日々の覚書

MFCオーナーのブログ

上海サプライズ~上海旅行記・その3

2019年04月14日 23時32分10秒 | 旅行記
上海旅行記・その2から、またもや間が空いてしまった。もちろん、その間にも世間では色々な事があって、20年振りの新札が発行されるとか、ブラックホールの撮影に初めて成功したとか、大きなニュースが新聞・テレビ・ネットを騒がせていた訳で、そうなると、たかだか一サラリーマンのせいぜい3泊4日の上海旅行記なんぞ、何の価値もないのだが(笑)、でも一応アップさせて頂く。今回は、第3弾にして最終回という事で、上海グルメ編をご覧下さい(なんのこっちゃ)

と言いつつ、今回宿泊した部屋からの眺望など。



さて、上海グルメ編ではあるが、正直申し上げると、滞在中は、ほとんど中華料理しか食べていない。ま、中国に行ったのだから当たり前、と言えば当たり前なのだが、同じような写真ばかりでつまらん、とご不満の向きもあるだろう。ま、とにかく、そういう事(とーゆー事?)なんで、ご了承下さい^^;

という訳で、唐突だが、2日目、某所での昼食。

 

 

一枚目の写真に麻婆豆腐みたいなのが写っているが、なんとなく気づかれた人もいるだろうけど、これは麻婆ではない。確かに、角切りにした豆腐を煮込んだ料理ではあるが、全く辛くなくて、卵とじみたいな感じ。他の料理も、辛いのは一品くらい、それも豆板醤の辛さではなく、ししとうのような辛さだった。全体的に辛くなく、味付けも薄めで、日本人がイメージする中華料理とは違うものだ。

続いては、2日目の夕食。

 

 

ここは、北京ダックの専門店らしく、テーブルに着いたら、すかさず北京ダックが出てきた。これは美味かった。日本で食べるのより具も多かったし。それ以外は昼飯と大差なし。辛くもなく、刺激の少ない中華料理。食べやすいけどね。ビールもライトな感じ。バドワイザーみたい。

そして、3日目の昼食。

 

 

まぁ、あまり変わりばえなし。麺類が出てきたのは初めてかも。上海地区では、素材の味を大切にする調理法なのかもしれない。

ここで、ちょっと脱線(笑)
個人的に面白いと思った中国語の看板等。



日本風に言うならコンビニなんだろうか。蘇州の寒山寺の土産物店なんだけどね。確かに、何でも売ってるように見えたけど。店番の女性がひたすら喋り続けてて、とても賑やかだった(笑)



チョコレートは、中国語ではこうなるらしい。



とある工場で見かけた。これが貼ってある場所は、検査が終わった完成品を置いておく所なんだけど、放置ってのはないでしょ(笑)



上海では、高層ビルには、こういう看板が掲げられていた。なるほどね。日本語のパソコンでは出てこない漢字なのが残念。

という訳で、閑話休題。

さて上海グルメ・シリーズ、続いては、ホテルでの朝食である。







上から順に、2日目の朝、3日目の朝、4日目の朝、となります。こっちも大して変わりばえしてないな(笑) 正直言うと、ここの朝食バイキングは、種類が少なかったように思う。メインの料理が特に。だもんで、パンとサラダしか食べてないかのような写真になってしまうのだ(笑) 最後の朝食は、そばと具を自分で選ぶと茹でてくれる、というのを発見したので、食べてみた。これが一番美味かったかも(笑)

あ、余談だが、このホテルの朝食レストランは、従業員がてきぱき仕事してる、と言えば聞こえは良いが、てきぱきし過ぎで、料理を食べ終わってコーヒーを取りに行って戻ってきたら、自分が座ってたテーブルが、早くも片付けられていた、という事もあった。もちろん、そのまま、そのテーブルでコーヒー飲んだけど。他の客が来る前で良かった(笑)

さて、再び脱線するが(笑)、上海市内の高速道路には、植物が植えられている、こんな感じ。



水は、誰が、どうやってやるのだろう?(爆)

さてさて、上海クルメ・シリーズ、最後は機内食である。正直言うと、これが一番良かったかも(笑)

 

