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東歌

2013-03-26 12:07:01 | 日本語・古事記・歴史・日本人
今年64歳になりました。この年になって64歳で亡くなった私の祖母を思い出します。その祖母の命日が今月29日です。祖母は生まれて間もない私に会いたがり、産後の母に早く戻って来て欲しいと頼んだそうです。それで母は予定を早めて戻ったらしいのです。そして私を見て腕に抱き、その2週間後に他界しました。

私はこの事を覚えているわけではないのですが、父母から何度となく聞かされたのだと思います。祖母に親近感を持って育ちました。祖母の残した本を読み、祖母の心の軌跡をたどったのだと思います。そしてそれが父祖から祖母へ、父へと受け継がれてきたものだと思います。

その祖母の年になったなあとしみじみ思うのです。23400余の日々の繰り返しを思います。そして連想してしまうのが今日の記事の題でもある東歌の中の言葉『クリタタネ

その東歌は

     君が行く 道の長手を くりたたね 
                    焼ほろぼさむ 天の火もがも


という私の感慨とは全く関係もない歌なのですが、『クリタタネ』という音につられて思い出してしまうのです。この東歌は

中学校か高校か忘れましたが、もう一つの有名な東歌、

     信濃路は 今ははりみち 刈ばねに 
                    足ふましなむ 沓はけ我が背


と一緒に教わり、心に焼き付けられた歌です。

『クリタタネ』のどこがそんな連想を生むのかというと、『タタ』という音です。『タタナヅク』と同じ音です。繰り返し繰り返しの重なる景色を見るからです。この東歌の作者の心の中に作り上げた情景が空間的なので、私の記憶という『クリタタネ』られた時間空間を反対に引き延ばして見るような・・・・・・そんな共感を感じてしまいます。


問題は昨日からの引き続き、『東』です。これらの歌は『東(あづま)歌』という東国地方の名もない庶民の歌だと教えられてきました。ここ数年前までは特に何も思いませんでした。我が国の昔の庶民は何という芸術的なのか・・・・・・と感心するだけでした。でも今はそうは思いません。この『東歌』と名付けられた歌は、歌を詠んだこともないいわゆる『庶民』の歌ではないと思います。

『随想古事記』(カテゴリーに分類しています)のシリーズを読んで下さった方にはお分かりでしょうが、結論だけを言うとこれは『ツカル』歌、或いは『ツガル』歌なのです。鳥族の、或いは鳥族の住む(住んでいた)地の歌人の歌なのです。この東歌は独特の歌人としての風格を感じさせます。オトタチバナ姫をしのんで『吾妻、はや』と悲しまれた日本武尊が東の国と名付けられたと聞かされてきました。ですがそれよりもツカルの『東』を『吾妻』と呼び変えられたか、或いは後世の人々がヤマトタケルをしのんでなぞらえたのだと思います。そして『東北』は『ツガル』の北、『道の奥』だったのです。地名方角そのものが部族名と符牒して定着してきた私達の言語学的歴史の証だと思います。




それでは今日も:
     
     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!
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