小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

レベル7

2011-04-13 23:36:23 | メモ
 どっこい,広島は元気だ

 今日の朝刊,どの各紙の1面に『福島原発 レベル7』の特大活字が踊っている。
何を今更,と云っては悪いだろうか。
『放射性物質の放出が止まっていない』という理由のようだが,一方で『放出量はチェルノブイリの1/10』とも発表する。
“レベル7”は既に2週間も3週間も前に米・仏で云われている。

 このように,次々といい訳めいた発表を聞くと,彼らは,地域住民や国民の立場ではなく,
自分たちを守る為に行動しているのではないかと,勘ぐりたくなる。
最初の,廃炉にしたくないばかりに,『想定外の・・・によって,電源が』などで遭ったのだろうと。
 こうした発表は,地域住民の,国民の,世界各国の不信感を増幅するだけではないのか。

 私の父は,広島に原爆が投下された翌7日に市内に入り被曝した。
だが,晩年に迷いは生じたものの,しっかり生きて,16年前に93歳で他界した。
私も,60年近くをこの広島市内で健康に生活している。
同級生で2次被曝した隣の奥さんも,すこぶる健康でカラオケやメイク美に通っている。

 50年は草木も生えない,もちろん人は住めないと云われた広島は,元気に生まれ変わった。
当時は,「とてつもない大きな爆弾で破壊された」という程度で,内実は隠蔽された。
人々は,黒い雨の降る中で,当日から生活を始めた。
“安心して”とは言えない。今も関係機関には隠蔽体質が残っているとはいえ,
はるかに多くの情報が伝わってくる。
“一時的に離れることになっても,そのうちきっと,一緒に住まうことができる”
という希望を失わないで,忍耐強く,力強く生きていただきたいと願う。