日常世界ではあまり耳にしないが、
翻訳会社に勤めているとよく聞こえてくる言葉として、
「冗長(じょうちょう)」という語がある。
よくわかりそうでわからない言葉ではある。
冗談が長い、というわけではない(が、当たらずと言えども..ではある)。
つまり、語りが無駄に長い。簡潔に言えるところをくどくど言っている、
そういうことである。
「おたくが納品された訳文、ちょっと冗長なんですよね...云々」
みたいなクレームがくるときもあるし、
レビューアーが、ことごとく冗長な表現を許さずに
徹底的に無駄をそぎ落としたミニマリスム翻訳の視点から
アカを入れてくることもある。
たとえば、
×することができます。
と書いてあるのを、すべて一律に
○できます。
に修正してきたりする。
確かにこれはわからんでもない。
というか、まあ妥当とは言える。
でも、必ずしも上の修正が常に正しいとはいえない、
ということができると思われるのである(冗長な表現)。
だって、「"すること"ができる」、と
「できる」は違うでしょう。違うからこそ、言葉は
自然発生的にパラフレーズされているわけなのです。
強いていえば、前者はbe able to で、
後者はcanに近い。
僕個人の感覚ですが。
たとえば、成田空港にいく方法、
というのを人に教えるとき、
「成田エクスプレスに乗って行け」
といえば、一言ですみます。
ものすごく簡潔です。
でも、この一言を、理解できない人もいる。
そういう人は、
成田エクスプレスというものが何で、
それに乗るためにはどうすればよいか、
それを自分で調べなければならない。
時間も食うし、
場合によっては道に迷う。
そう考えると、文章としては長くなってもいいから、
「まず、成田空港に行くためには、いくつか方法がありますが、
その1つとして、成田エクスプレスという電車に乗る、という手が
ございまして、まあだいたいの人は、これに乗って件の空港まで
いくというのがこっちの人間の慣習でございまして...」
とくどくど書いた方が、より「短時間」で、
読み手には情報が伝わるかも知れないのだ。
つまり、後者の方がミニマムな情報を伝えている。
だから、文字や表現が短ければ冗長さを回避できる、
という考えには常には同意できないのである。
翻訳会社に勤めているとよく聞こえてくる言葉として、
「冗長(じょうちょう)」という語がある。
よくわかりそうでわからない言葉ではある。
冗談が長い、というわけではない(が、当たらずと言えども..ではある)。
つまり、語りが無駄に長い。簡潔に言えるところをくどくど言っている、
そういうことである。
「おたくが納品された訳文、ちょっと冗長なんですよね...云々」
みたいなクレームがくるときもあるし、
レビューアーが、ことごとく冗長な表現を許さずに
徹底的に無駄をそぎ落としたミニマリスム翻訳の視点から
アカを入れてくることもある。
たとえば、
×することができます。
と書いてあるのを、すべて一律に
○できます。
に修正してきたりする。
確かにこれはわからんでもない。
というか、まあ妥当とは言える。
でも、必ずしも上の修正が常に正しいとはいえない、
ということができると思われるのである(冗長な表現)。
だって、「"すること"ができる」、と
「できる」は違うでしょう。違うからこそ、言葉は
自然発生的にパラフレーズされているわけなのです。
強いていえば、前者はbe able to で、
後者はcanに近い。
僕個人の感覚ですが。
たとえば、成田空港にいく方法、
というのを人に教えるとき、
「成田エクスプレスに乗って行け」
といえば、一言ですみます。
ものすごく簡潔です。
でも、この一言を、理解できない人もいる。
そういう人は、
成田エクスプレスというものが何で、
それに乗るためにはどうすればよいか、
それを自分で調べなければならない。
時間も食うし、
場合によっては道に迷う。
そう考えると、文章としては長くなってもいいから、
「まず、成田空港に行くためには、いくつか方法がありますが、
その1つとして、成田エクスプレスという電車に乗る、という手が
ございまして、まあだいたいの人は、これに乗って件の空港まで
いくというのがこっちの人間の慣習でございまして...」
とくどくど書いた方が、より「短時間」で、
読み手には情報が伝わるかも知れないのだ。
つまり、後者の方がミニマムな情報を伝えている。
だから、文字や表現が短ければ冗長さを回避できる、
という考えには常には同意できないのである。
何か覚えると、まさに、何とかの一つ覚え、みたいに細かい状況の違いを無視して同じことばかり言う人、たくさんいますねえ...
(>_<)
しょうがないです...だって、細かい違いを理解するには、大変な勉強と訓練が要るから...
あって、どうしてもパラフレーズしたく
なってしまう要求を抑えることができません。
Note that ときたら、~に注意してください。
とは絶対やくしたらんぞ、と意地を張って
しまうというか。
逆に、同じ言葉を違う表現に訳し分けることは
はなからNGと思っている人もいるように
見受けられます。性格の差だとも思うので、
それはそれでいいと思うのですが、
それをすべてにあてはめようとするのは
勘弁願いたいところです(でもいえない)。
2 できます。
3 することもできます。
自分の感覚的には、1には違和感ある。
画面の左側に字幕が「はたして、気づくことができるのか。」と出たけど、
短時間なら「気づくか!?」で良いよ。