Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

うつをめぐるもろもろ

2006-02-09 12:53:09 | ウツ記
なんだか集中的にウツ関連の話題があがっているので、
寄せ集め。

○妊婦さんはSSRI要注意
 新生児に呼吸障害のおそれがあるそうです。
 SSRIは一般には「副作用の少ない」抗うつ剤として認知されていますが、実際は一般薬としての歴史は浅く、これからいろいろと問題が出てくるかも知れないという懸念はありますね。
私もSSRI常用者なので、心配です。

抗うつ剤「SSRI」、妊婦は注意 子に呼吸障害の恐れasahi.com

この記事で気になるのは、妊婦に副作用ありとわかってもSSRIの服用を中止したり他の抗うつ剤に移行するのは無理だ、という医師のコメントだ。
SSRIは断薬時にいろいろな障害・副作用が認められることでも知られている。
うつと出産をトータルにみてリスクマネジメントせよということだろうけれど、これは実際当事者には辛い決断だろう。
今後の動向も気になるSSRI・・・

○人間ドックでうつ病を早期発見
 「日本人間ドック学会は、全国の約六百のドック施設に協力を呼びかけ、鬱(うつ)病(びよう)に関する共通質問を受診者への問診に盛り込む方針を固めた。」ということです。(産経新聞から)
で、
 「厚生労働省によると、鬱病は約十五人に一人が生涯に一度は経験する「心のかぜ」ともいわれ、早期の対策で早く回復する。だが自分自身でも異常に気づかないことが多く、気づいても医療機関の受診をためらうことなどから、鬱病経験者のうち四分の一しか医療機関で受診していないとの報告がある。」
だそうです。

しかし・・・現代社会でウツ傾向の人を積極的に捜し始めたら、それこそいくらでも出てきてしまうのではないかしら・・・
フランスは(パリかな?)抗うつ剤消費世界一という話を聞いたことがあるが、日本はどうなるだろう。
パリは超個人主義社会で、日本から移住した人が鬱状態になってしまったりすることがままあるらしいが、日本は逆に超集団社会のなかで、個がぎゅうぎゅうにゆがめられて起こるうつ状態が多いんじゃないだろうか(完全な私見)

パリ症候群

○抗うつ薬の注意書を改訂 「自殺の恐れ」初の明記
というのがヤフーのニュースに出ていたという話。
(ソースは確認できなかった)

これは以前からある話で、米では使用に関して、
(1)抗うつ薬の投与を受けている成人、特にうつ病の治療を受けている患者は、うつ状態の悪化や自殺を考えることや行動の増加を綿密に注視すること
(2)抗うつ薬の投与初期もしくは投与用量を変化させたときには綿密に観察すること
(3)抗うつ薬の投与を受けているにもにもかかわらず、自殺を考えることや行動の増加など症状の悪化がみられた成人には、医療の専門家による評価を受けるべきである。
という勧告が出されているようである。

FDA、成人の抗うつ薬投与に関する公衆衛生勧告を発表

一般に抗うつ剤を服用してうつ傾向が改善されると、「~~する気が湧いてくる」わけで、~~の部分に「自殺」が入ってしまうケースもあるわけ。
(本当にうつの段階では自殺する気力もないという・・)

でも、今回の話は、はたして、うつ状態が改善されて自殺に結びついたのか、それとも薬の副作用で自死念慮がでたのか?というところが問題で、後者の場合がありうるよ・・ということなんだろう。

ちなみに私はぜ~んぜん死のうという気がわきません。どういうわけか。

**

というわけで、まあいろいろと話題に上るようになってきて、これはウツに対する社会的な理解度の上昇の表れとも言えるし、これによって多くの人が感心を持つようになるといいなあと思いますね。
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伊福部昭さん

2006-02-09 11:23:50 | diary
「ゴジラ」作曲、東京音大元学長の伊福部昭さん死去

亡くなりましたね。

ゴジラの音楽でも親しんだんですが、
一番思い出深いのは、管弦楽曲の『交響譚詩』

高校のとき、オーケストラとブラスバンドがあったんですが、
私はオーケストラにいました。
で、隣のブラスバンドで、『交響譚詩』をブラスバンド用に編曲して
演奏会をしたんです。

