁漂うカバーなんて、必殺のテーマみたいな雰囲気。クルセイダースの「ストリート・ライフ」を取り上げている所にも時代を見る目を感じる。曲のタイプは様々だが統一感はあり、全体的にはフュージョン風にまとめたアルバムだが、ハーブ・アルパートのトランペットが独特の世界を作り出していて、さすがベテランという感じ。自身の個性を生かしつつ、当時のトレンドを上手く取り入れていて素晴らしい。

この「ライズ」、曲自体は当時から好きだったけど、アルバム買ってみたのは、昨年のレコード・コレクターズのフュージョン特集の影響であるのは間違いない。まだ引きずっているのだ(笑) ちなみに、そのレココレのランキングでは、洋楽フュージョン部門で21位だった。意外と高い。

続いては、



80年代の歌姫のひとり(と勝手に思っている)シーナ・イーストンの通算5枚目のアルバムのデラックス・エディションである。オリジナルは1984年発表。説明するまでもないと思うが、シーナは1980年のデビュー以降、順調にヒットを飛ばし着々とスターとしての足場を固めていたが、前作より、グレッグ・マティソンのプロデュースの下、アメリカでレコーディングを行うようになった。今にして思うと、それなりに最先端の音を求めてのことだろうけど、それまで売れなかった訳ではないし、アメリカナイズされたレコードをわざわざ作る必要もなかったのでは、なんて思ったりする。

ま、その辺の深い事情はさておき(笑)、この『プライベート・ヘブン』なかなかの出来栄えである。個人的には、デビューしてすぐシーナに飛びついたものの、この頃の作品にはあまり興味が持てず、レンタルで聴くのみにとどまっていた。が、今改めて聴いてみると、やっぱり良いなぁと思ったりする。ご存知の通り、本作からは「ストラット」「シュガー・ウォールズ」の2曲がTOP10ヒットとなり、シーナはコンテンポラリーな美人ポップ・シンガーとしての地位を確立する。やはり、最先端のサウンド、グレードの高い収録曲に加え、巧みに売れ筋も抑えていたりなんかして、そういった戦略的バックアップもあっての成功な訳だ。シーナ自身も結構頑張って成果を出せたのはめでたい。ただ、この後しばらく迷走してしまうのが残念だが。

前述のヒット・シングル2曲がダンサブルな曲であり、アルバム全体もそんな雰囲気はあるが、バラードもAOR風もあるし、ラテンぽい「バック・イン・ザ・シティ」なんかもあって、バラエティに富んだ内容だ。なんたって曲の出来が良いのがいい。このデラックス・エディションは2枚組で、1枚目はアルバム本体プラスシングル曲の12インチ・バージョン、2枚目はアルバム未収録曲やアルバム収録曲の別バージョン、がそれぞれ収録されているのだが、驚くのは2枚目のアルバム未収録曲(シングルB面)のグレードが高いこと。1枚のアルバムにこれだけ良い曲を集めれば、そりゃ素晴らしいものになるわな。また、インストゥルメンタル・バージョン(要するにカラオケ^^;)が数曲収録されているが、これを聴いてると、サウンド・プロダクションの凄さがよく分かる。ほんと一流の仕事だ。そんな一流の仕事に支えられ、シーナ自身も素晴らしい。当時の最先端(流行り)の音ではあるものの、それなりに自己主張が感じられるのもいい。傑作である。

ところで余談だが、シーナのヒット曲「シュガー・ウォールズ」はクレジットはないけど、実はプリンス作というのはよく知られていると思うけど、この曲随分前に”あの”PMRCに、「汚らわしい15曲」として名指しされた中の1曲であるらしい。なんというか、まぁ、タイトルを見ても意味深と言えば意味深だけど...^^; 興味ある方はこちらをどうぞ。
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Turning Back The Time

2025年02月11日 22時29分56秒 | 音楽ネタ
先日、第67回グラミー賞が発表された。なんとなく、グラミー賞の授賞式って2月の終わりみたいなイメージで、今年は早いな、なんて思ったけど、どうなんだろう? 

