小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

こども孝行な母に

2011-04-24 21:21:32 | 広島の生活
 11人の曾孫はまるで保育所

 担当医が確認したのが,4月15日(金)22時36分。83歳の生を終えて旅立った。
自宅に帰り仮通夜。
16日の本通夜を経て,17日に葬儀を執り行った。

 主たる病のC型肝炎に様々な病気を併発し,この2ヵ月で2回の手術も経た。
3月に入ってすぐ,
「あと1週間か2週間と考えられます」
と言われていたが,なんとか持ち直してここまで来た。
末娘の帰りを待っていたように,あの夜は痛みも訴えないで静かな最期だった。

 男1人に女2人の子供をもうけ,孫が8人,曾孫が11人となっている。
両親とも私の家族とよく旅行に付き合ってくれたが,元気な頃には,
下の子ども2人を両腕に抱えて日御碕灯台を登るほどの丈夫だった。
9歳を筆頭に11人の曾孫に見守られての通夜・葬儀は,母を象徴していた。

 それにしても,誰も仕事に支障なく母を送ることができたが,これも母の配慮か。
帰るに及ばず,と伝えていた下の息子は,葬儀を済ませた足でアメリカへの出張に出かけた。
余計な気を遣わせてはと,記事にしないつもりでいた。
土日は島に帰り記事を書かないことが多いからと,わざわざ金曜夜に記事を投稿したことにし,
17日の白木農園の作業も「急用で」と断っていたが,ちょこっと洩れた。

 母のご加護で,次男も無事に仕事を終えて帰国したと連絡があった。

白木農園の農作業

2011-04-24 19:42:10 | 農業塾OB会
 鯉のぼりに見つめられながら

 白木農園は,約35㌃に小麦,大豆と黒小豆,そば,里芋,ジャガ芋などを栽培してきた。
この圃場は多くの会員が住んでいる広島市内から約40Kmと離れ,しかも,
圃場整備で掘り返された,もとは田圃で,石ころが多く,しかも耕作放棄地が隣接し,
絶えず雑草に悩まされてきた。
 
 作業時間の多くはこの雑草退治に費やされ,昨期は猛暑もあって不作に終わった。
会員も老齢化が目立ってきたことでもあるし,良い作物を,という事から耕地を半分とした。
 今日の作業は,返却する土地及びその周辺の除草,小麦の除草,里芋のマルチ。
休憩時間には会員差し入れのチョコレートに,Oさん工夫のコーヒーで談笑。

 太田川の上流の一つである三篠川には,2箇所も沢山の鯉のぼりが泳いでいた。
絶好の作業日和で,近くの山ももえぎ色。
東北へも,早い春の訪れを願う。

 カメラを忘れては,写真も撮れない。
恐らく,白木農園だより
晴耕雨読中農日記 に詳しくあるはずだ。

OB会総会

2011-04-24 00:08:15 | 農業塾OB会


 農業塾OB会,白木農園総会

 23日(土)は,JA広島市農業塾OB会通常総会及びOB会白木農園の通常総会であった。
OB会総会は,
1号議案;活動報告並びに収支決算
2号議案;活動計画並びに予算案
3号議案;規約改正
4号議案;役員改選
と順調に全ての議案を承認され,続いて
白木農園総会も
活動状況報告,収支報告,活動計画,予算案,会則改正,役員改選を承認された。
続いての講演会は,
「TPPをめぐる課題・問題について」
と題する,JA広島中央農政広報部課長 土井氏の熱弁。
環太平洋諸国と日本の農業の課題について学んだ。

 総会を始めるにあたって,東日本大震災で尊い生命を亡くされた人々,及び,
本会会長を始め旅立たれた3名の会員に黙祷を献げた。
会員のご厚志による義捐金は,JA広島市から送金される予定だ。
日本の各地で,様々な分野で東北地方の復興を願っている気持ちを受け取っていただいけ,希望を持っていただきたいと願う。

 今年は桜を愛でる機会がなかった。
かみさんの仕事が終わるのを待って,薄暮の道を桜を求めてのドライブに誘った。
まずは県央の土師ダム。夜桜見物の提灯はたくさん下がっていたが,桜はほぼ終わり。
千代田町を経由して大朝町は5000年風呂の田原で見物。
豊平町の「フラワーロード」で待望の多くの桜に出会って帰路についた。
何かとせわしい数ヶ月であったが,すこしは気が紛れただろうか。