練習場所が隣同士だったので、しょっちゅう聴いていました。

一言で言うと土俗的な響きと旋律、でも曲としてしっかりした構成を持つ、
パワーのある楽曲。
いまでも力強い演奏が聞こえてくるようです。

後年、この曲が箏曲として編曲されているのを知りました。
管弦楽とのあまりの隔たりにビックリするとともに、
この曲想なら箏曲でもしっくりくるなと、さすが作曲者、曲の神髄をよく理解していると感心したものでした。

逝去を期に聴き直す・・というのもなんですが、ちょっといろいろな作品を聴いてみたくなりました。

wikipedia伊福部昭
↑誕生日についての面白いエピソードあり。

譚 ― 伊福部昭の芸術1 初期管弦楽
日本フィルハーモニー交響楽団, 伊福部昭, 広上淳一
キングレコード

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伊福部昭:管弦楽選集
伊福部昭, 新交響楽団, 芥川也寸志, 小林武史(ヴァイオリン)
フォンテック

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模様替え/また出勤

2006-02-08 19:41:07 | diary
ブログのスタイルがいきなり崩れるという事態になっているらしい。
過去にも一度こういうことがあって、テンプレートを変更することで解消されたのだけれど、原因は不明。
カウンタなどを設置しているので、若干HTMLをカスタマイズしているせいかもしれない。

カスタマイズできるテンプレートが限られているのが前からちょっと不満だったので、この際、大胆に模様替えがしたくなってきた~

というわけで、この際カウンタもやめることにして、カスタマイズなしのテンプレートでバリバリ模様替えをすることにしました。
しばらく自分でも見慣れないですが、どうかよろしく。

**

今日も出勤日でした。
ある資料を作成するために必要な資料を探しに、
普段の勤務先と違うところに出勤した。
ぷち出張ですね。

久しぶりの顔出しになるので、けっこう恥ずかしかったです。

で一人で別室で作業をしているときに、タイミングよく某氏からケータイに電話あり。
仕事中なのに身の上相談話となる。
普段の勤務中だったら会話は無理でしたよ。よかった。

午後は通常の職場に戻り、今度は職場の人と雑談。
雑談しているうちに退社時間になってしまった。

いや、な~んか全然仕事しなかった。
これで罪悪感を持ち始めると多分病気への道。
そう、責任感と罪悪感が合体してしまうのがいけないんだと思う。

責任を持って、
でも出来る範囲を見定めて、
出来ない部分についてははなから無理なんだと見定める。
そこに罪悪を覚えるいわれはない。

このようにして仕事への戻り方をしっかりと考えてゆくべき時なんだろう。

私よ、どこへ進んでゆくのかを自ら見定めよ。
そこが自分自身を恢復する道であることを見定めよ・・・
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自立支援?

2006-02-07 16:40:23 | ウツ記
雨上がりの午前、近所の保健センターに自転車ででかける。
『自立支援医療費(精神通院)支給認定申請書』を提出するため。

記入要領や記入例が書類についていないので、記入の仕方がいまいちわからないぞぉ。
特に「重度かつ継続」という欄。自分はそれに該当するのかどうか、医療機関に尋ねろと書いてあるが、診断書にはなにも書いてない。
いや?この「F32」ていうのがそれかなぁ。
まあいいや、なんだか重いほうで申請しておいた方が有利な気がする。
えいっ(重度かつ継続「該当」に丸をつける)

で提出してみた。
特になんの引っかかりもなく受理されてしまった。
う~んいいのか?

