四季・めぐりめぐりて

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権八物言い地蔵(埼玉県鴻巣市)

2021年10月22日 | 史跡・遺跡・文化財


平井権八(ひらい ごんぱち・明暦元年(1655)頃 ~ 延宝7年(1679)11月3日)は、江戸時代前期に
実在した日本の武士で、講談・浄瑠璃・歌舞伎・映画等の世界では、白井権八(しらい ごんぱち)と
して知られるとのこと。
その平井権八にまつわる「権八地蔵」なるものがあるとのことで訪ねてみました。
謂れについては現地の説明板参照してください。

名 称:権八地蔵(ごんぱちじぞう
別 称:荊原権八地蔵、権八延命地蔵、物言い地蔵
建立年:不詳
指 定:鴻巣市指定民俗資料 (名称:権八地蔵とその物語 平成3年(1991)8月21日指定)
所在地:埼玉県鴻巣市荊原(旧・北足立郡吹上町)




【権八延命地蔵】と揮毫された扁額




権八地蔵(物言い地蔵)




「権八地蔵とその物語」説明板
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鴻巣市指定民俗資料   平成3年8月21日指定
権八地蔵とその物語

 権八は、姓を平井といい鳥取藩士であったが、同僚を殺害したため脱藩し江戸へ逃れた。その途中金に
困り、久下の長土手で絹商人を殺害し大金を奪い取った。あたりを見廻すと地蔵様を祀った祠があった。
 良心が咎め己の罪の深さに、いくばくかの賽銭をあげて「今、私が犯した悪行を見ていたようでずが、
どうか見逃してください。また、誰にも言わないでください。」と手を合わせると、地蔵が「吾れは言わ
ぬが汝言うな。」と口をきいたと伝えられている。
 この話から、この地蔵は「物言い地蔵」と呼ばれるようになった。権八はその後捕らえられ、延宝8年
(延宝7年とも)に鈴ヶ森の刑場(東京都品川区南大井)で磔の刑に処された。
参考:延宝8年(1690)

 平成24年2月        鴻巣市教育委員会

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この荊原の権八地蔵は平井権八が処刑されただいぶ後に造られたようで、言い伝えの地蔵そのものではな
く、逸話に絡めて権八地蔵と呼ばれているようです。
また、権八地蔵と言われるものはここ以外の熊谷市久下にもあり、これは元禄11年(1698)造立されたもので、
やはり平井権八の物語と結びつけたものとのことです。
更に、鴻巣市本町の勝願寺にも同じ伝説の地蔵があり、これは延宝元年1673〉の造立とのことから、これが
本物の権八(物言い)地蔵だと言う説もあるようです。
正直、それも事実かどうか確かめようはありませんが・・・


散策日:令和3年(2021)9月28日(火)

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