Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ロバート・J・ソウヤー「ヒューマン」

2006-02-27 02:41:59 | book
ヒューマン -人類-

早川書房

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前作「ホミニッド」に続く第2作。
前作で出会ったネアンデルタール文化とグリクシン文化。
今度は「穴」が恒久的に開かれることとなり、「文化交流」をはじめようと試みる。

ネアンデルタールの物理学者ポンターと、グリクシン(ホモ・サピエンス)の遺伝学者メアリの関係を軸に、相互の世界の現実やしきたりにそれぞれ直面して驚く。
前作は「出会い」を中心としたSFだったが、今回は「知り合う」を中心としたSFとなっている。
ああ、なんてわかりやすいんだ・・・

よきSFは比較文化論となる・・・とかレム辺りの言いそうなことだが、本作は、異質な(しかしかなり似通っている)文明の出会いにおいてもたらされる軋轢を、実に細かく登場させている。

大きい所ではベトナム戦争戦没者記念碑の前でかわされる、生と死の観点の違い。来生の生を信じているがために人類は殺戮を繰り返しているんじゃないか?というポンターの問いに、メアリは返す言葉がない。しかし、実際に記念碑に向かって語りかける遺族に対して、それは無駄なことだと言い切れないポンター。
宗教の根底にある超越者による想像と救済を理解できないポンターだが、実際に人々が生きる上での慰めや力になっているのを観て、考え込む。

小さな所では、ネアンデルタール世界でのトイレの使用法がわからない、とか、婚礼の儀式(狩りでしとめたシカを新郎が引きずってくる)とか、男配偶者と女配偶者がいるややこしい婚姻制度とか、移動用キューブを共同使用する社会とか、実にこまかく、ホモ・サピエンス社会との対比をしてくれる。

へヴィーな課題からかる~い事実まで、なんだか比較文化学のレポートを読むようだ。
これに徹している本書は、SFとしての1冊としては物足りないが、文化人類学の軽い読み物と思えば、かえって一貫していて読みやすい。
9.11を含む人類の軌跡を批判的に考えさせるとともに、両種のあいだに共通して存在する「ヒューマニズム」の姿を追求するのが本書の目的だったのだと思う。


あと、前作で消化しきれなかった性的な描写。この巻でだいぶ見えてきた。
前作を読んだときは、これは物語を単に盛り上げるためなのか、異文化遭遇を描くための要素として不可欠と考えてのことなのか、あるいは「こちらの」世界の性と暴力への遺憾の意を表明しようとするものなのか、今ひとつ確信が持てなかった。
が、これは、物語を盛り上げるためであり、異文化遭遇を描くための要素として不可欠であり、ひいては「こちら側」の性と暴力の悲観的側面を浮き彫りにするためのものだったのだ。(まんま笑)
ショッキングなレイプの設定は、後に被害者の心や勇気の揺れ動きを通じて思わぬ展開をするし、ポンターがこちら側で起こす出来事の起因ともなる。意外に重要な横糸だったのだ。

しかしSF的にはだいぶ中だるみな第2作。
とってつけた磁軸の崩壊のエピソードは未解決だからこれからもりあがっていくのか?
3作目に期待が高まるな~

「ホミニッド」過去記事

↓第1作
ホミニッド-原人

早川書房

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↓第3作
ハイブリッド?新種

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コメント (2)
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