左が行き、右が帰り。どちらもチキンだったかな^^; もちろん、ビールも一緒に飲んでました(笑) 帰りはワインにしたけど(笑)

ついでに、初日、上海に到着したら、軽食を渡された。機内食を食べていたとはいえ、確かに半端な時間だったので、気を遣ってくれたのだろう。

 

持ってると荷物になるもんで、移動のバスの中で食べてしまった(笑)

という訳で、初の上海旅行記も、これで終わり。最後までお付き合い頂いて、ありがとうございました。

で、お約束の、今回の収穫。



割に少ない(笑) 今回は上海という事で、特に土産のリクエストもなかったし(笑)

てな訳で、初上海の印象は、思ってた以上に都会で驚いた、という感じかな。あと、料理が意外と薄味というか淡泊だったこと。また行きたいか、と聞かれると....ビミョーだなぁ(爆)

最後にまたしても余談。

帰りの飛行機で、『ボヘミアン・ラプソディ』上映してた。

 

ずっと見てたのは『アリー』だったけどね(でも、全部は見てない。笑)
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蘇州夜曲~上海旅行記・その2

2019年04月06日 22時52分01秒 | 旅行記


上海旅行記第二弾の更新が滞っている間に、世間はすっかり桜の季節。そして、新元号も発表された。遅ればせながら、平成に続く新しい元号は『令和』。出典は万葉集からという事で、ずっと中国の古典から引用されてきた日本の元号だが、初めて日本の書から元号が誕生した、というのはやはり画期的な事だと思うし、新たな時代を迎えるにふさわしい決断ではないかな、と単純に思う。響きもなかなか良いし。来月から『令和』と共に新しい時代が始まるのだと思うと、ほんとワクワクする。僕は『令和』大歓迎です。

『令和』の出典は万葉集、とのことではあるが、テレビで専門家が、中国の古書「文選」に『令和』の典拠となった万葉集の「初春令月氣淑風和」と似た言葉があり、万葉集は8世紀、文選は6世紀の成立で、万葉集は少なからず文選の影響を受けていた、と解説していた。今風に言うなら、結局中国のパクリじゃん、という事になるのだろうが(笑)、ま、それは致し方ないところだろう。今までずっと日本の元号の原典は中国だったのに、新元号が日本オリジナルから選ばれた、と言うことにショックを受けている中国人もいるらしいが(笑)、この話を聞けば、機嫌を直すのでは(爆)

そんな新元号『令和』なのだが、ケチをつける政治家とか文化人とかがいて、実に腹立たしい。令という時は「命令」「律令」「令状」に通じるとか言って、安倍総理の思い上がりを感じる、とか難癖つけたりして、素直に新しい日本の元号を喜べない日本人がいる、というのが情けない。何でもかんでも安倍批判のネタにしたいだけなのだ。外務省でも内部文書も西暦で統一するとか言い出してる、という報道があったが、これはフェイク・ニュースだったとかで、一応安心だが、外務官僚なら言い出しかねない。こういう輩が存在するのを見ると、やはり日本の戦後教育は間違っていた、と思わざるを得ない。新元号の元では、こういう日本人を育てない教育改革に期待したい。

それと、新元号発表の号外を早速ネットで売りに出してるのがいるのには、呆れたというか笑ったというか。ただで貰ってきた号外を1000円とかで売っているのだから、いい根性してるよな(笑) 確かに、元号改変なんて、一生で何回遭遇するか分からないレアな出来事であるので、記念に少々高くしてもいいから号外くらい手元に保存しておきたいな、というのもあって、取引が成立してしまうのも分からなくもないが、中には、自分で筆書した『令和』の書を売ってるのもいて、商魂逞しいというか何というか、市井の一般人による書を金払って買う人がいるのだろうか? 武田双雲とかならともかく(笑)

という訳で、話が逸れたが、上海旅行記第二弾です(笑)

さて、上海に着いた翌日、我々は朝の8時にバスでホテルを出発した。行き先は蘇州、その昔♪上海、蘇州と船に乗り~、なんて歌があったが、その蘇州だ。目的? 観光しかないっしょ(笑)

バスの中から見た上海の高層ビル群。

 

正に大都会である。失礼ながら中国とは思えない。同じ事ばかり言ってて申し訳ないが^^;

