もし本当にタイムマシンに乗って、長浜小の四年二組に通う十才の自分に会いに行けるとしたら、僕は彼に向かってどんな言葉を伝えることができるのだろう? いたいけな少年を捕まえて、「これからのお前には、あんなこともこんなことも待ち構えている。あれをするな、これをするな、もっと行儀よくなれ、もっと計画的になれ、もっと――」とでも言うべきなのだろうか? いや、違う。おそらく、僕に言えることは何もない。あったとしても、言いたくない。ただ遠くで彼を見つめながら、「そのままでいい。くたくたになるまで思い切り遊び回れ」とだけ心の中でつぶやくのだろう。そんなこと言われなくても、彼はくたくたになるまで思い切り遊び回っているのだろうけど。
想像力を全開にし、持てる限りの体力を使って日が暮れるまで遊んでいた浜田での子供時代。それは僕にとって何にも替えがたい、幸せな思い出だ。これから先の人生で何があろうがいつまでもこの身を支え続けてくれるであろうもの、それは浜田の町を友達と駆け回ることによって培われた、この幸せな記憶だ。挫折多き半生ではあったが、ギリギリのところでなんとかやってこられたのは、友達の投げるゴムボールをギリギリのところでよける日々から得たあの感覚のおかげだ――28年ぶりの浜田で、あらためてそんなことを実感した。
むしろ僕は今回、あの頃の自分から多くのことを教わったのだ。「もっと自分らしく、もっと心の赴くままに、時間を忘れて目の前の何かに熱中してみろよ」十才の自分から、そう言われているような気がした。東京に持ち帰った宿題のひとつが、この旅行記だったのかもしれない。
時計の針は巻き戻せない。だけど、過去の記憶に別の角度から光りを当てることはできる。旅立つ前の浜田は、とてつもなく大きな幸福さを想起させるものでありながら、あまりにも長い時間を経過させてしまったことですっかり凍りつき、色あせてしまっていた。だが、再び訪れたこの土地で、潮風に晒されながら懐かしい景色を見渡し、浜っ子の温かい心に触れて彼らの心のなかに自分がまだ生きていると知ったとき、たしかに過去と、過去の持つ意味合いは変わった。雪解けの春を思わせる鮮やかな輝きのなかで、十才の僕はまた生き生きと躍動を始めたのだ。実際、本物のタイムマシンに乗って過去の自分に会いに行けたとしても、今回の旅ほど大きな何かを得ることはできなかっただろう。
この旅行記で浜田は、あくまでも部外者の視点で書かれている。わずか五年でこの地を去り、それ以来ずっと別の場所で暮らしてきた僕には、浜田の本当の姿はわからない。そもそも、今回の旅は3泊4日でしかなかったのだ(考えてみたら2日と20時間しか滞在していない。それなのに40回も書いてしまった)。約30年ぶりの故郷を訪れた者の眼に、この町は美化されたり、現実とはかけ離れたように映ったりした面もあるだろう。僕にできることは、そうした偏りがあることを認めたうえで、ひとりの「風の又三郎」として、浜田のありのままの姿とその素晴らしさを描くこと、自分が感じたことをそのまま表現することだった。
僕はたしかにこの夏、特別な体験をした。だが同時にそれは、決して僕ひとりだけに還元できるようなものではない。僕は、誰の心の中にも存在する懐かしい記憶の扉を、たまたま開けてしまっただけなのだ。そしてだからこそ、すべてがこんなに懐かしかったのだ。
謝辞
浜田のみんな――エイコちゃん、エイコちゃんのお父さんお母さん、いとこの晴美さん、マキちゃん、マキちゃんのお父さんお母さん、清君、清君のお父さんお母さん、靖子さん、かぺ君、コマッキー、タバサさん、由美ちゃん、紀ちゃん、紀ちゃんのママ、坂本君、ゆうすけ君、ナットミ、ヒロシ君、僕のお父さんお母さん、姉、弟、校舎の当直の先生、そして景山先生夫妻と、景山クラスのみんな――すべては書ききれないけれど、浜田への訪問中および旅行記を書いている間にお世話になったすべての方々――本当にありがとうございました。みなさんがいなければ、浜田への再訪はあり得ませんでした。みんなの協力がなければ、絶対にこの旅行記は書けませんでした。エイコちゃんには連日の電話取材で本当に大きなサポートをいただきました。ありがとね!