そのグラミー賞、今年の主要部門は、ビヨンセがアルバム・オブ・ザ・イヤー、ケンドリック・ラマーがレコード・オブ・ザ・イヤーとソング・オブ・ザ・イヤーの2冠、という結果になった。ビヨンセは最優秀カントリー・アルバムも受賞したというから驚きだ。とにかく、おめでとうございます。

個人的には、レコード・オブ・ザ・イヤーにビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」がノミネートされてたのが、意外というかやや驚きだった。

そのグラミー賞ほどではないと思うが、アメリカにはロックの殿堂というのもあり、ここに入るのも一応名誉なことなのだと思う。殿堂入りするミュージシャンは毎年発表されているが、昨年、なんとフォリナーが新たに殿堂入りした。栄誉て言っていいだろう。ちょっと遅いかな、という気もするが(苦笑) 最初のレコードを出してから25年以上経った人(グループ)が対象になる訳だが、フォリナーの場合は47年が経過している。ファン投票と選考委員の投票で決まるらしいが、選考基準に、ロックンロールの発展に貢献している事、みたいなのもあり、フォリナーに対する一般の評価はそんなものなのだろう。仕方ないか。あのイエスですら、殿堂入りは2017年と遅かったし、ま、ファンとしては、ここは素直に喜んだ方がいいのだろうね。ただ、告白すると、僕はフォリナーの殿堂入りを式典が終わって2ヶ月以上過ぎるまで知らなかった(恥) 大変申し訳ありませんm(_ _)m

で、殿堂入りを記念してなのかどうかは分からないけど、タイミング良くフォリナーの新編集ベスト盤が出た。



皆さんご存知の通り、フォリナーってベスト盤がかなりの点数出ていて、はっきり言って訳分からない(苦笑) 実は僕もいくつか持っているが(『Records(1982)』『The Very Best...And Beyond(1992)』『Anthology : Juke Box Heroes(2000)』『40 : Forty Hits From Forty Years(2017)』)、どれも似たような内容なんで、フォリナーのベストはもういいかな、それより新作出してよ、なんて毎回思っていた。そこへきて今回の『Turning Back The Time』である。最初はスルーする気でいたが、新曲が一曲収録されていて、なんとルー・グラムが参加している、なんて話を聞いてしまうと簡単に素通りは出来ず、とりあえずカートには入れておいた訳だ(笑) そしたら殿堂入りを知ったもんで、ご祝儀のつもりと言い訳しつつ注文してしまったのであった(笑)

収録曲は、いつも通り70年代から80年代のフォリナー珠玉のヒット曲がずらりと並び、案の定というか何というか、『Unusual Heat』と『Mr. Moonlight』からは一曲もセレクトされてない。それどころか、ライナーに掲載されているディスコグラフィーでも、この2枚はカットされている。気の毒に。黒歴史なんだろうか...ま、それは置いといて(笑)、何度聴いても色褪せないヒット曲たちは、ほんと素晴らしい。ただ、どれもシングル・バージョンで収録されているのに『Long Long Way From Home』だけはアルバム・バージョンだった。何故だ? ま、いいか(笑)

で、肝心の新曲であるが、結論から言うと、素晴らしい出来映えだ。ま、過去のフォリナーの実績からすれば、これくらいの曲はフツーに作れるとは思うのだが、でも良い曲と思う。なんたって、ルー・グラムが歌っているのである。これだけでも感激だ。曲自体は、ミックとルー、そしてミックと最近一緒にやっているマーティ・フレデリクセンとの3人の共作で、レコーディングはミックとルーに、このマーティ・フレデリクセン(G、Bs、Perc)とエヴァン・フレデリクセン(Ds)(兄弟ですかね)を加えた4人で行われたらしい。録音は最近なのかなぁ。録音日時、場所などの詳細はクレジットがないので分からないが、ルーの声が若い頃とは違うけどルーには違いないし、歌いっぷりだってやっぱりルー・グラムだ!という感じで、実に素晴らしい。今のルーがこれだけ歌えるのなら、喜ばしいというか感動の極致だが、昔の録音かもしれないしな...いや、でも、良いです。どこへ出しても恥ずかしくない、感激のフォリナーの新曲なのである。

先ほど、本ベスト盤のリリースが殿堂入りと関係してるかどうか分からない、書いたが、それは間違いで、やはり殿堂入り記念らしい。ブックレットにミック・ジョーンズのコメントがある。せっかくなので紹介させて頂きます(意訳:MFCオーナー)