上海から蘇州までは、高速経由でも、バスで約2時間半。途中で休憩一回。中国の高速は、日本ほど休憩所が多くないのだそうな。

2時間半バスに揺られて、ついに蘇州に着いた。

 



正直言うと、蘇州の方が上海より中国のイメージに近い。もちろん、僕の勝手な思い込みであるのは承知してるけど(笑) 蘇州に着いた瞬間、ようやく自分は中国にいるのだ、という実感が湧いてきた。

蘇州に着いて、最初に訪れたのは、留園という庭園。世界遺産だそうな。きっと、高名な貴族か誰かが住んでいたのだろう(ガイドの説明を何も聞いてないヤツ)。

 

 

日本庭園と似てるようで、実は全く違う世界。

 

↑の写真、ここは有名な撮影スポットです、インスタ映えしますよ、とガイドが言ってたので、思わずシャッターを押してしまったが、インスタ映えどころか、木が邪魔している(爆)

 

留園の次は寒山寺。こちらも有名な観光スポットらしい。

 

 

中国でも、やはり寺には塔があるものらしい(なんのこっちゃ)。眼鏡橋(?)がいい感じ。

 



中国では、寺にお参りする時は、ろうそくの火をデカい線香に移して、派手にのけぞるようにして手を合わせる。のけぞり安くする為か、座布団が置いてあった。



これは日本で言うところの“さざれ石”らしい。

そして、続いては虎丘(The Tiger Hill)。蘇州のシンボルだそうな。

 

ま、なんというか、宗教施設だ。向こうにかすかに見える塔が、ピサと並ぶ斜塔である。



これは、守り神みたいな存在らしい。なんというか、ニコちゃん大王を思い出してしまった(爆)



 

長い階段を登って、本堂(?)へ。

 



斜塔は肉眼だと、間違いなく傾いているのだが、写真に撮るとそんな感じはしない。腕が悪いのか(笑)
池のある所は、山を切り開いた集会所で、ここに大勢信者が集まったらしい。

ま、なんというか、ガイドの説明をろくに聞いてなかったので(汗)、由緒も何も全く分からなくて申し訳ない(何の為の旅行記か。爆)

で、最後に行ったのは、山塘街という、商店街のような所。

 

 

言い忘れたが、蘇州は“アジアのベニス”と呼ばれているそうで、確かに川が多かった。この山塘街の風景を見て、小樽や道頓堀を思い出してしまったのは、僕だけではあるまい(笑)

でも、人も多く賑わっていて、活気があった。大半が観光客なのだと思うが(ちなみに、日本人は我々だけしか見かけなかった。観光客も現地の人も中国人なので、区別がつかない)。

という訳で、上海旅行記第二弾は。蘇州のレポートでした。上海と比べ、蘇州が僕の持っていた中国のイメージに近かったので、少し安心した(笑) 上海は静かで、街中では、人も声も車のクラクションも、さほど聞こえないのだが、さすがに蘇州は違う。まぁ、何もかもうるさいのなんの(笑) 道行く人も店の人も観光客も、とにかく皆さん大声で喋っている。クラクションもひたすらやかましい。ガイドによると、中国では歩行者優先という考えがなく、車もバイクもクラクションを鳴らしながら、どこにでも突っ込んでいき、人は慌てて逃げるのだそうな。実際に僕らも、横断歩道を歩いていて、そういう体験をした。逃げなければ、多分轢かれるのだろう。ひどいな。

ちなみに、バイクって、こんな感じ。



この日、小雨がぱらついていたので、ある人はこのように雨除け付きのバイクに乗り、ある人はレインコートを羽織って運転していた。ガイドの話だと、このバイクは、いわゆる原動機付自転車で、免許がなくても乗れるんだそうで、大半の中国人はバイクで移動するのだそうな。なるほど、右側通行のはずになのに、反対から走ってくるバイクもいたりする訳だ。実に危ない。前述したように、歩行者がいても減速する事なく突っ込んでくるし、中国で町を歩くのは命懸け(笑)

という訳で、第三弾に続きます(笑)
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なぜか上海~上海旅行記・その1