マリオさん、kameさん、山男さん、そして夏目先生を始め、コメントをいただいた方、そして旅行記を読んでいただいたすべての方々に感謝の意を捧げます。ありがとうございました。
最後に、あの頃の自分へ――ありがとう、お前は幸せ者だよ!
想像力を全開にし、持てる限りの体力を使って日が暮れるまで遊んでいた浜田での子供時代。それは僕にとって何にも替えがたい、幸せな思い出だ。これから先の人生で何があろうがいつまでもこの身を支え続けてくれるであろうもの、それは浜田の町を友達と駆け回ることによって培われた、この幸せな記憶だ。挫折多き半生ではあったが、ギリギリのところでなんとかやってこられたのは、友達の投げるゴムボールをギリギリのところでよける日々から得たあの感覚のおかげだ――28年ぶりの浜田で、あらためてそんなことを実感した。
むしろ僕は今回、あの頃の自分から多くのことを教わったのだ。「もっと自分らしく、もっと心の赴くままに、時間を忘れて目の前の何かに熱中してみろよ」十才の自分から、そう言われているような気がした。東京に持ち帰った宿題のひとつが、この旅行記だったのかもしれない。
時計の針は巻き戻せない。だけど、過去の記憶に別の角度から光りを当てることはできる。旅立つ前の浜田は、とてつもなく大きな幸福さを想起させるものでありながら、あまりにも長い時間を経過させてしまったことですっかり凍りつき、色あせてしまっていた。だが、再び訪れたこの土地で、潮風に晒されながら懐かしい景色を見渡し、浜っ子の温かい心に触れて彼らの心のなかに自分がまだ生きていると知ったとき、たしかに過去と、過去の持つ意味合いは変わった。雪解けの春を思わせる鮮やかな輝きのなかで、十才の僕はまた生き生きと躍動を始めたのだ。実際、本物のタイムマシンに乗って過去の自分に会いに行けたとしても、今回の旅ほど大きな何かを得ることはできなかっただろう。
この旅行記で浜田は、あくまでも部外者の視点で書かれている。わずか五年でこの地を去り、それ以来ずっと別の場所で暮らしてきた僕には、浜田の本当の姿はわからない。そもそも、今回の旅は3泊4日でしかなかったのだ(考えてみたら2日と20時間しか滞在していない。それなのに40回も書いてしまった)。約30年ぶりの故郷を訪れた者の眼に、この町は美化されたり、現実とはかけ離れたように映ったりした面もあるだろう。僕にできることは、そうした偏りがあることを認めたうえで、ひとりの「風の又三郎」として、浜田のありのままの姿とその素晴らしさを描くこと、自分が感じたことをそのまま表現することだった。
僕はたしかにこの夏、特別な体験をした。だが同時にそれは、決して僕ひとりだけに還元できるようなものではない。僕は、誰の心の中にも存在する懐かしい記憶の扉を、たまたま開けてしまっただけなのだ。そしてだからこそ、すべてがこんなに懐かしかったのだ。
謝辞
浜田のみんな――エイコちゃん、エイコちゃんのお父さんお母さん、いとこの晴美さん、マキちゃん、マキちゃんのお父さんお母さん、清君、清君のお父さんお母さん、靖子さん、かぺ君、コマッキー、タバサさん、由美ちゃん、紀ちゃん、紀ちゃんのママ、坂本君、ゆうすけ君、ナットミ、ヒロシ君、僕のお父さんお母さん、姉、弟、校舎の当直の先生、そして景山先生夫妻と、景山クラスのみんな――すべては書ききれないけれど、浜田への訪問中および旅行記を書いている間にお世話になったすべての方々――本当にありがとうございました。みなさんがいなければ、浜田への再訪はあり得ませんでした。みんなの協力がなければ、絶対にこの旅行記は書けませんでした。エイコちゃんには連日の電話取材で本当に大きなサポートをいただきました。ありがとね!