「フォリナーの殿堂入りは、私のキャリアに於いて、金で買えない最高の場面である。2024年10月19日は、私、ルー、アル、デニス、リックにとって、感動的な日としてずっと記憶されるだろうし、イアンとエドの家族にとっても、特別な日となるだろう。殿堂の名誉議長ジョン・サイクスと選考委員会議長のリック・クリスは、新しい時代の包括性と関連性の中でリーダーシップを発揮し、殿堂のあるべき姿に反映させた。私たちは、この一員になれた事を誇りに思う。私はこの曲たちのコレクションが私たちをここへ連れてきたと思うし、我々の行き先を照らしてくれるいくつかの最近の録音も併せて、私と同様にそれらを聴く全ての人々もそうだ、と意味する事になるだろう。」

後半は何だかよく分からないが^^;、ま、そういう事なんだろう(爆) ちなみに、断るまでもないが、10月19日は記念式典が行われた日。ま、なんとなくだけど、このコメントに、ミック・ジョーンズの殿堂入りに対する複雑な思いを感じてしまうのは僕だけか?(笑)

僕だけではなく、大半のフォリナー・ファンにとっても、殿堂入りは大した問題ではないと思う。本ベスト盤を聴いてみても分かるように、フォリナーが今までに数多くの素晴らしい作品を発表し、それらをヒットさせてきたという事実が重要なのだ。本作に収録された18曲(新曲1曲含む)は、今までに何度聴いたか分からない、でも今でも聴くたびに新たな発見があり感動がある。実にエバーグリーンな名曲たちなのだ。誰が何と言おうとフォリナーは凄い。デビューから48年、ミック・ジョーンズも80歳になり、正直言うと、新作も来日公演もこの先期待出来ないけど、僕はずっとフォリナーのファンであり続けます。よろしく(って誰に言ってるんだか。笑)
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稲垣潤一コンサート2025

2025年02月03日 18時39分38秒 | ライブレポート


今回は久々にコンサート・レポートである。去る2月1日に茅ヶ崎市民文化会館(めちゃ地元)で行われた稲垣潤一のコンサートに行ってきたので、その模様をレポートさせて頂く。

と言っても、僕は稲垣潤一はもちろん知ってるけど、それほど聴いてた訳ではない。今回のコンサートにしても、妻が行きたいと言ったので(ま、近いし、お値段もリーズナブルだし。笑)、行ってみる事にしたのだ。こう申し上げると大変不遜なのだが、あまり期待してなかったんだけどとんでもない。実に素晴らしいコンサートだった、という事だけは最初に伝えておきます(笑)

さて当日、我々はほぼ会場時間に茅ヶ崎市民文化会館に着いた。コンサートもさることながら、この茅ヶ崎市民文化会館に来るのも実に久しぶりだ。一体、何年振りだろう。思い起こせば、茅ヶ崎市民悲願(ちと大げさ^^;)のホールが完成したのが1980年のこと。当時、僕は高校の吹奏楽部で、イベントやらコンクールやら演奏会やらで、あちこちで演奏する機会があったのだが、近隣の藤沢、平塚、厚木、伊勢原といった市には、1000~1500人くらいを収容出来るホールがあったけど茅ヶ崎にはなく、いつもやや遠い所まで遠征してて、地元にホールがあったらいいのに、とずっと思っていた。なので、茅ヶ崎市民文化会館が竣工した時は、ほんと嬉しかったし誇りに思ったものだ(予想以上に立派なホールだったので)。

あれから45年、文化会館はまだ現役だ。何年か前に大規模な改修を行ったはず。正直言うと、文化会館の収支とか全く知らないので、利益が出てるのかどうかは不明だが、展示室は市民団体がよく利用しているようだけど、大ホールも小ホールも、もう少し興行を入れた方がいいのでは、なんて思ってしまう。いわゆるプロ歌手のコンサートは月1回程度だし(ちなみに3月には南こうせつのコンサートが開催される。完売だそうな)、あとはローカルな音楽イベントや地元のオーケストラの演奏会がほとんど。そういう地元に目を向けた運営というのは実に良い事なので、このまま続けて欲しいが、もっと客が来て稼げる興行もやったら、と思ってしまう訳だ。ま、いいけど。(参考までに、僕は茅ヶ崎市民文化会館ではローカルなイベント以外だと、阿川泰子とハイ・ファイ・セットを見た事がある)

と、茅ヶ崎文化会館の事ばかり長くなってしまったが、稲垣潤一である。会場に入ってみると正に満席。観客は世代的には、僕と同じかちょっと若いかな、って感じ。2階席ステージから見ると、向かって左からキーボード・ドラムセット・アンプ2台という順に並んでいて、割にシンプルなセッティングだった。これくらいの方がいいよ。近頃というか、いつ頃からか忘れたが、ステージ上にやたらと人や機材や大道具が並ぶようになって、肝心の歌手が見えないとかいうのが当たり前になってる感もあり(ステージがやたら広いというのもあるけど)、こういうシンプルなセッティングだと感激する(笑)

