四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

大越城(埼玉県加須市)

2018年05月10日 | 100名城以外の城館跡


城 名:大越城(おおごえじょう)
別 名:館山・大越館
形 態:館
時 期:戦国時代?
築城主:―
城 主:大越彦四郎 小山小四郎 関根氏(伝承)
遺 構:土塁
指 定:―
現 状:八幡神社
所在地:埼玉県加須市大越字馬場

大越城は、歴史不詳の城館です。戦国時代に羽生城の支城として、忍城主成田氏家臣の大越彦四郎の居館であったと推測され
ています。また天正11年(1583)7月、小山小四郎が北条氏政に敗れて、大越に一時住んだとも言われています。
古くは平安時代末に小山朝政が居を構えたという伝承もあるようです。
大越城は、徳性寺の西側にある八幡神社付近にあり、八幡神社西側に土塁が残っている。更に徳性寺の東側にある八坂神社の
脇に小山朝政の墓があり、この地と小山氏との関係を推測させます。




この辺りが大越城跡のようです。最初にここだろうと目星をつけて来たのですが、思っていたのとイメージが違いましたので
引き返してしまいました。帰宅後、確認するとやはりここでしたので、後日、再訪問。まあ、こんなもんでしょう。




八幡神社鳥居
扁額には「八幡宮 新田之末裔源朝臣徳純 謹書」とあります。源朝臣徳純=岩松徳純 そんなに古い鳥居なのでしょうか?




社殿




社殿西側にある土塁(北面)です  堀跡らしき痕跡もありますがだいぶ浅くなっています。 
すぐ前は民家が並んでいますので不審者扱いされないように少しだけの探索




竹藪の中に土塁が見えますが入り込むことはさすがに避けました




櫓台もあるとのことですがこの藪状態では確認できません




徳性寺 徳性寺は小山判官朝政の祈願所で、後に小山義政の再興したもの




徳性寺山門




参道




鐘楼




本堂




徳性寺の東側にある大越公民館の裏手にある小山朝政の墓




八坂神社




「加須市指定史跡 小山朝政の墓」説明板 
宝篋印塔を墓としているものの、建立年と小山朝政の没年に隔たりがあるため供養塔の可能性が高いとあります。
往々にして墓と言われるものは供養塔の可能性がありますし、それを承知で墓と称していることもあるようです。




「加須市指定史跡 小山朝政の墓」標柱
この標柱に記された指定年月日は〔昭和34年6月16日〕となっており、説明板にある〔昭和38年9月〕と相違がありま
す。このことをもって小山朝政の墓自体に影響を及ぼすものではありませんがちょっと調べてみました。
加須市のHPによれば、小山朝政の墓の史跡指定は、昭和38年9月17日
昭和34年6月16日には、「大越三耕地の獅子舞」、「大越前田耕地の獅子舞」の2件が無形民俗文化財指定なっています
ので、標柱作成の際に誤ったものと思われます。(小さなミスよりも本題の城館跡探訪の方にもっと関心を注げとお叱りを受
けそうですね)




「史蹟 小山朝政墓 埼玉縣」の標柱が大きくて一瞬こちらが墓石かと間違う(そんな奴はいない)




小山朝政の墓とされる宝篋印塔




同上




先に見える堤防は利根川の堤防




徳性寺の墓所外側に咲いていたルビナス




たまにはこうして季節の花も撮って記事末尾に載せています

散策日:平成30年(2018)4月21日(土)・26日(木)

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