四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

東京散歩 江戸城跡

2013年03月19日 | 日本100名城
■ 国指定特別史跡 江戸城跡



東京駅から皇居のある方向に歩みを進めました。言うまでもなく江戸城散策のためです。
とは言え、散策時間に制約がりましたから、前回の攻城で見落とした中から2か所ほどをと予定しました。
前方に「富士見櫓」が見えてきました。徳川時代、家康、秀忠、家光と三代の将軍が天守を建てたそうですが、
これらが焼失後は、この富士見櫓が天守の役割を果たしていたとの話です。




内堀通りと行幸通りが交わるあたりからアップで撮ってみました
以前、濠の傍から見たときは、近すぎて樹木が邪魔をし、これほどよくは見えませんでした  




和田倉噴水公園から、富士見櫓と巽櫓の両方が見えましたので、噴水が上がるのを待って撮ってみました




皇居前の大芝生広場のクロマツとビル群です
これが徳川時代にあったら富士見櫓に上っても遠くは見えず、櫓の役目を果たせなかったでしょう




二重橋です
手前に見えるのが「正門石橋」で、奥にある橋が「正門鉄橋」です。一般にこの二つの橋を総称して二重橋と言っているようですが、
厳密には、奥のかつて「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため、中途に台があって二重構造になっていたことからこの名がついたということです。  
ここには写り込んでいませんが、日本製品の不買運動をやっているお隣某国の観光客の団体が記念写真を撮っていました。なんとそのカメラは「Canon」ですからねー




ここが今回の目的だったのですが、残念ながら修理中
またしても下調べをしないで出かけた結果です。
そう。「桜田門」です     そこで・・・




隠語で「桜田門」と呼ばれる「警視庁」を・・・  






「楠正成公(楠公)像」です
でも、これは像の背面です  






記文がはめ込まれているこちら側が正面です。これですと楠公の顔は反対側向いておりますが、
皇居に対して顔を背ける失礼だということで、皇居の方に顔を向けて作られたという銅像です。

南北朝時代の武将である楠公の銅像がなぜ皇居外苑に建てられているのでしょう。
当然、江戸城の城主になったとか家康の臣下だったというよなことは時代的にありえません。
簡単に言うと皇室に対する忠臣として知られる楠公の銅像を明治期に住友家が献納し、この場所に据付られたそうです。

散策日:2013年(平成25年)3月17日(日)           

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。