小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

M 9 とL 7 の脅威

2011-04-21 23:34:42 | メモ
 
 数日前の朝日・「国道を洗う海水」と,読売・「接岸壁を越えて軽トラックをも呑み込もうとする海水」。
3枚の写真は目を覆うばかりだ。
今回の東日本大震災によって,多くの地域で地盤が1mもそれ以上も沈下したという。
大潮の時期を迎え,地盤沈下が確認されている各地で,家屋が,道路が,田畑が海水に洗われている。

 また,各紙に「その後のチェルノブイリ」の写真が掲載された。

 放出が止まらない放射性物質のために,福島第一原発の周辺20㌔圏内が「警戒区域」に指定され,住民は生まれ育った町に入ることもできなくなった。
いつ終息するのかわからないまま,家や田畑,家畜を放置せざるを得ない。
耕作可能と思われる土地でも,農産物への風評被害が続き,それは魚介類にも及ぶ。
『ヒロシマ』,『ナガサキ』に続いて3つ目のカタカナの町『フクシマ』が誕生する。
この26日で事故後25年を経過したチェルノブイリとその周辺は廃墟と化している。
『フクシマ』を第2のチェルノブイリとしてはならない。

 さらに,心無い言動で人の心を傷つけるようなことをしてはならない。

 《編集手帳・読売;4月20日》

 ◆浪曲師の二代目広沢虎造は東京・浅草の自宅で関東大震災に遭った。
家事を手伝う少女を連れて避難したが,食べるものがない。
ある町で握り飯の炊き出しをしていた。
◆「子供が腹をすかせています。一つ,いただけませんでしょうか」
「町内の方じゃありませんな。よその方には差し上げられません」
「子供の分だけでいいんです」
「お断り致します」
◆虎造は死ぬまでその町の寄席には出演しなかったと,吉川潮さんの虎造一代記『江戸っ子だってねえ』(NHK出版)にある。
つらいときに受けた心ない仕打ちは胸に深く刻まれて残る。
◆本紙『気流』欄(東京版)で,気持ちのふさぐ投稿を読んだ。
福島県から他県に出かけた人の車(会津ナンバー)に,駐車場で誰かが
「帰れ,来るな」
と落書きをしたという。人への風評被害が広がりつつあるらしい。
◆被曝の危険を顧みず,原発事故の処理にあたる人たちがいる。
小さな手に握りしめたお小遣いの10円玉を,爪先立ちして募金箱に入れる幼子がいる。
皆が“心の握り飯”を被災者に持ち寄ろうとしているときである。
顔が赤くならないかい,落書きの君よ。

余禄・毎日;4月21日
▲明治時代に電話ができたころだ。当時流行したコレラが電話を通して感染するという流言が広がった。
電話のベルが鳴ったので,悲鳴をあげて逃げたという話まであった。
電線の下を横切る時ですら,扇子で頭を覆う人もいたという。
▲米国の社会心理学者によると「流言の量は問題の重要性と状況のあいまいさの積に比例する」そうだ。
コレラは当時,命にかかわる重要問題だった。
一方で電話は庶民が見たこともない,えたいの知れぬ新製品だった。いかにも流言がなされやすい組み合わせである。
▲さて今,その定理にピタリとあてはまるのが放射能だ。
被ばくは重大問題だが,放射線そのものは見えもしなければ,臭いもしない。
浴びる放射線量と健康へのリスクの関係も一般には分かりにくい。まさに流言の温床だ。
▲さて「風評被害」という時の「風評」は根拠のない流言のことだ。
福島第1原発事故に伴う農産物や水産物の風評被害は深刻である。
だが一方で福島県産野菜のネット販売が好評と聞けば,風評に惑わされぬ被災地への強くしなやかな連帯の健在を知ってほっとする。
▲だが驚くのは福島県から避難したり,旅行したりする人々がホテルの宿泊を断られたり,入店を拒まれたりしているという情報だ。
なかには「放射能がうつる」といじめを受けた子供もいたという。
「心ない」ととがめるよりも先に,聞くだけで心を暗く沈ませる話だ。
▲電話のベルにあわてて逃げるのは勝手だが,困っている人の心を蹴飛ばしてはいけない。
この震災の被災者を通し世界は日本人の「品格」や「冷静」を称賛したが,まさにその評価に泥を塗る風評差別だ。