南会津流半農半スキー 和泉屋AK.T

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春熊猟 その2

2020-04-11 21:02:09 | 里山の暮らし

一昨日、すでに銃を置いている南会津マタギの親方に連れられて、今後の鉄砲ぶちのためにと熊猟をするエリアを教授してもらった。この前代未聞の雪無しで、熊はすでに冬眠から覚め里に向かって降り始めているだろうと期待はしていなかった…。

ところが図らずも、岩穴にはまだ熊が寝ていた。当然逃げられた…。

それならば!と、昨日は雪も積もったし足跡が見えるとなるとじっとしていられない親方から朝イチ電話が入る。

「今日、行ぐべ?」、「行ぐ!」

急きょ、畑出勤をやめ準備する。今日は前回とは違う山へ分け入った。

さっそくナラの古木の木穴へ。

この木穴でも何回か熊を仕留めているとのこと。登った新しい爪痕はなかったが、一応やってみる。

棒でぶっとい幹を何回も叩く。ぼくは指示された立ち位置から銃を構える……。幹に耳を当てるが、音は無し。

どうやらこの木穴にはいないようだ。

さて、次の作戦会議。雪の上に概念図を描く。やっぱり雪があるといい。

今いる位置から、沢向かいのガンクラ(岩倉)に数か所ある岩穴を目指すことにした。

ここ数日は南会津も寒が戻り、降雪・凍結がある。大汗もかくことなく、シカやヤマドリの足跡など確認しながら上を目指す。

目指すはこのガンクラの上だ。右側を巻いて上に向かう。

崖の上にあるのがこの岩穴。

中を覗くが今年は入っていなかったようだ。かつてはここで2回仕留めたとのこと。

親方が指さすのは「あでっかじり」の跡。

冬眠する熊の多くは、熊穴の近くにこのように灌木や樹をかじって印を残すらしい。これは数年たった古い跡。

ガンクラの上は平坦なブナ林となる。一度伐採された後に成立したブナの二次林だ。

次の穴へ向かう。

今日も親方は穴にもぐるもぐる!

この岩穴の付近にはこのようなかじり跡「あでっかじり」があった。しかも新鮮だ。

このかじり跡。それぞれのかじられた方向を直線でたどり、交差した辺りに熊が冬眠しているという。

穴熊猟では「あでっかじり」は重要なサインとなる。

結局、熊は穴から出てしまっていた…。

この山は、この三つの熊穴を押さえていればいいだろう。あとは山を見ながら帰ろうと、森を歩きだす。

ところが…。

「おい!熊の足跡だ。しかも、ずねえぞ!(大きいぞ)」

一昨日の足跡と昨日の足跡を見つけた。親方、色めき立つ…。

新しい方の足跡を辿る。

足跡はこの岩場の穴に吸い込まれていった。そして、その近くには「あでっかじり」が…。

おそらく冬眠から目覚めた熊が、足慣らしに周辺を歩き回って戻ったのだろうと。

この熊穴はさすがの親方も知らなかったようだ。

親方はもぐる。ぼくは構える。

巧妙な岩穴は複雑に入り組んでいるようだ。しかし、この穴から出て行った足跡は無い。あのデカい足跡の熊は必ずこの岩塊の中に居る。今度こそ…名誉挽回か?

もぐったり、長い棒を突っ込んだり、じっと待ったり約2時間。結局、熊は姿を現さなかった…。

残念…。後ろ髪惹かれるように、山を後にしたのでした。

親方、またよろしくお願いします!

ここ南会津でも例外なく狩猟者が減っている。しかも高齢化が著しい。本当なら大勢で巻き狩りをやるのが省エネで効率的だ。しかし、奥山へ分け入ることの出来る人が少なければ、このような穴熊猟が効果的なのかもしれない。

昨今、山の獣はどんどん増えている。天敵もいなければ狩猟者もいない、しかも雪が少ない。これでは増えて当然だ。

親方たちに言わせると、熊は決して増えているわけではないという。本来ならこのような奥山に行かないと獲れない熊が、山に入る人たちが激減しているから恐れることなく里にどんどん降りてくるのだと…。

こんなだだっ広い南会津なのに、家から職場やスーパーだけの往復しかしない生活圏ではもったいなさ過ぎる。

家と職場の往復、たまに街に買い物へ。だけの生活なら、バックスクリーンの壁紙を四季に応じて替えただけの平野の生活となんら変わりないのではないか?

南会津の暮らしって、もっと広範囲でありたい。狩猟も舞茸採りも岩魚釣りも山スキーも、南会津の暮らしの一部なのです…。

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