2019年03月24日 23時03分46秒 | 旅行記


いきなりで申し訳ないが、実は上海へ行ってきたのである。個人的には上海は初めて。それにしても、この年度末の忙しい時期に3泊もするとは...(笑) とまぁ、それはともかく、上海なんである。我が人生で、上海はこれが最初で最後かもしれないのだ。となると、やはり上海旅行記をアップしない訳にはいかない(爆)

という訳で、唐突だが、上海旅行記なのである。しばしお付き合い下さい(笑)

出発日。集合は羽田空港国際線ターミナルに7時15分(もちろん午前です^^;)、朝早くてキツかったが、何とか間に合った。eチケット控えやら何やらを受け取り、荷物を預けて、出国手続きを済ませてから、免税店で買い物等して、9時15分発の日本航空機に乗り込む。上海までは約3時間。居眠りしたり機内食を食べたりしてるうちに、無事到着。日本との時差はほぼ1時間。いつも外出の時に身につけてる腕時計は、時間の修正はせず日本時間のまま、スマホには現地時間を表示させて、初上海に臨む(意味不明)。

初日のスケジュールは、市内観光という事で、早速バスに乗り込み移動開始。初めて見る上海の第一印象はというと、

「めっちゃ都会やん」

ガイド氏によると、上海の人口は1800万人だそうで、なんと!東京都(23区)より多いのである。正直、びっくりした。この20年くらいの間に、上海は急速に発展したそうだが、まさかここまでとは思わなかったな。現地に来てみないと分からない事もある(またも意味不明)。

余談だが、このガイド氏、中国人だそうだが、日本語が達者で、そりゃ仕事だから日本語上手くて当然でしょうよ、という声も聞こえてくるが、単に話せるというだけでなく、なんというか、日本語そのものの理解が深いのだ。名前は呉というそうで、自己紹介の時、「呉越同舟の呉です」なんて言ってたけど、中国人が呉越同舟とか言うもんかね? 確かに、中国の故事に由来する4文字熟語だけど、こういう使い方するのは、日本ならではないの? ま、ともかく、そういうガイドが滞在中ずっとついてた訳だ。色々勉強になりました(笑)

閑話休題

空港から1時間弱ほど、まず案内されたのは、古城公園という所。ま、言うならば公園だ(笑)

 

 



ちなみに、↑の看板を上海の至る所で見かけた。観光地でも結構見かけたな。らしくない言葉が並んでいるように思えるが(笑) 日本でこんな看板置いてたら、すぐに抗議が来て撤去だろうね(笑)

古城公園からしばらく歩いて、豫園商城という所へ。ガイド氏曰く、「東京で言うなら浅草みたいな所」だそうだ。

 

 

世界中どこへ行っても、スタバは必ずあるものらしい(笑)

この豫園商城、確かに寺院みたいなのもあったんで、浅草みたいなもんかもしれないが、色々な種類の、それも垢抜けた感じの店が並ぶ様子は、浅草というより六本木ヒルズみたい(笑)

 

中国風の庭園もなかなか見事。

この後、お茶の専門店で、烏龍茶やジャスミン茶の試飲をさせて貰ってから向かったのは、外灘すなわち市内中央部を流れる黄浦江海岸(中山東一路)に面する上海随一の観光スポットである。

 

この眺望が、上海の発展を象徴している。正に近未来的風景。この川向こうが、20年ちょっと前は農村だったなんて、信じられます?

先程の豫園商城からも見えてて、気になっていたのだが、外灘エリアにひときわデカいビルがあって、言うならば東京モード学園のようなというか名古屋モード学園のようなというか、なんか見た目が似てるビルがあって、これはずばり「上海タワー」と言うらしい。そのまんまだな(笑) 高さは632mで、スカイツリーに2m負けてるそうな(笑)

こちらは、南京路。東京で言うなら、丸の内か大手町らしい。



さて、その後ホテルにチェックインして、夕食をとったレストランで、民族舞踏のようなアトラクションが披露された。



確かに伝統芸っぽいのだが、バックの音楽がどう聞いても現代のもので、フツーにロックである。となると、この舞踏も伝統芸かどうか怪しいな(笑)

