Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「猫が行方不明」セドリック・クラピッシュ

2024-08-08 00:25:42 | cinema

セドリック・クラピッシュの出世作的なもの
未見でしたがパリオリンピックの関係でか、
WOWWOWでやったので、やっと観る。

とらえどころがなく、メッセージも明確でない
というかさまざまな光を反射するような具合で
明に暗に街の、人の思いが投げかけられる作風で
面白い

なんとなく思っていたが、クラピッシュの映画にはなんというか嫌な奴が普通にというか自然に出てくる。
本作には特に嫌な奴ばっかり。
それで、それぞれ嫌な奴だけど悪い奴でもない。
このそれぞれみんなが少しずつ自然に嫌な奴であるというところがつらいし面白い。

面白いぞ。

あと、パリの街並みは、中心区の方はじつは小奇麗に装っている感じで、
周辺区にいくと再開発で古い街並みをどんどん破壊するし、
地上げ的に追い出される人々もいるし、で、
というどの都市もそうであるような荒廃・疎外の街なんだなと思う

そういうことへの反感の香りも作品全体に漂っている。

**

これで日本で劇場公開されたものは大体観たことになるが、
調べてみるといわゆるDVDスルーの作品もいくつかあるのね。
それらも観たいかも。

 

 

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「男性・女性」ジャン=リュック・ゴダール

2024-08-06 23:18:43 | cinema

久々の投稿ですが、久々に観たゴダール「男性・女性」について
(思ったことのメモ程度です)

フランソワーズ・アルディが亡くなってこの映画のことを思い出しての再鑑賞

以前見た時は、繰り返されるレオのタバコのくわえかたや
シャンタル・ゴヤとのコミカルな絡み(ドワネル将軍だっけ?のくだりとか)の印象で
軽快な印象を持ったが、
今回見てみると結構シリアス

社会のいろいろな矛盾の中を生きる若者の存在論的なつぶやき、ぼやき、に満ちている。
そのぼやきの一面としてのコミカル

民主主義、戦争、共産主義、資本主義、労働、異性関係、フェミニズム、etc.
それらすべてに否応なく関わっていく若者はどういう存在となるのか

声を代弁するのではなく、なにか観察しているような感じ

60年代の(幸せな?)ゴダール映画はここから変化のときを迎えていたのだろうと思う。

 

詳しいことは山田宏一先生の「ゴダール/映画史」を読むに勝るもの無し

 

 

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