口頭で説明がある。
・今後は「患者票」が患者本人に交付されます。
・今後は申請時に指定した病院及び薬局でのみ公費負担が受けられます。
・本人負担の上限額を超える部分が公費負担になります。

ああ・・・よくわかりませ~ん
「手続きのご案内」は隅から隅まで読んだのにわかりませ~ん

しまったな~窓口は暇そうだったから
根ほり葉ほり訊くんだった。
どうしてこういうことに頭が回らないんだろう。
慎重なくせにマヌケ。

**

で、やっぱりどうも自立を支援されている気がしない。
世の流れは相互扶助から自助自立へ、痛みを耐えて改革へ、
そういうことのような気がする。
むしろ自立できないような方向に幅寄せされている気分だ。

今回の申請だって、きっと制度自体理解できていない人がおそらくすごくたくさんいて、でいきなり申請しなさいって通知が来る。
言われるままに申請書を出せば、いつのまにか対象/対象外が振り分けられていく。
寝耳に水なのに。

制度の改正?自体もマスコミはほとんどとりあげていなかったし、
この改正自体知っている人は少ないだろう。

もやもや~

このもやっとした不安感を払拭するなら、自治体はもうちょっと説明が必要だろう。マスコミももっとしっかり問題点をすくい上げる力があってもいい。

そもそも所管はどこだぁ?

ああ・・東京都か・・窓口は区がやっているけど。

ううむ、喧嘩しにくいな(個人的理由(苦笑))

**

というわけで、認定されればこれでいっぱしの精神通院者。
これで大手を振ってお天道様の下をあるけるってもんでぃっ!(違?)
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Tu es belle!

2006-02-06 16:23:54 | movelog

今日は出勤。もう退社してチェンバロ前のスタバタイム。

猫沢エミのファンであるからには、少しはフランス語くらい読めないといか~ん!
と思い、独学中。

形容詞の男性/女性くらいならなんとか着いていけるが、さらに複数形だの男性第2形だの、
名詞の前につく形容詞が複数形になるとそのまえにある不定冠詞のdesはdeになるとか言われてもあ~も~~~????????

早くも挫折の気配(>_<)

しかし猫沢さんも通ったはずの道、力の限りガンバルのだ。

とはいえ、フランス語はおろか永年勉強した英語すらろくに読めず、いや日本語すら怪しい私(^_^;)

猫沢さんのフランス語歌詞が耳でわかる日が来るかしら?生きてるうちに(^_^;)
すごく無理(>_<)!

Ce chien,il est gros!
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ナムジュン・パイク

2006-02-05 02:55:15 | art
韓国生まれのアーティスト、ナムジュン・パイクが亡くなっていたのをようやく知った。

50年代にすでにTVによるアートを製作し、その後もヴィデオアートの分野で活躍した。

といってもいわゆる映像作家じゃない。
TVモニターとチェロを合体させて演奏パフォーマンスをしてみたり、
ヴィデオモニターを随所に配置した庭を作ってみたり、と、
モニターに写るものと外界との関わりを求めていたような作風だった。

よくあるヴィデオインスタレーションのアート臭さとは違った、
一種独特なユーモア感覚があって好きだったな。

特に80年代、ヴィデオ技術が一般的になって活躍したと思う。
もう20年近く前にパイク展に行ったことを思い出す。


"TV Cello"
演奏者が乳癌になってしまったという逸話を持つ。



"TV Budda"
これ好きだったな。仏像が自分の写ったモニターをじっと見つめる。

wikipediaナムジュン・パイク

ご冥福を・・・・
ああ80年代はもう20年も前のことなんだな・・・
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自分を喩えるならバトン

2006-02-04 04:31:39 | diary
piaaさんから「自分を喩えるならバトン」をいただいていたのをすっかり忘れていました。


Q1 自分を色にたとえるなら

う~ん、濃いオレンジ。
でも濃いグレーかも。着ている服が地味めなので。

Q2 自分を動物にたとえると?


放っておくと一日なにもしない。

Q3 自分を好きなキャラにたとえると?

ムズカシイ・・・
マイナーだけど、「アンドレイ・ルブリョフ」にでてくる修道僧キリル。
画家の助手に、ルブリョフではなくて自分を推薦してくれと裏工作をしたにも関わらず、
結局ルブリョフが選ばれてしまう。
で、自分の実力を一旦は理解するんだけど、そのうちブチ切れて、「教会の腐敗にはがまんならん」とか言い出して修道院を飛び出してしまう。
で腹立ちついでにかわいがっていた犬まで殺してしまう。
う~ん情けないキャラだが、自分を見るよう・・・

Q4 自分を食物にたとえると?

ジャガイモ
そこらで売っているもの。

Q5 次に回す5人を色でたとえると?

