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マクロビオティック考・余裕

2007-11-26 16:23:17 | マクロビオティック
ここの所迷い多い日々を過ごしています.それでなかなか記事を書く気になれません.空白が続く日記帳みたいです.

現代に生きる私達のマクロビオティックは、自分自身の問題もさることながら自分となって現れている先祖代々の来し方にも大きく左右されています.私達は先祖を自分の中に持っているというのが近いかもしれません.その上人間の多様性という枠の大きさが、人間の特徴である精神性にまで及ぶので、様々な人々の許容範囲を考えると時々「何をか言わんや」と思います.

桜沢先生でさえも、ご自分の許容範囲を甘く考えられたとなると、私達は余程自分に厳しい覚悟を持って過ごさねばなりません.教室ではその覚悟をお話する以外に本当は何も無いのかもしれません.後は食事だけでもない、思いだけでもない、運動だけでもない生活のし方を、太古の昔から連綿と自分に続く生活史を振り返って、自分の余裕を見極めること.その余裕の中で、自分の許容範囲を設定すること.全責任を引き受ける覚悟を持っていれば、何をどのようにしても自由です.

何をどのように学びたいのか、それを自分ではっきりさせることが一番大切です.そうすれば、様々な先生方の中から自分の師を選ぶことができます.師の生き方はお手本ではありますが、その解釈は自分の責任でするものです.良くても悪くてもありがたいものです.

久司先生の様に同じ時代を生きて直接教えて頂くことが出来る師もおられますが、無限宇宙に帰られた昔の方々の中にもたくさんの師を持っています.また自分に現れた先祖に思いをめぐらして、その方々の思いと自分の思いとを一緒に成長させることも必要だと感じています.私の周囲に集まってくださる生徒さんからなげかけられる問題も奥が深いだけに、どのようにお答えするべきか悩むことが多くなりました.
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