四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

大河原氏館跡・上田朝直墓(埼玉県東秩父村)

2016年12月11日 | 100名城以外の城館跡


秩父郡東秩父村大字御堂地内に日蓮宗の寺院で妙栄山浄蓮寺と言う寺があります。この浄蓮寺のあるところは大河原氏の館跡と言われています。

鎌倉時代に武蔵七党のひとつ丹党の一族である弥四郎時秀が、この大河原郷に移り住み、大河原氏を名乗ったことから大河原姓の発祥の地と言われています。
その後、時行、国村、光興の三代にわたり居館したのち、大河原氏は播磨へ移住したということですが、浄蓮寺を開基したのは大河原神冶太郎光興ということです。
しかし、現在の浄蓮寺に大河原氏館跡の遺構と思われるものはないようです。

更に、この浄蓮寺は松山城主上田氏の菩提寺であったようで、上田朝直等の墓があり、上田氏との繋がりの方が強調されている感じがします。




日蓮宗 浄蓮寺 の石標 寺の向かって左側は槻川小学校 右には東秩父村和紙の里(道の駅和紙の里ひがしちちぶ)があります




石畳の参道と山門




山号「妙栄山」の扁額




山門をくぐってすぐ左にある 浄蓮寺文化財案内  下半分は文字が消えかかっていて判読しづらい




こちらはガラス張りの新しいもの ただし写真では光ってしまい見づらいですが  
上部右4点が県指定有形文化財・史跡  他は村指定有形文化財・天然記念物




本堂  この時は法事中で、境内に車が多数駐車されていて離れた位置からは撮れませんでした




本堂に掲げられた寺号「浄蓮寺」の扁額




本堂と祖師堂との渡り廊下の上にある鐘楼




祖師堂




祖師堂の床下  お堂本体は石垣の上に立ち 回廊はコンクリート製の礎石の上に立つ
懸造りのような感じもしますが、ちょっと違うかな




庫裡   法事の供養によく使われています




妙栄稲荷堂(別名 瘡守(かさもり)稲荷)




左から 祖師堂  鐘楼堂  本堂




千部供養板碑群




上田朝直墓  中央石段の上




県指定史跡 上田朝直墓 の説明板  以前は、県指定史跡 上田朝直墓とだけ書かれた板の立札があった




上田朝直と一族の墓  左側の石柱には 史蹟 上田朝直墓 埼玉縣** とあり  右側の石柱には 松山城主上田朝直公の御墓前 とあり




左 上田政広の墓  中央 上田朝直の墓  右 上田長則の墓




上田朝直の墓




上田政広の墓




上田長則の墓




墓所全体を撮ってみましたが右端の方が入りませんでした  なお上記3名の墓以外は誰のものか説明がなく不明です




大河原氏発祥の地と入った東秩父郵便局のスタンプ
平成6年のものですが、当時流行っていた郵貯スタンプラリーで押印していただいたもの。通常の取引では押印することのない郵便局のスタンプ印を
本来は支払金額を記入するところに押してもらいます。(私は)今はやっておらず、スタンプ欲しさに預けた僅かな郵便貯金はおろして生活費に回してしまいましたが・・・

と、またも余計なことを書いてしまいましたが、大河原氏は東秩父村が発祥の地であることを謳っているわけで、20年経った今もこのスタンプがあるかどうかは確認していませんが。

散策日:2016(平成28)年12月3日(土)  (ここ浄蓮寺にはいろんな意味で何度も行ってはいますが)

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