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NHKの番組・ミクロの世界

2015-08-14 14:29:05 | 日本語・古事記・歴史・日本人

昨日でしたか、おとといでしたか、お札についていた菌で感染症?とかの外国のニュースが報道されていました。子供の頃お金に触った手は洗わなくてはいけないと言われたものです。それを思い出しました。神経質になりすぎるのもどうかと思いますが、もう一つ思い出すのが映画≪ローマの休日≫のアン王女がジェラートのコーンをちょっとかじって投げ捨てるシーン・・・・・コーンを食べないのは『不潔だから』ですよね。だけどあれは、あの後鳩がつつくんですよね(多分)・・・・・日本では紙でくるんだアイス屋さんのコーンは『食べてよい』とか・・・・・とも。

 

ところで先日放送されたNHKの『ミクロの世界』という番組をご覧になりましたか。マクロビオティックが長年言ってきたことですが、科学の最先端はそれを解明しつつあります。ここでいう『それ』とは、人間の体が細菌とのコングロマリットだということです。まあ虫として認識されてきた寄生虫から、細菌というべきかウィルスというべきかの微生物、ミトコンドリアのような欠落機能を他の生命体と共役して生きているという生命体まで、要するに互いに『まみれて生きている』という生命の実体が明らかになりつつあります。

番組の内容はかなり衝撃的でした。世界には免疫疾患を治療するために寄生虫をわざわざ自分の体内に取り入れた細菌学者が出てきました。回虫でしたか(?)寄生虫を皮膚につけると、その寄生虫は血管をとおって大腸に行き着くのだそうです。そしてそこで寄生虫の生命活動を営む・・・・・そうすると排泄物というか副産物というか、そういうものが大腸内で利用される・・・・・こうした連鎖によって細菌学者が健康を取り戻すといったような筋書でした。つまり、私達現代人が『消毒・滅菌』という『清潔病』によって自分の生命を脅かしている、という事態に直面しているということでした。

 

これは現代人が設定した目標の修正をしなければならないということですよね。善玉だけが生き残って悪玉を殺してしまえば、人類は健康でいられる!!!!!・・・・・?????現代はプラスチックにまで滅菌処理がしてある時代です。これが先進社会の病根になっているというんです。一方でまだ人類の過剰生産や片寄った流通によって劣悪な、いわゆる病害菌が繁殖しすぎている地域もある・・・・・・それで消毒をして救済をしようとなるのですが、それが人間の浅知恵で本当は適切に分布させなければならないんですね。適切であれば、必要に応じて発現するんです。不要な時は増殖せずにおとなしく身を隠し、片づけなければならないものがある間だけ出現する・・・・・そんな善玉菌が仕切っている通常の社会と悪玉菌が必要なごみ処理場を併せ持っていなければならないんです。

生命体の大きさにかかわらず善玉人(菌)と悪玉人(菌)とが・・・・・善玉は人の見ているところで善を行い、悪玉は悪を行う。だけど裏ではその善行が悪業となり、悪行が善根となる・・・・・これは仕方がないことなんです。毎日善人の私達が行っていることなんです。快適な生活をして美味しい食事をたくさん食べ、汚いゴミや排せつ物をたくさん出す・・・・・!!!!!良い(?)ことをして、悪いことをしています。良い食事には乳酸菌や酵母などの善玉菌を、汚物には悪玉腐敗菌などの分解菌を・・・・・これは役目が違っているのだから、仕方ありませんよね。腐れたものは腐敗菌が分解する以外にないのですから。アニメ映画にありましたよね。『風の谷のナウシカ』・・・・・腐海が浄化するんですよね。凶暴ながすべてを食べつくして、新しい世界を作るんですよね。ナウシカは虫の上に乗って戻って来るんですから。

あの映画を見て感動した人はたくさんいたと思います。だけど自分を反省して行いを変えた人が何人いたでしょうか?????みんな感動(良いこと)をして、ほとんどの人が行いを変えなかった(悪いことをした)んだと思います。だから私達の社会はさらに不健康になっているのだと思います。私達は善人でありながら、悪人なんです。

 