と、そうこうしてる間に定刻となり場内の照明が落ちBGMが消え(ちなみに、BGMはザ・バンドでした)、ミュージシャンたちが暗がりの中ステージを移動し、そして演奏が始まった。よく知らないけど聞いた事ある曲(「雨のリグレット」だったかな)がオープニングだったが、驚いたことに、稲垣潤一自身がドラムを叩きながら歌っていた。いや別に、この人ドラマーというのは有名なんで、驚くにはあたらないのだが、でも驚いた。しかも結構上手い。バンドとも馴染んだ感じで、2曲目も続けてドラム&ボーカルを務めていたので、もしかしてずっとこれでステージが進むのか、なんてちょっと期待したら、やっぱり3曲目の時に、ドラムセット離れてフロントに出てきた。そりゃそうだよね(笑)

ちなみに余談だが、稲垣潤一がドラムセットを下りると、当然、別にドラマーがいて、3曲目以降はその人がドラム担当なのだが、この人なんと左利きだった。稲垣潤一は右利きなんで、よく短時間で交代出来たなぁ(ちなみに、ドラムセットは1式だけで、二人とも同じセットを使っていた)、と感心したのもつかの間、このドラマー、左利きだけど右用のセットでプレイする人だったのが、演奏始めたらすぐ分かった(笑) それなら、交代もそれほど大変ではない。ハイハットやらスネアやらの位置変更が必要ないからね。ドラマーが左利きだけどセットは右用、というのは単なる偶然なのか、それともそうでないのか。ま、こんな事を考えてたのは、あの時会場にいた1300人ほどの中では僕一人だけだったろうね(爆)

で、このドラマーがまた上手いのだ。稲垣潤一も結構上手いというのが分かったけど、それ以上。そのせいもあり、今回実にバンドが素晴らしかった(ギター、ベース、キーボード、ドラム、コーラス各1名の5人編成) もちろん、メインは稲垣潤一で、彼の歌も実に素晴らしかったのだが、バンドがいいので、より素晴らしいものとなった。

という訳で、テレビ等を含めても、稲垣潤一を見るのは実に久々だ。30年振りくらいかな。2階席から見てると、昔と全く変わってない。本人がMCで言ってたけど、今72歳だとのことで、それが全くの嘘であるかのように、見た目だけでなく、その透き通った歌声も全然あの頃のまま。いやいや凄いな。もちろん節制してるんだろうけど、ずっと維持してるのがとにかく凄い。よく山下達郎や小田和正が、70過ぎても衰えない歌やパフォーマンスを披露してるとかで、凄い凄いと、ほんと神のように扱われているが、稲垣潤一も同列で評価されても全く遜色ないのでは。

ま、その歌声もそうだし、全くバンドに負けない声量も保ってるし、MCも喋り過ぎず良い感じだし、演奏もコーラスもいいしで、素晴らしいコンサートでした。予想以上に良かった。稲垣潤一の音楽はシティ・ポップの範疇で語られがちだが、曲調がバラエティに富んでて、飽きずに聴けたのも良かったと思う。アンコールも含めて(ちなみに、アンコールの一曲目はまた稲垣潤一がドラム)この日演奏されたのは、全部で15~6曲だったと思うが、僕が知ってたのは2曲だけ(「雨のリグレット」と「1ダースの言い訳」)、正直言うと、もっとヒット・パレード的なセットリストなんじゃないか、と予想してたんだけど、全く違ってた。しかし、「ドラマティック・レイン」も「クリスマス・キャロルの頃には」もやらない、という所に稲垣潤一の自信というかプライドを見た気がします。俺はまだ懐メロ歌手じゃないんだぞ、ってとこかな。実に素晴らしい。

という訳で、レポートになってないけど、稲垣潤一のコンサート・レポートでした。また見たいな。

で、これだけで終わるのも何なので...


