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マクロビオティック考・理想と現実

2007-10-11 11:28:54 | 出版記事
マクロビオティックを知って、喜びに溢れ真理への確信に燃えて突き進んだ日を懐かしく(?)思い返しておられる皆様に申し上げます.皆様の理想と現実はいかがだったでしょうか.このことを新しくマクロビオティックを学ぼうとされている方々に発表する必要があるのではないかと思うのです.半分は老婆心、半分は余計なおせっかいかもしれません.

そもそも理想とは何なのでしょうか.敢えて申し上げます!理想とは永遠の目標です.したがってこの世に実現することはありません.そのわけは理想は絶対世界のものだからです.私達はその絶対無限の世界から、この相対有限の世界に生まれてきました.それで回帰を願望に目標に理想にして、私達の無限への回帰の旅を進んでいます.頭で無限のイメージはどんなにでも描くことが出来ますが、現実にはどうしても具体化することは出来ません.このことは個人的規模で日々体験しておられましょうし、世界規模で共産主義という理想を追い求めた人もいます.でもそれは永遠の夢なのです.理想的な現実を獲得した瞬間から、反理想的な現実が出現してくるのが相対世界の宿命です.

というわけでマクロビオティックの理想と現実はどうでしょうか.理想を語ることはその人の夢ですからいろいろどんなにでも出来ます.「大いなる命を生きる」マクロビオティック!!でもその現実は玄米ご飯を食べることから始まります.野菜を塩と火で調理して食べることから始まります.目標を人間の中庸に置いたとしましょう.自分の生活が中庸から大きく外れている時は、その中庸も定めやすいものです.動物性を取らない!砂糖やアルコールを取らない!陰陽の出すぎを外せばよいのです.でも段々その最初の中庸に近くなって来たらどうするのでしょうか.

たいていはもっと厳格により正しい食を求めます.陰陽は?量は?自分の状態は?次から次へと物差しの目盛りは細かくなっていくでしょう.そして行き詰まりを感じる人もいます.健康に関して、精神に関して、家族や社会的状況に関して・・・・・そんなとき皆様はどうして次のステップに進まれたのでしょうか.大体行き詰まりというものは、飛躍の前触れです.飛躍というのも大きく言うと2種類あります.飛躍するということは絶壁があるということです.その絶壁は前にそそり立っているのか、崖っ淵となっているのか.飛び上がるのか飛び降りるのか.以前ご紹介した中田先生のバイナリー理論ではありませんが、二者択一です.でもどちらも進歩なんです.突き進むか、それとも修正するか.この世はまさにバイナリー!!でも捨ててしまうことは出来ないのです.今ある自分を捨てることは出来ません.

突き進む人は修験者の道を選んだのです.これから難行苦行の末に真理を発見するでしょう???或いは途中で修正を選ぶかもしれません.ですからこのお話は修正を選んだ場合用です.修正って要するに自分に合わせるわけです.そうしないと進めないわけですから賢い選択です.このことを久司先生は既に予見されていて、自己改善の道が次の三段階を螺旋状に繰り返しながら進むと言っておられます.
          1)原則の厳守
          2)束縛の解放
          3)超越と自由

これを考えますと、悩んだ時には気分転換が必要ということになります.排除したものを食べてみて自分をチェックするのもよいでしょう.誰か他人の意見を聞くこともよいでしょう.もう一度復習しなおしてもよいのです.行き詰まるということは、自分が答えを出す準備が出来たということでもあるのです.問題意識を持ったということですから.そのときにしてはいけないことは唯一つ.自分と他人を責めることです.それ以外であれば、何でも構いません.やってみて自分の道を見つけ出してください.2)の段階、3)の段階に入って、また1)に戻り2)、3)と繰り返して人生を完成するのです.たくさんの道連れさんがいます.先輩達もいます.先輩は後輩から昔の記憶を呼び戻してもらうのです.みんな先輩であり後輩です.

久司先生のイエスについてのお話はとても興味深いものです.教えて頂いたイエスの言葉です.
          『後が先になり、先が後になる!』
キリスト教徒でなくとも、イエスの言葉をかみしめて生きたいと思います.

