AKB48の旅

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「汚れている真実」に嵌まる

2015年05月25日 | AKB
「僕たちは戦わない」のMVを絶賛しておきながら、実際にヘビロテしてるのは「汚れている真実」のMVという体たらく。正直、嵌まってしまった。見れば見るほどにのめり込んで行く。

もちろん単なる個人の好みの問題なのは明らかなんで、そこで議論を放棄して諦めてしまえば良かったんだろうけど、それでも抗いがたく引きつけられてる現実に抗いたくなってしまって、当初は楽曲の出来の良さ、MVの出来の良さ、製作サイドの「本気度」辺りに理由を求めようとしてみた。

けれども、AKB48SHOW#74での「汚れている真実」を見て(ちなみにこっちもヘビロテ中)、なんかいろいろ勝手に確信してしまった。それなりに納得できてしまったんで、以下につらつら書いてみる。

まずはチーム8選抜の10人という人数。この人数が絶妙で、良く言えば個性的な、いろんな意味でバラバラなところがしっかり伝わってしまう。個々が雑音のように際立って、人数では希釈されない。であるにもかかわらず、それが不協和音になることはない。ダンスフォーメーションの全体像に統一感がある。全力ダンスなのに、その鋭利さの切っ先がきっちり揃ってるとでも言うか。

結果、アンバランスがバランスするとでも表現するしかない、何とも曰く言いがたい心地よさが醸し出されてる。メンバー個々人の不揃いぶり、不完全さ、未熟さの凹凸が奇跡のように噛み合って、相転移という表現はちょっと違う気もするけど、何か異次元のものがそこに立ち現れてる。

そんな象徴的なペアリングが、センターの中野郁海さんと坂口渚沙さんであることは、言を待たないだろう。シンメトリーを廃するこの試みは、しっかり成功してると思うし、運営サイドは確信犯的にやってることなんだろう。そして何より、この「汚れている真実」という楽曲の尖りぶりが、みごとに共鳴してる。きっちりと嵌まってる。

「軽蔑していた愛情」を想起させると書いたけど、この「汚れている真実」は、あれの「延長された表現型」に相当するのかも知れない。