1984年のシングル「オーシャン・ブルー」である。僕が持ってる稲垣潤一の音源は、実はこれだけ^^; B面の「あの頃のまま」と合わせ、2曲ともユーミンの作詞作曲(厳密には、A面は松任谷由実、B面は呉田軽穂、となってる)。
「オーシャン・ブルー」のオシャレだけど静かな雰囲気が好きで、シングルを買ってしまった。ほんと静かというかクールな雰囲気の曲で、サビとかでも盛り上がりそうなのに静かになる、って感じ。アレンジは松任谷正隆で、絶対に盛り上がらないように持ってくのがさすが、ってとこかな(笑)実は凄い曲だと、久々に聴いてみて感じ入った次第。「あの頃のまま」はがらりと雰囲気変わって、なかなかリアルな歌詞なんだけど、さらっと聴かせるのがユーミンそして稲垣潤一の上手いとこかな。

それにしても、久々に行った茅ヶ崎市民文化会館、しばらく前に改修始めた時、一瞬取り壊すのか、なんて思ったけど、続いていて何より。自分にとって思い入れの強い場所であるし、ほぼ同時期(1979年)に開業したイトーヨーカドー茅ヶ崎店が今年1月に閉店してしまって、こちらもちょっとしたシックだったりなんかして、やはり自分の若い頃を象徴するような建物等がなくなると、悲しいものがある。文化会館、まだまだ頑張って欲しい。
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「脱」年賀状

2025年02月02日 14時07分23秒 | 与太話
2月になった。

2月のネタとは違うと思うが、ここ何年かで年賀状が絶滅の危機にある。僕は毎年友人知人の皆さんに年賀状を出しているが、2~3年前から「今回を以って年賀状は遠慮させて頂きます」と書かれた年賀状を受け取る事が多くなってきた。当初は割と高齢の人からの通知が多かったので、年齢と共に年賀状書くのが面倒になってきたのだろう、なんて思ってたけど、近頃は同年代の人からも「年賀状やめます」なんて通知が来るようになり、年齢とは関係なく「脱」或いは「卒」年賀状の動きが広がっているようだ。ちょっと淋しいものがある。

実際の所、「脱年賀状」の動きはコロナ禍の頃から徐々に広まっていたような気がする。プライベートもさることながら、取引先からも「脱年賀状」の連絡が来るようになり、2~3年前には、我が社も年賀状をやめてしまった。ま、個人はともかく、会社で出す年賀状というのが意外と面倒臭くて、10月頃には各部署ではがきが何枚必要か申請せねばならないので、まだそんな気分じゃないのに、どこの誰に年賀状送るか決めないといけないし、出すに当たっては、取引先の人の役職やら何やらちゃんと調べないといけないし(A印刷のB専務宛てに年賀状送ったら、Bは昨年の株主総会を以って退職しました、なんて言われた事も多数)、宛名印刷して投函するスケジュールの都合上、11月中には送付先リストを作らないといけないし、そのリストも担当者別に集めるのだが、遅い奴とか間違ってる奴とかいるし、結構手がかかって大変なもんで、会社の「脱年賀状」はそれなりに有難かったのだが、プライベートの場合、友人知人への新年の挨拶はもちろん、僕の場合は生存確認、つまり自分はまだ生きてますよ、と皆さんにお知らせする目的もあるもんで、おいそれとやめる訳にもいかない。ま、僕が生きてる死んでるか、なんて大半の人からすればどうでもいいことであろうが。

年賀状を送らなくなる、というのは、日本の古来からの風習がまたひとつ消えていく訳でもあり、時代がそうですからねぇ、では済まない気がするのだが、現在のような年賀状のシステムが出来たのは、19世紀の終わり頃らしい。年賀状はハガキで、12月○日までに投函すれば1月1日に配達しますよ、というお馴染みのアレだが、19世紀の終わりならちっとも古来じゃないじゃん、と言われてしまいそうだが、新年に知り合いを訪問して挨拶する、というのは平安時代には確立されており、遠方の人には文書を送る、というのもこの頃から行われているそうな。ま、古来からの風習には違いないし、この先も持続させたいもの。今のようなシステムでなくてもいいから。

しかし、思い起こしてみると、昔というか小学生から高校生の頃にかけては、毎年熱心に年賀状に取り組んでいたような気がする。それこそ、11月くらいには図案を考え始め、12月初旬には全て印刷(全て手書きの方が多かったけど)して宛名書きも完了させていた。毎回40~50通くらいは出してたと思う。今思えば、デザインを考えたりするのも楽しかったような。僕はあまり使わなかったけど、プリントゴッコなんてのも流行ったなぁ。社会人になってから、年賀状を印刷所に頼んだりしてた事もあった。あの頃は、ハガキの印刷とかやってくれる小さな印刷所が、商店街とかに結構あったのだ。パソコンが普及してハガキは家で印刷するのがフツーになって、町の印刷所は徐々に姿を消していった。年賀状はこういう所にも影響を及ぼしているのだ。