う~ん5人は無理だな~

りつかさん>クリーム色
歌恋さん>明るいブラウン
jafoさん>なぜかイエロー

もし見てたらお願いします。


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manimani@work

2006-02-03 17:07:19 | diary
長いようで短かった、肩身が狭いながらも幸福だった休職期間にピリオドを打つべく、
「職場復帰訓練」なるものに取り組んで、早1ヶ月が経とうとしています。

といってもこの間職場に行ったのは6回だけ
しかも各2時間だけ
まだ持続する幸福感というか、アルバイト感が何とも言えぬぬるま湯加減です。

ああ長湯したい・・・

などと言っていないで、少なくとも職場にいる間は仕事をしている振りをしないと・・
というわけでひさびさに触った職場の自分のパソコン。

どひゃ~こんなにデスクトップが散らかっている~
今見るとどのファイルもいったいなんのために置いてあるのかさっぱり思い出せませ~ん
グループウェア(ノーツですけど)だってどうやって使ってたんだっけ??
そもそも起動時のパスワードがわからない・・・
うむむむ、メールも満足に出せない体になってしまっていました私;;

隣の席の優しい人にいろいろ聞いてようやく今日は1本メールを打ちました。
おお~すばらしい。これで給料がもらえるとは^^
(訓練中なので満額じゃないですけどね)

しかも今日は退社予定時刻を30分も超過して、
隣の人が恵方を向いて太巻きを頬張っているのを横目に、
仕事・・・でなくてこっそりブログなんか見てしまいました。

この会社にはいってよかった~
・・いや?病気の原因もこの会社と言われればそうだし・・・

壊れるまでこき使うが、壊れた後も手厚い・・・

いいのか?悪いのか?どっちなんだ?

**

4月から障害者自立支援法が施行されます。
これに伴って、従来の精神通院医療費公費負担制度(32条)は「自立支援医療制度」という名前になって、
内容も一新されます。
なので、今、該当者には3月末までに認定申請を改めて出すように求められています。

う~んこの再申請にかかるコスト、いったいどのくらいなんでしょう。
このコスト、もうちょっとイイ内容に費やしてもらいたい気がします。

どうして該当者全員自動移行じゃないんでしょうか。
これまでは自己負担5%だったのが新制度では10%になるんだから、
単純に移行しても公費負担額は自動的に減るのに。
さらにふるいにかけようと言うことなんでしょうか。

ぷんぷん!

**

というような思いを、気の向くまま脳内に漂わせながら、私の仕事時間は過ぎてゆきます。
でも順調に、計画通り出勤しています。
特に体調に乱れなし。
疲れはするけれど、落ちはしないという、いいペースです。

願わくばこのまま人並みの労働力を発揮できるように、さらには人並みはずれた労働力が身に付くように!
と祈ってはいますが、
現実は、病の名に隠れてこそこそと世をしのぎ、
空いた時間を好きなことにせっせと回す
余生となるでしょう。

一度でもこんな人生を思い描いたでしょうか?(>私)

・・・いや、結構思い描いていたかもしれません。
しかも人生のかなり早い段階で(爆)

来週からは週3日出勤~~~~(げげっ)
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アンドレイ・タルコフスキー「アンドレイ・ルブリョフ」

2006-02-01 14:43:58 | cinema
アンドレイ・ルブリョフ

アイ・ヴィ・シー

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監督:アンドレイ・タルコフスキー
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、
   アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー
音楽:ヴァチェスラフ・オフチンニコフ 
出演:アナトリー・ソロニーツィン、イワン・ラピコフ、ニコライ・グリニコ

15世紀のロシアイコン画家アンドレイ・ルブリョフにまつわる10のエピソードからなる作品。
しかしこれは伝記的なものではない。芸術・宗教・民衆・歴史、そうした巨視的なビジョンにつながろうとする謎と寓意に満ちたエピソード集である。