マリオさん、kameさん、山男さん、そして夏目先生を始め、コメントをいただいた方、そして旅行記を読んでいただいたすべての方々に感謝の意を捧げます。ありがとうございました。
最後に、あの頃の自分へ――ありがとう、お前は幸せ者だよ!
最終回までお疲れさまでした
毎回泣いたり笑ったり、楽しみで仕方なかったです
ついに最終回を迎えてしまって読んだ後はちょっと何とも表現できない気持ちになって放心してしまいました
どう表現していいのかコメントもできず(笑)
それなのに謝辞で私の名前を並べて頂いて、ほんとにほんとに恐縮です
またいつか英子ちゃんにイワシさんと出会えるチャンスを作ってもらいます
大好きな浜田で出会えたら最高ですね
でも、もし大阪に来る事があったら声かけてください
コンビニ袋を耳にひっさげて参上します(笑)
一緒にメルシャンの最高級ワイン飲みましょう
(かべサンすいません)
心に残る再訪記。
ほんとにありがとうございました
ちょっと大げさかもしれませんが、さまざまな記憶の断片をつなぎ、つむぎ、接ぎ木し、さらに構築していくという作業は共通すると思います。
自分の記憶と他者の記憶が拮抗し、あるいは調和するさまは、読んでいてスリリングでした。
すばらしい読み物が出来たのは、イワシさんの人柄の良さと筆力、そしてイワシさんの旧友のみなさんの助けがあったからですね。
実にすがすがしい気分を味わいました。
浜田のみなさん、イワシさん、ありがとうございました。
生粋の浜っ子ではない晴美さんと僕には、浜田に対する想いも共通したものがあるのかもしれませんね。晴美さんに旅行記を楽しんでいただけて最高に嬉しいです!しかし終わってしまうと、なんだか寂しくなりますね。
大阪に行った際にはぜひぜひ飲みましょう!
ありがとうございます。我が文章の師匠、kameさんの域には遠く及びませんが、これだけ長いものを書いてみて、初めて「そういうことか」と実感できることも多く、とても勉強になりました。
kameさん、浜田の友達を始め多くの人たちのサポートがあったからこそ書き続けることができました。書くことは決してひとりでする作業ではない、と痛感しました。しばらく抜け殻になりそうです(^^)が、徐々に通常モードの翻訳LOVEに戻りたいと思います。
書くということは、ものすごいエネルギーが要ることですよね。本当にお疲れさまでした!そして、ありがとう。ゆっくりお休みください(そうもいかないのか…)。
浜田って、なんかきらきらして、素晴らしいところなんですねぇ :)!
コメントありがとう!
かなり内輪ノリな部分もあったから、正直言って、浜田以外の人たちがどんな風に読んでくれているのか、不安だったんです。実際、ちょっと引いてしまった人も多いとは思うけど(笑)、少しでも何かを感じてもらえたのならとっても嬉しいです。
気持ちを切り替えて、また新たな目標に向かって頑張りたいと思います。浜田はいいところですよ~(^^)/
「みんな小さい頃から知っているけど、それぞれの人生を歩いてるんだなぁと思いました。子供ら(私らの事)がワイワイ楽しそうなのを見れてこちらも嬉しかったです。来てくれてありがとうね」
母は実はみんなと話したかったらしいが、今回は特別な集いなのもあって入らないようにしてた模様。でも最後ら辺、一緒にBBQコンロの前に座ってなかったっけ(笑)
すべて読み切りました。
皆さん、先輩として誇れる方ばかりです。
人としてすごく輝いています。
いつの日かお会いできればいいですね。
お母さんのコメントありがとう。寡黙で働き者の素敵なお母さん、その説は本当にお世話になりました。みんなが集まる姿を見て、喜んでくれていたんだね~(涙)。BBQの後半はあんまり記憶ないけど(笑)ママもいたような気がするよ!
こんなに長い旅行記を読んでいただいて、ありがとうございました。偶然ブログを拝見してこちらから連絡した山男さんが、まさかかぺ君や清君やたらさんの後輩の方だったなんて、奇遇すぎてびっくりしました。不思議な縁ですね~。またの機会にぜひお目にかかりたいですね!