レストランからホテルまでは、川沿い(つまり外灘)の散歩道を歩いて帰った。是非、夜景を眺めながら帰って下さい、と薦められたからなのだが、確かに素晴らしい夜景だった。

 

 

下手な写真では伝わらないかな(爆)

という訳で、初体験の上海だが、前述したけど、めちゃ近代的な都会だったので驚いた。聞いてた以上。あまりに都会過ぎて、中国に来たという感じが、あまりしなかったのも事実。スタバもあちこちにあるし(笑) ただ、そういった印象が、滞在してるうちに変わっていったのも事実で、そこいらは、この上海旅行記の続きでどうぞ(続くんかいっ!←お約束)
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ヨーロッパ行ってきた~その5・帰国そして総括編

2016年07月17日 17時50分06秒 | 旅行記
さて、ヨーロッパ滞在も8日目となり、いよいよ帰国の日となった。名残惜しい気はするものの、早く家に帰りたい、という気持ちの方が強く、無事に帰国の日を迎えられて、本当にホッとしたのである(笑)

ヨーロッパ最終日すなわちミラノ最終日の朝食



イタリアって、実は加工肉の本場なんだそうで、そのせいか、ミラノのホテルで食べたハムは、マーストリヒトのよりロンドンのより美味かった。それと、バイキング形式の朝食の場合、通常生野菜のコーナーにはドレッシングが何種類か用意されているのだが、ミラノのホテルではオリーブオイルしか用意されていなかった。さすがイタリア(笑)

ヨーロッパ最後の日なのだが、フライトは夜なので、ホテル出発は午後3時半ということになっていて、つまり昼間は思いっきり時間あるのである。いくらなんでも部屋で時間までゴロゴロしてるのは勿体ないので(笑)、朝食後、前日観光に行った大聖堂付近まで行ってみる事にした。土産を買うならあの辺りがいいんじゃないか、と添乗員に聞いていたもんで。もちろん、一人ではなく3人だけど(笑)

タクシーで大聖堂前まで行き、一旦解散して一時間ほど一人で歩き回っていたが、土産を買おうにも高級店ばかりで話にならず(笑)、結局ここでは何も買えなかった。で、その後仲間たちと合流して昼食。やはり、せっかくイタリアへ来たので、



マルガリータ、カルボナーラ、ペンネアラビアータ、とコテコテなイタリアン(笑) 確かに、日本でもフツーに食べられるのはかりだけど、本場のはどうなのか、一回くらい経験してみたい、ってんで頼んでみた。もちろん、写ってないけどビールも(ワインじゃないのか。笑)。ピザは日本で食べるのとは少し違うけど、やはり美味い。ちと塩辛かったかな。

その後、ホテルに戻る前に、ミラノ中央駅に行ってみた。何も知らずに行ったのだが、このミラノ中央駅、後で聞いたらイタリア国内で2番目の乗降客数(1日約32万人)を誇る主要駅なのだそうな。

 

確かに大きい。写真撮ってたら、何故か係員に(駅員ではないみたい)止められた。どうやらミラノでは、建物や絵画の写真は撮ってもいいが、警備員や警官の写真はダメらしい。なるほどね。

先入観かもしれないが、ミラノの男たちは伊達男ばかりだ。イタリアは男前が多い、というのはサッカーの国際試合を見てても分かるが(他国と比べると代表選手も男前が多い)、それにしても、皆カッコいい。けど、よくよく見てると、必ずしもイケメンばかりではないというのに気づいた。じゃ何が違うのかと思ったら、着こなしがいいのだ。さすがファッションの国、若いのも年寄りもデブもハゲも、それなりに着こなしが良くてカッコいい。でも、ホテルのフロントもレストランの店員も大聖堂のガードマンも、比較的若いのはやっぱ男前が多かった。なんだかんだ言っても、やはり基礎が我々とは違うようだ(爆) と言いつつ、ミラノのオジサンたちの着こなしを、少しはマネてみようかと思う今日この頃。

さて、ホテルに戻って、買い込んできた物をスーツケースに詰め直し、しばしロビーで待っていると、ついに時間となり、我々はバスでミラノの空港に向かった。あぁ、これでやっと日本に帰れる。帰国の行程は、ミラノ→ブリュッセル→成田となっていて、一回乗り換える訳だ。ミラノから成田の直通便ってないのかな?と思ったけど、ま、いいか(笑)