**

画家で修道僧のアンドレイ・ルブリョフは、画家としての名声からモスクワでの宮廷画家として迎えられるが、求められる絵が描けないと悩む。
タタールによる侵攻の最中、女を助けるために兵士を殺害したルブリョフは、その罪におののき無言の行に入るとともに画筆を折る。
放浪するルブリョフは、寺院の大鐘の鋳造に携わる少年を見かける。少年は失敗の恐怖と戦いながら鋳造を指揮し、鐘を完成させる。感極まった少年はルブリョフの腕の中で泣き、実は鐘鋳造の経験がなかったことを告白する。それを聞いたルブリョフは、無言の禁を破るとともに、再び筆をとる決意をする。

**

冒頭「プロローグ」は、毛皮をぬいあわせて作った気球で空を飛び、墜落する男の短いシークエンスであり、画家アンドレイとは直接関係のないエピソードだ。これは何の寓意なのか?手作りの不格好な気球はいかにも洗練・体制・権力とは対極にある、貧しく・個人的な・弱者による無謀な試みを感じさせる。地の底からわき出るような御しがたい意志と、それが敢え無く失墜する様は、公国が分立し、一方でタタールによる侵攻のくびきにあえいでいた時代の力と閉塞をあらわすかのようだ。

このプロローグは、全編を通じて妙に印象に残り続け、最後のエピソードである「鐘」に重なってくる。「鐘」では、伝染病で死滅した村の生き残りである少年が、鐘の鋳造職人として徴用され、霊感に導かれるままに巨大な鐘作りに取りかかる。
泥だらけ・すすだらけの職人たちが、失敗への恐怖と戦いながら粘土で方を作り、素焼きし、銅を流し込み、ついには高らかに鳴り響く鐘を作り上げる。
ここでは無から鐘を作り上げた民衆の勝利が描かれ、これに接した画家は、無言の行の禁を解き、再び絵筆を取ることを決意する。

こうした民衆のエネルギーを描く一方で、全裸に松明で走り回る村人の享楽的・異教的な祭りが、キリストの磔刑にまつわる人々の裏切りと罪についての論争があったり、と、暗い側面を描くことも忘れていない。
この「民衆」への信頼と疑問。
アンビバレンツな属性の上に認めざるを得ない民族の力のようなものをこの作品は力強く、あるいは逡巡しながら描いている。


アンドレイ・ルブリョフ『至聖三者』

この作品は66年に完成したが、当局の不評を買い、67年のカンヌ映画祭への出品が拒否され、国際映画祭での公開はようやく69年のカンヌ、西側での封切りは73年になってからという、多難な運命をたどる。

思うにこの作品は、唯物史観的イデオロギーによる体制にも、その体制下の宗教にも歓迎されない、前近代的=伝統的ロシアの精神性を深い井戸からくみ上げてしまったのではないだろうか。
表立った体制批判でも宗教批判でもなければ、民族礼賛でもない。しかしその抑制された表現と明示されない底流こそ、当局のひたすら覆い隠そうとしたスピリチュアリティだったのだろう。

**

・・・などと小難しく考えていないと、寝てしまうのだ。この映画。
都合6回ほど観ているが、通して観たことは一度もない(爆)
タルコフスキーにしては珍しくモブシーンがあったり戦闘シーンがあったりと起伏に富んでいるにもかかわらず・・・・
きっと説話的な繋がりに脈絡が見えないからだろう。

**

アナトーリ・ソロニーツィンの若き姿・・というかふさふさの頭髪には感慨を禁じ得ない(笑)この後、タルコフスキー映画の重鎮として「ソラリス」「鏡」「ストーカー」で活躍する。

音楽はなかなか異様でよろしい。冒頭の不安定なフルートによるコラールや、「祭」のシーンでの意識下をつっつくようなエスニックエレクトリックトランス(?)、エピローグでの異教的音階による聖歌、などなど。

水と炎というタルコフスキー的モチーフはこの映画でも炸裂。
やたらと雨が降り登場人物はずぶぬれになる。
炎はタタールによる拷問と鐘の鋳造の二極といえるシーンで使われる。

あ、そうそう。今日本版DVDリリースされている「完全デジタル修復版」は上映時間174分。以前劇場で公開された「完全版」は182分。他にディレクターズカット版が米criterionからリリースされており、そちらは210分版とのこと。
う~ん、私は結局一番短いバージョンを購入してしまったらしい。

Wikipediaアンドレイ・ルブリョフ
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