四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

花崎城(埼玉県加須市)

2018年05月09日 | 100名城以外の城館跡


城 名:花崎城(はなさきじょう)
別 名:―
形 態:平城
時 期:不明なるも16世紀頃か?
築城主:不明
城 主:細萱泰秀?
遺 構:郭・水堀・空堀
指 定:市指定史跡(但し花崎遺跡として昭和56年〈1981〉8月11日)
現 状:花崎城山公園
所在地:埼玉県加須市花崎北2(旧・加須市)

花崎城の築城時期や築城者は定かではないが、戦国時代には、栗原城の細萱氏の支城であったとされる。
細萱氏は後北条氏に従属していたため、永禄4年(1561)上杉謙信の小田原攻めの時に、栗原城とともに花崎城攻められ 、
小田原にいた細萱光仲に代わり、光仲の子で当時11歳泰秀が守備したが落城した。

花崎城跡は住宅地にあり、一部が花崎城山公園として残っています。昭和55年から56年にかけて行われた発掘調査では障
子堀等が発見されたとのことです。障子堀等は埋め戻し保存されてしまいましたが、公園内には水堀や空堀が遺っており中世
城郭を偲ばせてくれます。




既成の地図に公園内の建造物を加筆してみました。なお、水堀の現状は既成図通りではありません。また、この図では南側に
ある空堀が表示されておりません。




南側にある公園出入口  花崎城山公園と入ったコンクリート擬木の標柱が両側に建っています




「加須市指定史跡 花崎遺跡」の標柱  
花崎城跡単体に対する指定ではなく、花崎城跡と縄文遺跡に対する史跡指定ということです。それにしてもフェンスが邪魔で
見づらいし、写真も斜めからどうにかといった状態です。




郭南側のある空堀 南側にある土橋から西方へ見ています




上の写真の空堀を反対方向から見ています (西 → 東)




郭西側の水堀




同上の水堀  (南 → 北)




同上の水堀の北西部




西側の水堀前から郭の中央部方向を 




西側の橋から郭の中央部方向を  真ん中に見えるのが四阿




西方から南側出入口付近と空堀を見ています




南側の橋から南側の空堀の東寄り部分を見ています




北側の水堀と南側の空堀の間にある廓の部分 (西 → 東)




東側の公園出入口




同上 向きを変えて  やはり両側にコンクリート擬木の標柱が両側に建っています




羽場崎遺跡の説明板




説明板の中の発掘調査時の写真をアップにしてみましたが、説明板設置から年数が経っているいるためか鮮明さに欠けます




郭南東角にある祠  花崎城と関係あるのかどうかは分りませんが郭内にあったものですから




城跡の北側を走る道路  ここもかつての城跡の一部なのでしょう




東武伊勢崎線の線路 この線路が花崎城跡を分断しています
矢挟間から敵を狙うが如く金網フェンスの穴から馬出跡を狙ってみました。馬出郭跡は「城跡公園」となっているようですが、
遺構はなく単なる公園のようです。




更にズームして撮ってみましたが、やっぱりただの公園のようですね。




東側出入口から再び郭内に入りました。祠の斜め後ろにある四阿です。この辺りも馬出郭だったようです?




郭北側を東方向から西方向に見ています




先の方に水を湛えた堀部分が見えます




北側の橋の方に回り込んでみます




橋まで来ました




水堀です




ちょっとアップで




堀が浅くなったせいか雨量のせいかわかりませんが水量が少ない気がします。(期待すべきとではありませんが)大雨でも降れ
ばもっと水を湛え、広い範囲での水堀が期待できるかもしれません。
まあ、水堀の筈が干されて空堀状態の所を何か所か見ているだけに、こうして水堀を見ることができたことに感謝しましょう。

散策日:平成30年(2018)4月21日(土)

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