この日は朝から雨降りそうな空模様だったけど、空港に着く頃に大雨になった。



大雨ではあったが、予定通り飛行機は飛び、ブリュッセルに着いて成田行きに乗り換え。時間があまりなくて結構焦ったけど(笑)、無事に成田行きに乗る事ができた。凄くホッとした(笑)

ちなみに、ブリュッセル空港はテロの影響で、利用客が少なくなってるらしい。なので、我々の乗る予定の便も乗客が少ない事が予想され、従って座席を広く使う事が出来るかもしれない、と添乗員から聞かされていたが、実際に乗り込んでみたら客が少なかったので、我々は3人掛けの席の真ん中を空けて座る事が出来た。エコノミーには違いないのだが、隣に人がいるといないとでは随分違う。来た時よりも遙かに快適な空の旅だった。

ブリュッセルから成田まで約11時間。やはり長時間フライトという事で、機内食は行きと同じく2回。

 

右は和食、左は洋食(オムレツ)。なかなか美味かった。もちろん、酒はずっと飲んでた(笑)



酒飲んだり機内食食べたりビデオみたり居眠りしたりしてるうちに、飛行機は無事成田に着いた。着陸した時は、ほんと嬉しかったなぁ。

帰りは茅ヶ崎行きのバスはタイミングが合わず乗れなかったので、成田エキスプレスで帰ってきた。



という訳で、初ヨーロッパ8泊の旅は無事に終わったのであった。皆さんに感謝。

ここで終わるのも何なので、一応僕なりにヨーロッパ旅行の総括など。

ヨーロッパは日が長い
いやほんと、日が長いのには驚いた。夜9時を過ぎても明るいのだ。白夜とも違う感じ。で、朝も早い。4時にはすっかり明るくなってる。



↑この写真は、デュッセルドルフで撮ったものだが、この時点で9時過ぎである。こういうの見てると、日本は日照時間が短いから、太陽光発電には向いてない、という説の意味がなんとなく分かるような気がする。

屋外の喫煙は意外とユルい
今回訪れたヨーロッパの各都市も、公共の建物は基本的に屋内は完全禁煙。ホテルも喫煙室というのはなく、全て禁煙室だ。タバコ吸いたい人は夜中でも何でも外へ出なければならない。ま、ここいらは、日本も似たようなもんなんで違和感ないけど、一旦外へ出ると、規制がやたらユルいのには、驚きを通り越して呆れてしまった。どこへ行っても、歩きタバコは当たり前。ロンドンでは、歩きタバコ&ポイ捨ての婆さんを見た(笑) 屋外であっても、指定場所以外の喫煙が禁じられている日本と比べると、ヨーロッパに於いては屋外での喫煙の規制はないと同じ事のようだ。凄く意外だった。

日本と同じような落書きが目につく
日本でもあちこちで見かける落書き、マンガチックというか、太い書体で書かれた落書き(なんて書いてあるのかわからない場合が多い)なんだけど、似たようなのがヨーロッパにもあるのには驚いた。



これ↑はミラノで撮ったものだが、デュッセルドルフにもロンドンにも似たようなのがあった。この手の落書きは万国共通なのか?!(笑)

料理がやや塩辛い
何度か書いてるけど、ヨーロッパで食べた料理は美味しかったけど、総じて塩辛かった。和食も塩分多いと言われてるけど、ヨーロッパ人も塩分摂り過ぎじゃないのかな。

どこにでも日本食レストランはある
デュッセルドルフでもマーストリヒトでもロンドンでもミラノでも、とにかく行く先々で日本食レストランを見かけた。必ずと言っていいほど、看板は“SUSHI & GRILL”となっている。スシは分かるけど、グリルって何だ? 焼き鳥? 鉄板焼き? う~む、謎である。ちなみに、前述したけど、ロンドンで日本食レストランに入ったが、そこは焼き鳥はあったけど、鉄板焼きはなかった。寿司は食べてみたが、日本で食べる寿司とは違う食べ物である。

酒は水より安い?!
あまり水は買わなかったけど、ちょっと高い感はある。ミラノのスーパーで、1本1ユーロのワインが売られていたのには驚いた。ま、限定セールだと思うけど、酒は水より安い、というのは本当なのかも、ちなみに、ミラノのホテルで部屋の冷蔵庫に入ってたビールと水を比較すると、ビールの方が高かった(だから?)