今回のNHKの番組は、科学が私達に善悪を飛び越える提案をしている、ということだろうと思います。人体が『コングロマリット』・・・・・つまり善玉悪玉混合して住んでいる場所・多数の生命体の生息地だと言っているんです。私は私でない善と悪を抱えて生きている・・・・・そしてその住み分け度は、その場次第なんです。その場に腐敗があれば腐敗菌が増殖し、酵母の生きる醸造場があれば酵母が増える・・・・・マクロビオティックですね!!!!!そしてこれからが大切なんですけれど、どちらも人体の健康と生きることに不可欠だと言っているんです。凶暴な虫(悪玉菌)が新しいナウシカ(命)を生み出すんですよね、病害虫の働きが健全な生命活動に必要なんです。消毒しすぎてはいけないと言っています。

そして科学はもう一つの大きな命題を提示しています。それでは『私』という意識が何なのか?????、という問題です。

           個人と思って生きてきたのにコングロマリットだったなんて!!!!!

 

ここに、長年『私とは何か?』と記事にし続けてきた私にとって、絶好のチャンスが恵まれたと思います。日本語そのものが示している『』・・・・・人体というか生命体というか『その場』、日本語ではそういうものの一つ一つを『』と言うんです。・・・・・『ワタシ』。独立しているように見える『まとまり』を『ワタシ』と呼んできました。ですから『私』とは多くの生物の複合意識なんです。日本人の『私』は本当は個人を意味していないんです。多くの生物の気持ちがこんがらがっている複合生命体・コングロマリット・・・・・・コングロマリットという英語も『こんがらがっているもの』だと、何となく音声上わかるような気がしますよね。(・・・・・これも、『バベルの塔』のテーマにつながる問題です。)そしてこれは大きくも小さくも生命体を抽象する言葉なんです。大きくは『宇宙』を・・・・・「地球」を・・・・・「組織」を・・・・・人を・・・・・動物や虫や植物を・・・・・小さくは微生物やウィルスを・・・・・生命として認識されていない石や砂を・・・・・・分子や原子をも。私達は変わらなければいけないと思います。『生命』と言っているものに対する認識を大きく変えなければならないと思います。確かに地球上には種々雑多の生き物がいて、山も川も海もあり、我が物顔の人間もいて・・・・・それが一つの地球で、一人一人の人体もそれのミニチュアなんですね。

 

私達日本人には、『お蔭さま』や『もったいない』『ありがとう』という言葉があります。これはそうした生命の機序についての認識があったから生まれた言葉だと思います。日本語はそうした認識を呼び覚ます『音』で組み立てられています。これは世界中にもあって、『観音』経、『真言』、讃美歌などになっていると思いますが、そうした特殊な、それにかかわっている間の一時的なものではなく、私達日本人には本当にありがたいことですが、『日本語』そのものになって深く認識に刷り込まれ日常生活になっているので、無宗教だと言われる日本人の日常生活は非常に哲学的だとさえ思います。日本語というものを考えれば考えるほど、生命の真実に近づくことが出来るように思います。日本人が無宗教的でいられた理由もここにあると思いますし、他の宗教と共存することも、あるいは改宗することも、外国人からするとかなり自由な訳もここにあると思います。あのイスラム教の人達との問題も日本語の解明(カタカムナ)が何とかできるのではと希望をもっています。日本人は仏教と言いながら、年末にはお掃除をして年神様をお迎えし、子供たちはチャペルで結婚式を挙げる・・・・・そうした子供たちもまた親の弔いを仏教で行う・・・・・・おおらかな国です。これは世界の救いです。

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2 コメント

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アイスのコーン (しー)
2015-08-26 14:24:59
こんにちは。少し暑さも和らいでいて、うれしいです。
アイスのコーンを食べないことにびっくりしました!
そんな時があったんですね。
確かに、コーンは紙でくるんでいるものばかりです。
いつもは気にもせず食べていましたが、これからアイスを買うときはつい、気になって見てしまいそうです。
私もよく、お金を触った後は手を洗うように言われたものです。
今は、除菌液や消毒液も当たり前にあちこちに置いてあるので、子供たちも違和感なく使用しています。
自分の子供の時を思うと、今の世の中は「菌」に対して異常に反応しているのかもしれませんね。
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しーさん (和子)
2015-08-27 08:59:53
コメントを二つもありがとうございました。読んでくださる方がいると思うと、とても心強く感じます。

これからもよろしくお願いします。
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