群馬県邑楽郡大泉町に『小泉城跡』(町指定史跡)があることを知っていた。某所からの帰り道、大泉町を抜けてすぐのところにあるお店に食事のため寄った。
応対してくれた若い女性の店員に、「この辺に小泉城というのがあるはずなのですが分かりますか?」と訊いてみた。「分かります」と言って、その女性は、込み
合うお客さんの応対の合間を見て、紙に道順を書きながら教えてくれた。少ししてから、「さっきのはちょっと違っていましたので」と書き直した地図を持ってきて
再度説明してくれた。いくらお客からの頼みとは言え、中々ここまでできるものではない。これでは攻城しないわけには行かない。食事を終え、書いていただいた
地図を頼りに。いや、十分な説明を受けたので地図を見なくも目的の『小泉城跡』に辿り着いたのである。入口の左右の石垣の左の方には、「小泉城跡」と。
右の方には、「城之内公園」と、ふたつの名称を併記していた。これは行き届いた配慮である。
城址案内板
本丸跡
本丸内にある城跡碑
この小泉城は、冨岡主悦介直光が縄張りをした城で、「冨岡城」という名であったが、小泉氏に移ってから「小泉城」と呼ばれるようになった由。
城暦については、見づらいかもしれませんが、上の案内板に書いてありますので、いつものよう省略させていただきます。ここも、後北條氏とのかかわりがあったようです。
土塁
水堀
跳橋
高さのある土塁が周囲を囲っています。また、本丸周囲は水堀が巡っています。正直、この小泉城跡が、これほど広く、これほどの遺構があるとは知らず、
ただの空き地状態だろうくらいにしか想像していなかった私にとっては嬉しい誤算でした。
ところで、城名が小泉城なのに町名は大泉町ということはどうことなのかと、また恥ずかしい限りの疑問が生じましたので調べてみました。
何のことはありませんでした。元々は、小泉村→町だったのですが、大川村との合併により大泉町になったようです。
他にも何枚か写真を撮ってきたのですが、体調不良の状態で撮りましたので、まともに撮れておりませんので・・・
散策日:2010年(平成22年)5月9日(日)