四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

古尾谷氏館 ①(埼玉県川越市)

2019年05月22日 | 100名城以外の城館跡

館 名:古尾谷氏館(ふるおやしやかた)
別 名:善仲寺館
形 態:平城
時 期:鎌倉時代
築城主:古尾谷氏
城 主:古尾谷氏、仲氏
遺 構:土塁・掘
指 定:-
現 況:善仲寺、宅地等
所在地:埼玉県川越市古谷上堀の内

古尾谷氏館(善仲寺館)の歴史等については色々な方の記事を読ませていただいたが、私なりにこれだというと
ころには至りませんでしたので、取り敢えず概要は上記にしておきます。
さて、目的地である善仲寺をナビに設定してナビの指示通りに行くも付近を行ったり来たりするだけで、目的地
には着きません。付近の方にお聞きして何とか着きましたが、実に複雑な道でした。
更に、外堀跡も行く道が見つからず、調べ直して翌日に再訪問となってしまいました。




善仲寺参道と寺号標「曹洞宗 古谷山 善仲寺」とあります
参道の両脇(駐車場辺り)は、かつては空堀でだったようです




山門




扁額  これだけ崩されていますと何と読むのか難しい所ですが、「古谷禅寺」でしょうか?
曹洞宗のお寺さんですから禅寺となりますので




鐘楼




参道




薬師堂




当ブログお約束の六地蔵尊




善仲寺本堂




大棟には「二つ引両」紋が・・・鬼や、庫裏等にも使われていましたが。
ところでこの紋は誰の? 曹洞宗の宗紋ではありません。では、古尾谷氏か仲氏の家紋かと調べてみたのですが、
どちらもどんな家紋かは分りませんでした。みなさんの記事を更に読み返してみたところ、《古尾谷八幡社の社
伝に室町時代、足利尊氏に従った古尾谷刑部大輔が1352年の小手指ヶ原の合戦に際し戦勝祈願をした》との記述
がありました。また、足利氏は功のあった家臣に「二つ引両」紋を与えたことから、足利氏に仕えた古尾谷氏も
「二つ引両」紋を与えられとの推測も成り立ちますすが、あくまでも勝手な推論です。そんなことはお寺さんに
聞けばすぐにわかることで、悩むことではないのですが・・・




庫裏




庫裏入り口?




ここからは文で説明しても分りにくい(文章力がない)ので、「埼玉の館城跡」に掲載されている図を使ってみ
たいと思います。
古い図ですので、現況とはそぐわないかもしれませんが、概ねこの形で遺っているようです。




本堂裏にある物見台を思わせる土塁  図の①




土塁上には小さな石祠があります




水堀(池)  昔からのものなのか近世のものなのかはわかりませんが  図の②




水堀(池)北側の空堀  図の③




墓地の墓の後ろに隠れている空堀  西方から東方に  図の④




同上の逆方向(東方から西方に) 藪の中にも空堀が続いています




堀之内集会所  図の⑤




集会所の左側にある石仏群




石仏群・集会所の裏側(西側)にある空堀




石仏群・集会所の裏側(西側)にある空堀を逆方向(北方から南方)に
ここで鍵の手になっています




鍵の手から北方に延びる空堀  図の⑥




堀の内全景

この堀の内を囲む水堀を確認するためには堀の内の外に出なければなりませんが、堀の内の中にある道はみんな
行き止まり(屋敷への道)でしたので、水堀の北側に回り込むに難儀しました。故に2日も行く羽目に。
水堀について堀の内にお住まいの方3名程にお伺いしましたが、今は狭く浅くなっているが、かつては荒川と結
ばれていて船が水堀を行き来して米などを運んだとのお話でした。
この外堀については、古尾谷氏館 ② にします。

散策日:平成31年(2019)4月15日(月)・16日(火)

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