ヨーロッパ人から見れば、日本人も中国人も同じに見えるらしい
これは仕方ない事なのかも。永遠に埋まらない溝であろう(笑) あちこちで写真撮ってると、「どこから来た? 中国か日本か?」と何度か聞かれた。「日本だ」と言うと「日本人は写真ばかり撮ってるな」なんて言われたりしたけど、あなた方も日本に来たら写真撮りまくってると思うけどね。

他にも色々あったと思うのだが、思い出せない(笑) ま、思い出したら書きます(笑)

最後に、今回の収穫。



なんいうか、とりとめもなく、色々買ってきたな、という感じ。

それと、もうひとつの収穫。



ロンドン編に書いたけど、オックスフォード・ストリートにHMV(His Master's Voice)があったので入ってみた。そしたら、CDを安く売ってたので買ってみた。どちらも、70年代及び80年代のライノによる編集物。特に80年代ものの方がイギリス色が濃い選曲になってた。共にCD3枚組で、値段は2組で10ポンド。日本円にすると1600円くらいかな。1組あたり800円。こりゃ安い、ってんで買ってしまった(笑) 調べてみると、日本でもアマゾンとかで買えるのだが、値段が全然違う。日本で買う方が3倍くらい高い。ちなみに、クイーンの『グレイテスト・ヒッツ』は5.99ポンドで売られていた。約960円。うむ、良心的(爆)

という訳で、5回に渡って続いた、MFCオーナーのヨーロッパ旅行記に、最後までお付き合い頂いて、ありがとうございました。ほんと、貴重な経験をさせて頂きました。家族をはじめ、みんなに感謝です。

今度は、ロンドンにプライベートで行きたいな。
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ヨーロッパ行ってきた~その4・ミラノ編

2016年07月10日 22時46分49秒 | 旅行記
皆さ~ん、今日は参議院議員選挙の投票日でしたけど、投票行きましたか~(笑) 特に、今回から選挙権が与えられた18歳・19歳の諸君は、ちゃんと投票行ったかな~。

という訳で、まだまだ続くMFCオーナーのヨーロッパ初上陸記録だが、ツアーも終盤に差しかかり、いよいよ最後の都市、ミラノである。ミラノと言えばあのACミランとインターミラノ、セリエAの2チームが本拠地にしている都市でもあるのだが、今回はサッカーは全く関係ないので、ご了承下さい(笑)

そのミラノに移動する日、我々は早起きしてヒースロー空港に向かった。名前だけは知ってたけど、ここもデカい空港である。

 

搭乗手続きを済ませた後、ミラノ行きの飛行機すなわち自分が乗る便のゲート番号を確認し、案内の示す通りに歩いて行くと、

 

なんと、電車に乗せられてしまった(笑) さすが世界有数の規模と利用者数を誇る空港だけあって、搭乗ゲートまで電車で移動したりもするのである(笑)

 

ミラノまでブリティッシュ・エアウェイズで。



機内で出た軽食。

約2時間ほどのフライトの後、ミラノに到着。おおっ、イタリアだぁ!と感激する間もなく(笑)、すかさずバスで移動。実はこの日が、今回のツアーの中で一番ハードな日だったのである。

まずはミラノ市内で昼食。何故か中華(笑)



タイで中華を食べた時にも感じたけど、当然と言えば当然ながら、日本で食べる中華とは別物だ。別にまずくはないけど、味付けは淡泊というかなんというか。麻婆豆腐も出てきたのだが、ちっとも辛くなかった。イタリア人はピリ辛とか、苦手らしい。ま、タイの中華みたいに甘くなかったので、まぁマシだったけど^^;

 

昼食もそこそこにバタバタと視察を消化し、一旦ホテルにチェックインして、わずかの休憩の後、再びバスで視察へ。そのバスに乗る前に、ホテル付近のカフェみたいな店で夕食。



