四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

小田原 北條五代祭り

2010年05月03日 | まつり・イベント


小田原といえば北條五代 後北条といえば小田原城。後北条氏が活躍した頃の小田原城と天守や石垣のある小田原城(復元)とは
時代が異なるものの、後北條氏の関東支配の拠点となった小田原城も是非訪ねてみたい城郭・城跡のひとつであった。

毎年5月3日に、「小田原 北條五代祭り」が開催されることを知り、今回初めて行ってみた。正直、祭り見学となると、城攻めは満足に
出来ないし、仮に城攻めを主目的にしても、人、ひと、人でやはり城攻めには向かない。しかし、城攻めならいつでも出来るが、祭りは
年に1度しかないということで、あわよくば祭り見学と城攻めの両方をと企んだのである。

GW中のことゆえ、覚悟はしていたものの予想以上の時間を費やしてどうにか駐車場を確保したという状況であり、早めに着いて、
祭りが始まる前に少しでも城攻めをしたいというという甘い考えは通じませんでした。人出の多さに加え、普段なら見られる
場所も、祭りのため立ち入り禁止になっていましたので、とても城攻めは無理な状態。




天守の石垣の上では、「小田原城北條鉄砲隊」の演武が・・・




常盤木門(復興)




銅門(あかがねもん)・住吉橋(復元)
銅門広場で、武者隊の出陣式・帰陣式があるため関係者以外は中に入れませんでした(大きい方の建物が銅門)




二の丸隅櫓(復元)
二の丸隅櫓も、櫓前は人ひとでしたから堀越での写真となってしまいました。




お約束の案内板




本丸跡




馬出門(復元)
馬出門から武者行列が出てきますのでここにも近付けませんでした。
また、この前が各種パレードの出発点となるために、写真には写しませんでしたが、スタッフがた~くさんでした。




出陣式の観覧席は満杯。見物席の陣取りをせずに城内を歩っていたためにもう場所がありませんでした。




城内を歩っていたところ、寄居町からやってきた北條氏邦の鉢形城隊の一行とお会いしましたので、途中までお話をしながら・・・
寄居鉢形城北條まつりのときは、ここ小田原から武者や小田原提灯保存会も面々が参加しています。また、滝山城・八王子城のある
八王子市からも北條氏照軍が参加しています。更に、伊豆の国市からは、韮山城・北條氏規軍も。




武者行列出陣式見学は諦め、武者行列を含む各種パレードを見学することにしたものの、既にいい場所はもうありません。
とりあえずパレード出発点付近にしたのですが、前には列が出来ていましたので、デジカメを向けられる方向は限られてしまい、
後姿しか撮れませんでした(作戦失敗ということです)

パレードの最初は、この「泉中学校吹奏楽部」からでした。




相洋高校チァダンス部




小田原ちょうちん踊り

まずは吹奏楽隊のパレードから始まり、民踊隊、音楽隊と続きましたが、宣伝車を除いても13団体。とても写真には撮りきれません。




武者隊の行列が始まりましたが、陣取りを失敗したために馬出門から出てくるところは見られませんでした。
武者隊の先駆けはこの武者「演出奉行」




続いて風間忍者




少年武者隊




少女武者隊




手作り甲冑隊




「早雲公出陣!」
武者行列もいくつかの隊に分かれていました。先駆け隊に続き「初代北條早雲隊」です。
早雲公にはタレントの「阿藤快」さんが・・




三代北條氏康隊




地黄八幡・綱成隊




氏康正室瑞渓院




八王子城・氏照隊




鉢形城・氏邦隊

北條五代にかかわる武将や姫たちが次から次と出陣してきました。写真を見てもどれが誰だか分からなくなってしまっている状態。
その上、アングルが悪いので(陣取りの失敗と重ねて言い訳)
この武者行列のあとは「まち衆隊」として小田原ばやしや神輿等が続きましたが、あまり興味なく写真もほとんど撮っておりませんので・・・
本当は帰陣式も見たかったのですが、それは諦めて天守に登ってみました。でも、見物客だらけでゆっくり見られず。
城攻めも中途半端、祭り見学もどちらかといえば作戦失敗(作戦なんて練ってなかったのが本当の話)




市内の神社から繰り出してきた神輿のそのひとつ

城の方は機会を見てあらためて攻めてみたいですね。それが実現した時に「城攻め」のページを設けたいと・・・   
只今17時 小田原城を落としたので、これから帰陣。何時になるやら。

* 当日は「小田原城攻め」のタイトルでしたが変更しました。

散策日:2010年(平成22年)5月3日(月・祝)