
日本煉瓦製造株式会社は渋沢栄一(新1万円札の顔)らによって明治20年(1887)に創立され、平成18年(2006)
に解散した大量生産が可能な機械式レンガ工場です。
その施設の一部である「煉瓦資料館」(旧事務所)と関係史料の臨時公開(4月29日~5月7日)されていますので
見学してきました。所在地は渋沢栄一の実家近くである深谷市上敷免28-10
通常は土・日のみ公開されています。
東京駅の煉瓦もこの日本煉瓦製造で焼かれたものが使われたというのは有名な話です。
『国指定需要文化財 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設』に指定されている施設は、
旧事務所(煉瓦資料館)
ホフマン輪窯6号窯
旧変電所
備前渠鉄橋

煉瓦資料館

煉瓦資料館門の前に設置の看板

「煉瓦資料館」(旧事務所)

旧事務所 説明板
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日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設
旧事務所
重要文化財(建造物) 平成九年五月二十九日指定
建物は明治二十一年頃の建設で、煉瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったナスチェンテス・チーゼ
技師が住居兼工場建設事務所として使用したと伝えられている。地元の人々からは「教師館」「異人館」の名で
呼ばれていた。
日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量に供給す
る民営工場として、渋沢栄一らが中心となって設立された。工場建設地は、当時政府に招かれていた建築技師ウ
ィルヘルム・ベックマン、チーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、良質の原土を産出し、水運による
東京への製品輸送が可能な現深谷市上敷免(じょうしきめん)新井に決定された。チーゼは娘クララと共に明治
二十二年十二月に帰国するまでここで生活し、彼の帰国後は会社事務所として使用された。
文化庁 埼玉県教育委員会 深谷市教育委員会
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旧事務所棟前からホフマン輪窯6号窯を見る 現在、保存修理工事中のため見学ができません
本当は輪窯で唯一残るこのホフマン輪窯6号窯を見学したかった

【第1展示室】会社設立からの歴史が分る展示 会社設立にかかわった方々の写真や建設工事に関する資料など

【第1展示室】会社が最盛期の明治40年頃の風景を再現したジオラマ

【第1展示室】ホフマン輪窯8号窯の仕様書とジオラマ

【第2展示室】に展示の日本煉瓦株式会社で焼かれた煉瓦造りのための道具(一部)

【第3展示室』に展示の国内で焼かれていた煉瓦(他社製品)のサンプル

【専用鉄道・野木町煉瓦窯パネル展示室】に貼られている「ホフマン輪窯6号窯」の写真

旧事務所の裏庭に積まれて保存されている専用線のレール

門柱の間に少しだけ見える煉瓦の建物(ほとんど見えない)が「旧変電室」

頂いてきた資料と文化財カード
文化財カードは、深谷市が渋沢栄一ゆかりの建物で深谷市に残る「誠之堂」、「清風帝」、それにここ「日本煉
瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設」の3施設を紹介したもので、文化財維持管理協力金ということで100円の寄付
で頂けます。
見学日:令和5年(2023)5月1日(月)