イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

滋賀の実家に帰省する ~Days and nights in Kyoto~ その5

2008年06月10日 07時11分26秒 | 旅行記
久しぶりの京都市営地下鉄に乗り、四条駅で降りた。京都の地下鉄の路線は、七年前の当時に比べてずいぶんと拡張されている。昔は南北に一本、まっすぐに走っているイメージだったのだけど、横にも通るようになり、そこから先にもいくつか枝分かれしている。この地下鉄にのれば、簡単に市内各地とその近辺を見て回れるだろう。近い将来、数ヶ月京都に滞在して、翻訳プラス京都散策の日々をやってみたいという思いがますます募る。烏丸四条から河原町四条の間には、アーケードがあって、雨や夏の日差しを防いでくれる。その日も太陽の光はとても強かったのだけど、アーケードの下にいるから日よけになる。なんだかその光景がとても懐かしかった。ちなみに、四条通やその界隈を歩く人たちは、実は回遊魚みたいに同じところをグルグル回っていたりする。知り合いにばったり出会って、そのしばらく後でまた同じ人に出くわす、なんてことも結構あるのだ(妙にばつが悪い)。なんだか、じっさいよりも人数を多く見せるためにカメラの前を行ったり来たりしている映画のエキストラみたいだと思う。

どこに行くかはまったく決めていない。ただ、京都の街並みが見たい。母親は大丸デパートの和食器売り場でずっと働いていた。もう辞めて何年か経つけど、久しぶりに大丸を覗いてみようということになった。食器売り場はちょっと気恥ずかしいのでいかず、地下の食品売り場をウロウロとする。「おおきに」という言葉があちこちから聞こえてくる。ええもんですな。

ジュンク堂に入る。このジュンク堂には、本当に数え切れないくらい来ている。僕にとっての本屋の代名詞と言えばここだ。当時は、これほど大きな本屋は全国にもそうそうないだろう、と思っていたけど、各地に大型書店がオープンした今、あらためて店内を見渡すとそれほど巨大ではないことを感じる。いつも、バイト代が入ると、エスカレーターに乗って、一階ずつじっくりと棚を眺めてめぼしい本にあたりをつけておいてから、最上階までいって、登るときに目をつけていた本を買いながら降りていくという「死亡遊戯方式」で本を買っていたものだ。すべてが懐かしい。自分の訳書も三冊とも置いていてくれた。さすがジュンク堂。ありがとう(涙)。

錦市場を練り歩く。魚とか食材を見ていると落ち着く。母親と御茶屋に入る。彼女はあんみつ、僕は宇治金時を注文する。やっぱり宇治金時は、京都で食べると美味しい気がする。母親とはいろんな話をした。僕は親戚の事情にかなり疎いのだけど、誰それは今どうしてるとか、そういうことを教えてもらう。当時子どもだった者は大人になり現実と直面し、当時大人だった者は年を取り老いと直面している。時代は回り、世代は変わる。世の中、つらいこともたくさんある。けど、楽しいことだってたくさんある。たとえば今、こうして母親と元気に京都の街を歩き、甘いものを食べたりしているように。でも、本当は楽しいことばっかりじゃなくたっていい。宇治金時だってなくたっていい。ただこうして生きている、それだけで十分だ。

流れていく時間には、抗えない。抗えないけど、抗えないことを知り、それを受け入れていくことはできる。子どもだった僕はいつの間にか大人になり、オヤジになった。そして老いていく。すでに老いを生きている母も、ゆっくりと日々の時の流れに身をゆだねている。ゆっくりと、確かに老いは進んでいく。この世に生まれたとき、世界は母親だった。あるいは、母親と自分が一体となったものだった。やがて僕はそこから分離し、一人で歩き始めた。成長するにしたがい、母親の存在が重く感じられたこともあった。母親と一緒に街を歩くなんて、嫌だと思ったこともあった。もちろん、今でも母親は自分にとって特別な存在だ。だけど、今ならわかる。母親は、もはや世界そのものではなく、一緒にいるのが恥ずかしい存在でもない。彼女は一人の人間であり、その他のいきとしいけるものと同じように、抗うことのできない限られた時間のなかで、与えられた生を生きている、一個の生命なのだ。

街並みは、ずいぶんと変わったとも言えるし、そうでもないと思える光景もたくさんある。ケバケバしく、古く、洗練されている。様々な要素が混在している。個人的な印象なのだろうけど、京都は、歩いていてどこかにたどり着けるような気がしない。歩いても歩いても、終わりがない。四条、三条、河原町、寺町、新京極。おなじところを何度も行ったり来たり。それでも、歩くほどに懐かしく、気分が落ち着いていく。思い出が蘇る。僕には第一の故郷と呼べる場所がない。各地を転々としてきたからだ。でも京都は確かに僕の第二の故郷なのだと思った(第二の故郷がたくさんある)。住んでいるときは、そんな気持ちにならなかったのだけど。

もう三時。そろそろ帰らなくては。京都駅に戻った。改札口で母とお別れだ。お母さん、楽しかったです。ありがとう。また帰ってくるね。

新幹線の発車時刻まで少し時間があったので、駅そばを食べた。やっぱり、おつゆの色は薄かった。そして美味しかった。所変われば品変わる。関東の黒いつゆを思い起こすと、まるで右ハンドルと左ハンドルの違いのような大きな差異を感じる。どっちが正しいとか間違ってるとかじゃない。人の価値観なんて、それぞれだ。相対的なものなのだ。

どこにへも行けぬ京都の散策の老いたる母と食す宇治金時

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
京都、 (Natsume)
2008-06-10 13:58:02
行きたくなりました(JR東海か)。
(^0^)/
おいでませ、京都 (ぼぼぼ)
2008-06-10 22:39:35
京都も大きな書店が増えましたが、
ジュンク堂京都店の品揃えが一番品格あるように
感じています。一番たのしい。
週に1度はいきます。
今日も上から下まで。

夏目さんも (iwashi)
2008-06-11 00:18:16
かなり頻繁に鎌倉行かれてますよね。あれくらい頻繁に帰れたらいいな~、といつも思ってます。ともかく、京都いいですよね。でも今回は短すぎました(^^)
ええところです (iwashi)
2008-06-11 00:22:52
ぼぼぼさん、
おお、そうでしたか! いいっすよね、ジュンク堂京都店! あのエスカレーターで上っていって別な世界に入るところがわくわくするんですよね。頭のスイッチが切り替わるというか。二階から一階に降りたところにあるチケット売り場みたいなあの雰囲気が20年前からほとんど変わってなくて、ジーンと来ました。

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