まぁ、カツレツだね(笑) いわゆる、“ミラノ風カツレツ”ではないみたい。肉もチキンらしいし。

ちなみに、この日、視察(というか見学)を終えてホテルに戻ってきたのは、12時近くになっていた。もちろん、その日はそのまま寝て、翌日ミラノ市内のプチ観光に出かけた。行き先は、ガッレリアや大聖堂等々。

 

ここはスカラ座だったかな?(笑) ガイドさんの解説をちゃんと聞く気持ちの余裕がなかったもんで^^;

 

やはり、ミラノの街並みも、そこはかとなく歴史と風格を感じさせる(こればっかし。爆)

 



ヴィットリオ・エヌマエーレ2世のガッレリアである。言うならば商店街みたいなもんらしいが(爆)、まぁとにかく、建物もアーケードも床も見事である。プラダやベルサーチの本店もここにあるそうな。ま、とにかく、高級店ばかりであった。



そして、ミラノの大聖堂(ドゥオーモ)である。天気が今イチで暗くなってしまった^^;

ドゥオーモとは、イタリアの街を代表する大聖堂のことだそうで、もちろん各地にある。今回は、ミラノのドゥオーモに行ったという訳。入場する時に、荷物検査等があるのだが、これがかなり厳しい。けど写真撮影はOKという話で、なんというか、よく分からん(笑)

 

 



大聖堂は、とにかく広い。東大寺金堂よりも広いと思う(笑) 大聖堂だけあって、定期的にミサもやってるそうな。厳かな雰囲気で、柱の彫刻やステンドグラスも実に見事だった。ちなみに、観光客多かったけど、日本人もかなりいた。あちこちから日本語聞こえてきたしね。

続いては、徒歩でスフォルツェスコ城へ。目的は、ミケランジェロの遺作である。

 

とても由緒ある建物という感じがしたが、残念だったのは、観光客に勝手にミサンガを売りつけようとする輩が、城の前にうようよしていたこと。あ、忘れてたけど、ミラノはやたらとスリが多いらしく、観光客は絶対に被害に遭うので、十二分に注意する様、添乗員にもガイドにしつこく言われていた。ガイド曰く、近寄ってくるイタリア人は男でも女でもスリと思え、が鉄則なんだそうな。フツーのイタリア人は日本人なんて相手にしないので、わざわざ近寄ってくるのは怪しいという訳だ。ほんと、滞在中、道行く人がみんなスリに見えてしまった(爆)

閑話休題。

この城の中に美術館があり、ミケランジェロの遺作を展示している。未完成らしいけど。



ここも撮影OK。信じられん(笑)

さて、ここからバスで少し移動して、サンタマリアデッレグラツィエ教会へ。目的はなんと、ダ・ビンチの『最後の晩餐』である。



誰でも知ってるあの有名な『最後の晩餐』は、もともと修道院の食堂の壁に描かれたものらしいが、現在ではこのサンタマリアデッレグラツィエ教会の中に展示されており、一般公開もされている(完全予約制)。一度に中へ入れるのは30人まで、約15分ほどで次の組と交代するシステム。入る前に消毒もするらしい(よく分からなかったけど)。

で、いよいよ今回のクライマックス、ダ・ビンチの『最後の晩餐』である。とくとご覧あれ。



なんと、ここも撮影OK。日本じゃ多分あり得ないと思う。皆さん、一斉にカメラ向けてた(笑)



反対側の絵はダ・ビンチの弟子によるものらしい。

いやいや素晴らしい物を見せて貰いました。一生の思い出だね、これは。感謝しなければ。

さて、この日の食事はというと、

 

これはプチ観光の時の昼食。マンハッタンという名のレストランだった。

 

こちらは、ミラノで最後すなわちイタリアでも最後つまりツアーでも最後の夕食、すなわち“最後の晩餐”である(笑) 幸い、我々のグループには裏切り者はいなかった模様(笑) 

ただ、昼も夜もなんだけど、美味いんだけど、何食ってるのか分からなかった(爆)

と、そろそろ視察ツアーも終わり、帰国が近づいてきました。この旅行記も次回が最終回か?!
お楽しみに(とにかく、いねーよ)
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