余談ながら突き進んだ人はどうなるでしょうか.それはある日ふと跳び上がった自分を発見します.3)に行きます.いつかまた1)に戻ります.どれも同じです.

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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (つくば)
2007-10-11 19:52:54
1、2、3を、漢字にすれば「修(守)、破、離」のスパイラルですね。
進むどころか、方向もタイミングすら、わからない時は本当に苦しいですが、その後を楽しみに、足踏みしています。めったにないことですが、ある日突然、予想以上のごほうび、ということを期待して!
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守・破・離 (和子)
2007-10-12 10:19:11
そうでしたね.東洋には素晴らしい内容を包含する言葉がありました.深く味わいたいものです.

つくばさんのおっしゃる通り、足踏みが救いになることも多いですよね.私も『お天道様のように!』というのをモットーにしています.来る日も来る日も同じことを黙々と繰り返すお天道様の有難さをかみしめて、繰り返しこそが生きる道と決めています.

繰り返しの一見無意味な日々を大切に過ごしたいものです.思い出させて頂いてありがとうございました.久司先生もそれを英語になさったのだと思います.keeping,breakthrough,detachment でしたから.
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Unknown (娘一号)
2007-10-14 13:06:24
「喜びに溢れ真理への確信に燃えて突き進んだ」
おかあちゃまらしい表現に、おかしくなって(いい意味だよ!)笑わせてもらいました。シッターのTちゃんも、この出だしに、もうすっかり引き込まれちゃったって言っていました。
おかあちゃまは、本当に 「素」で面白いです。

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お菓子を食べてみて・・ (neko)
2007-10-14 22:16:07
つくづく、「パンがなければお菓子を食べればいいでしょ」にはならないのだなと、感じているところでした。

やはり、基本は自分で育てて、自分で料理して、天地に感謝していただく。
何も難しいことはない、幸福の道は、実に単純でたやすく、鳥も動物も植物も実践していることなのだと思います。

あんまり食ばっかり見ていても、しかたがないので、
最近のneko一家は、
行き詰まったら、掃除をして外にでかけて、
人がいないところで大きな声で歌うことにしています。
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そうですか. (和子)
2007-10-15 08:47:01
素晴らしい方法ですね.お稽古にもなるし、若ちゃんも自然に覚えるし.楽しみながら覚えるのこそ、学習の最も良い方法でしょう.

体の調整も出来るし.『あわ歌』ってご存知ですか?イザナギ・イザナミ両尊が国と国民を整えるのに使われた歌です.まあ発声法とでも言いましょうか.チャンティングですが、日本は和歌の国ですから.

私ももう少し人麻呂の歌でも声に出して歌ってみようと思います.
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娘1号へ (ママシータ)
2007-10-15 08:50:16
藁ってもらえて嬉しいです.Tさんにもよろしくお願いします.

昔から「おかあちゃまはおかしい」って言われて来たけれど、本人には分かりません.これを自覚してやれるのなら,芸人になれるね.
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泡歌・・阿波歌? (neko)
2007-10-15 14:19:16
おぉ、そのあわ歌なるものを是非教えてください♪♪
よい発声練習になりそうな予感がしております。

最近は、桜を見ながら、源氏物語を題材にした「春の宴」をうたっております。
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あわ歌 (和子)
2007-10-15 19:41:31
秀真伝によるものです.現代の五十音と似ているのですが、五七調です.

     あかはなま いきひにみうく
     ふぬむえけ へねめおこほの
     もとろそよ をてれせゑつる
     すゆんちり しゐたらさやわ

最初と最後の音をとって、あわ歌です.どんな調子をつけられますか.

いつか琵琶を担いで来られる日が楽しみです.


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ありがとうございます (neko)
2007-10-16 20:45:20
さっそくメモらせて頂きました。
琵琶歌は、五七調ですから、一緒ですね。
なんだか、いろは歌を思い出します。
ざっと見た感じ、同じ文字が2回出てきていませんね。

明日から、発声練習にさせていただきます。
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琵琶歌は (和子)
2007-10-17 08:39:02
五七調なのですか.ご指摘のとおり、現代の五十音やいろは歌と同じように一音一回の歌です.

いろは歌は七五調、それも最古の文献は漢字だそうです.いろいろと考えさせられます.
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