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年末にさしかかりました。

2012-12-21 10:40:56 | Weblog
今年の年賀ハガキは東海版になりました。新年を尾張一宮で迎えようとしています。それにしても九州人の頭は本州の地理的中央にある尾張平野を思うことはあまり無かったなあと、今更のように感じています。また当地に来て私はブログでご紹介してきた川崎真治先生によって啓発された『五色人の謎』を追体験しています。

長崎県も奇妙な地名が多いと言われていますが、ここ尾張平野はもっともっと奇妙(?)です。最初本当にびっくりしました。こんな漢字の並べ方があるのか・・・・・????要するに漢字が漢字の意味をなしていない・・・・・・つまり漢字が表音文字として使われている!!!!!これは凄いことですよ。

考えてみれば名古屋と言う地名も見慣れているから何も感じませんが、これも『名古屋』という漢字の地名があったのではなく『ナゴヤ』という所があっただけなんです。それを適当に漢字を使って表現しただけなんですね!!!!すぐ近くにある『岐阜』、これは信長公が16世紀になって漢字の意味をくんで命名したものですから非常に常識的です。この驚きのきっかけは、『刈安賀』、何と読むと思われますか、『カリヤスカ』・・・・・・九州人なら妙に納得できる音ですが、此処の葦か何かが質の良いもので刈安くておめでたかったのか・・・・・それとも川崎先生が提唱されたように『安』を『馬』の符牒ととるか・・・・・

ともかく一宮近辺は興味深いところです。これからしばらくそういった探究もしてみようと思います。主人の少年時代の思い出は長崎平戸一色ですが、私は父が転勤族だったので違います。私の小学校入学は、ここ東海地方の浜松、当時は鴨江町というところにあった鴨江小学校です。先生はとても優しかった田中松(?)子先生、学校内のことはあまり覚えていませんが、住んでいたすぐ近くで銃撃事件のような物騒な事件が起こった事を覚えています。後で母に聞いたことでしたが、父が家を借りたところは昔遊郭があったりしてあまり環境が良くなかったらしく、両親は同じ浜松で転校しないでもよいところに移転しました。

そこはお向かいが大きな古いお宮で、弟とお宮の境内でよく遊びました。新しい借家は生け垣に囲まれたとても大きな家で幾部屋もあり、『開かずの間』もありました。泉水もあって鯉も泳いでいました。それで引っ越したばかりの年末の大掃除は大変!!『徹底居士』の父のこと、徹底的にお掃除をして集めたごみを裏の畑で燃やしました。その煙はもうもうと立ち上り、誰かの通報によりとうとう消防車が出動する始末・・・・・消火用の水を用意して火の番をしている準備周到な父は、あまり燃やさないようにと注意をされて年の暮の大掃除が終わりました。年賀状の準備をしながら半世紀以上も前の事を懐かしく思い出しました。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!




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