Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

クシシュトフ・キェシロフスキ「偶然」

2006-10-02 04:45:55 | cinema
キェシロフスキ・コレクションI プレミアムBOX

ジェネオン エンタテインメント

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1982ポーランド
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
出演:ボグスワフ・リンダ、タデウシュ・ウォムニッキ、Z・ザパシェビッチ

【ネタバレ警報】

ワルシャワ行きの列車に飛び乗ろうと全速力で走る若者
この若者の運命を
「なんとか手すりに手が届き乗り込むことができた場合」
「警備員に阻止されて乗り損なった場合」
「単に間に合わなかった場合」
の三つのケースで描き分けたのがこの作品。

なんとか列車に乗れた青年は、「党」に入り功績をあげ、中枢へと導かれてゆく。
その一方で、偶然出会った初恋の女性は地下出版に関わっていた。
愛をやり直そうとするふたり。しかし思いとはうらはらに彼は彼女を密告するかたちとなってしまう。
悲しい愛は終わり、彼は党の任務でのパリ行きを直前でかなぐり捨てる。

と、場面は再び列車に飛び乗ろうとする若者のシーンに。
駅で警備員に取り押さえられ乱闘。連行され、労役を課せられる。
神父とのつながりで、抑圧された人々を援助する活動に関わり、そのなかで幼なじみとその姉に再会する。
パリへ行こうとするが、それとひきかえに当地での接触者を密告するよう求められ、拒否。旅券は当局に没収される。
妻子ある姉とのつかの間の恋。

と、またまた列車に飛び乗るシーンへ。
乗り遅れた若者は、その場に居合わせたクラスメイトと出会う。
彼女と恋に落ちた若者は、いちどはくじけかけた医者への道に再び戻るため復学し
、医者になり、結婚し子をもうける。
あるとき、息子が地下出版のかどで逮捕され失脚した恩師のかわりに、シリアでの講演を行うように要請される。二つ返事で引き受けた彼は国外への旅に出るのだが・・・

**

偶然によって人生はどのように変わってゆくのか、ということと、
どんな運命であっても関わらざるを得ない状況をめぐる必然、ということ。
その両方を強く感じさせる映画だった。

具体的にいつとは示されないが、おそらくは81年の戒厳令にいたる反政府運動の活発化するポーランド情勢のさなかの物語である。
しかしそれが明示されないことによって、物語は普遍性を帯びてくるのだと感じた。

いずれの物語にも共通するモチーフは、
拷問の末仲間を密告した過去を持つ父の死と、
それによってもたらされる医者になろうという使命感の喪失。
党と地下出版。
それから
パリ行きと、女性との愛。

どんな運命にあっても厳しい社会の情勢のなかで翻弄される姿は
なんとも痛々しい。
反政府運動と戒厳令のさなか、そうしたことにいかに個人が無縁ではあり得なかったか、そして当然と言えば当然だけれど、その中でも育まれていた愛情の暖かさとはかなさ、そうしたことが痛切に伝わってくる。

ワイダが激動の表舞台を強靭に描いたとするならば、「偶然」はその裏側のたくましくも繊細な個人史を描いた作品だと言えるのではないだろうか。

**

冒頭に、時系列をシャッフルした短いエピソードがつらなるので、
分かりにくい感を覚える構成になっているが、観進むうちにそれらが、ああなるほどとつながっていく。
幻想的な断片の連なりとしてみえたものが、次第にまぎれもない現実の1ピースとして重みを帯びてくる。
そのテイストがちょっとベルトルッチの「暗殺の森」の構成を思い起こさせて、なんとも趣味にしっくりときた。

当初完成したバージョンは120分余だったが、当局の検閲により集成を余儀なくされ、100分余のバージョンとなったとのこと。
今流通しているDVDはショートバージョンのようである。

哀切たっぷりかつ素朴な音楽は非常にヨーロピアンでツボ。
「戦場のピアニスト」のヴォイチェフ・キラール
だそうです。

1980「連帯」結成、反政府運動高まる
1981戒厳令
1985ソ連ゴルバチョフ体制
1989円卓会議、大統領制復活、部分的自由選挙で連帯勝利、非共産主義系連立内閣発足



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↑うまく書けませんでしたが、ぼちっとオネガイします。
コメント (4)
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