僕も、実は年賀状というか年賀ハガキを送っていなかった時期がある。ある年、自宅で年賀状を印刷しようとしたら、プリンターの故障かインク切れかよく分からないけど、とにかく印刷が出来ず、年末ギリギリだった事もあり、その時は年賀状発送を諦めたのだが、結局それがそのまま数年続いてしまったのだ。年賀状をメールで送る、という方法もあったしね。で、年賀ハガキは送らないけど年賀メールは送る、というパターンが何年か続いた後、結婚と同時くらいに年賀ハガキ再開して現在に至るという訳だ。

ネットで見てると、ハガキにせよメールにせよ、年賀状の前に住所録の整理をする人は多いようだが、大半の人たちは、整理する=減らす(削除する)という事になるらしい。しばらく会ってないから、しばらく交流がないから削除、ってとこかな。しばらく会ってないのしばらくとはどれくらい、と思うが、長くて一年みたいな感じ。ま、若い時は分かる。自分もそうだったけど、今と未来が大事で、しばらく会ってない古い友人、なんてのはさほど重要じゃなかった。新しい知り合いは、それなりに増えていくしね。ここ数年の自分は、久しく会ってない古い友人が気になるし、会わないにても連絡は取れるようにしておこう、という気になったもんで、住所録から削除、なんて考えもしないが、それはやはり年を取ったからなのだな、とつくづく思う。ま、年取ったからこそ、住所録から知り合いを削除していく人もいるようだが。

先ほど、年賀状はハガキでなくメールで、と書いたが、こういうのは今でもフツーにあるらしい。”あけおめメール”とか言うらしいが、僕も一時期元旦に”あけおめメール”を送っていた。これはこれで良いのでは、と思うけど、最近どうもそのメールの在り方が、昔と違ってきた気がする。ここ2~3年気になってるのだが、最近メールなんて見ない或いはしないって人多くない? 久々に知り合いにメールしたら、このアドレスは存在しません、とか言われるならまだしも、何も言ってこないので、このアドレスはまだ有効のようだな、と思ったはいいが、ちっとも相手から反応がない、というケースが何回かあって、しょうもないメールなんで無視してるんだろう、とは思うけど、実は見てないんじゃないか、メールチェックとかすらしてないんじゃないか、という気になったりもするのだ。でも、メールもSNSもやってなくて、どうやって外部と連絡とるんだろう? LINE? そういう人たちにこそ、手紙やFAXを有効活用してほしいものだが(笑)

たがだか年賀状と思うけど、「脱年賀状」となると、色々なところに影響が及ぶ。いや、年賀状だけの問題ではない。一般人が手紙を書かなくなって、郵便物が減っている、というのは以前から聴いてたけど、最近は、テレビCMでもお馴染み、請求書もネットで送る時代になってきて、CMでもはっきりと郵便料金をゼロにします、と謳ってたりなんかして、とにかく郵便物がなくなっているのだ。個人だけならともかく企業の郵便物がなくなると打撃デカいと思う。世界に誇る日本の郵政システムが消滅の危機なのである。でも確かに、色々考えると、郵便もある意味存続が難しい面はあるね。

前述したように、近年「脱年賀状」の傾向にあるが、その目的は、めんどくさいというのがほとんどであろうが、ゴミを減らすというのもあるのだろう。ま、親しい人からの肉筆の手紙ならいざしらず、DMだの何だのは、用が済めばゴミでしかない。コロナ禍をきっかけとして、年始の挨拶の概念も変わり、それに伴い年賀状の意味も変わってきた、というのもあると思うし。

それにしても、今までずっと当たり前と思ってた習慣や風習や概念が、時代の変化と共に消えたり変化したり、というのを年賀状だけでなく、色々な事でひしひしと感じている。予想すらしてなかった、というのも多い。こういうのに慣れていかないといけないのだろうが、僕が小さい頃にも、こういう変化を体験した年配者は多数いたと思うけど、皆さん、どう思っていたのだろう。仕方ないね、だったのか、世も末だ、だったのか。こういうのを通過していくのが、年を取る、という事なんだろう。で、ついていけないのが老害だと(笑)
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