小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

日教組はどこへ

2010-02-25 23:47:52 | 私見
 

私が教員になった当時は,組合(日教組)に入ることは当然のように考えられていた。従って組合加入率100%という分会(高等学校)も多く,広島県内の組織率も10割に近かった。
 組合内部は主流派と呼ばれる当時の社会党支持者が2/3,共産党指示系統の反主流派が1/3で,定期大会の都度,政党支持について論議が交わされた。
 
 生活は,私の初任給が2万0710円。これから各種天引きはあっても,追加支給は一切無い。高校生向けに廊下に張られたH銀行の求人票には2万5000円の提示があって,できるものなら鞍替えしたいと思ったものだ。人事院勧告は無視されてきた。
 最初の統一行動(いわゆるスト)は,恐る恐る突入した29分から,後には当然の如く時間が延長された。“なれ”だった。
 内容も経済一本から,教頭法制化(※)反対,主任実働化反対=主任手当拠出等を含んだ。
主任手当積立金は,一時は奨学金にまわされることもあったが,相当な額が積み立てられてはずだ。
 教頭法制化に始まり,主任の明確な位置づけなど学校改革,さらに世紀末のいわゆる「日の丸,君が代問題」が組織率にも影響を与えたと思われる。 
 
※ 教頭法制化 
 戦後の教頭は,法令上の位置付けはなされていなかった。学校経営・管理で校長を助ける教頭法的地位の確立ため,'57年の学校教育法(学法)施行規則改正により,「教頭は教諭をもって充て,校長を助け,校務を整理する」旨の規定が新設された。しかし,「充てる」ことの明確がないために,職員団体の推薦が入るなどの介入がありえた。
 そこで,教諭とは別の独立した職として法律上明確に位置付け,その職務を明確にするため'74年学法の改正がなされた。

 春秋 《日経:'10.2.19)

 「子どもとケータイ」をめぐる悩みを打ち明ける先生もいれば,習熟度学習のコツを説くリポートもある。塾通いの是非、小学校英語の実践例,道徳の教え方……。日本教職員組合の教育研究全国集会に集まる報告はおそろしく多彩だ。
▼かつて何度も取材に足を運び,教壇に立つベテランがこうした現場ならではのテーマを論じ合うのを聞いてきた。なるほど日教組というのは労働組合のなかでも特異な存在で,誇り高きプロ集団の空気があると感じ入ったものだ。が,それはもちろん組織の一面にすぎない。政治色の強さでもまた特異ではあろう。
▼その傘下の北海道教職員組合は,わけても「戦闘的」らしい。ここの幹部から,民主党衆院議員の陣営に選挙資金が不正に渡った疑惑が深まっている。教組丸抱え選挙の暗部を見る思いだが,そもそも原資の1600万円はどんなカネなのか。陣営の担当者が頼み込むと,組合の事務所で現金がポンと出たという。
▼教研集会で授業改革を熱心に語り合っても,こんなことをしていては世の視線は一段と厳しくなるに違いない。組織率がどんどん落ち込んでいるのも身から出た錆(さび)だと言われよう。それにしてもこの手の問題は北海道だけなのか。一堂に会して議論するのが得意な組織だ。法と倫理研究の全国集会を開いてみては?


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