AKB48の旅

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「政治的思想」?

2015年05月06日 | AKB
以下コメント欄から全文引用

今まで多くのAKB関係の論評やコラムを見てきた中で、本日のコラムは一番酷い。自身の政治的思想をAKBメンバーとリンクさせる文章は、右左傾関係なく避けないといけない。AKBの旅に辿り着く読者はAKBとは関係ないことは求めてない。まして筆者の思想を押し付けるのなら、別のサイトを立ち上げるべき。


文章を読み、やり取りをしている中ある程度はわかっていたが、露骨な表現は控えるべき。アイドルやタレントは一つ間違えれば命取りに成りかねない。指原、武井の両方が自分の意見を抑えて、聞き手に回って危険を回避したことを、あなたは鳥越俊太郎氏を絶賛することのみの視点でしか捉えることができていない。AKBにおいてもそうだが、情報統制されたなかでの書物のようで、コードとは一線を画している。

インテリでない人を難しい表現をされているが、これは「ネット右翼」と捉えてよろしいでしょうか。少なくとも私にはそうとしか捉えることができない。あなたがどういう傾きかであるかは私の知ったことではないが、AKBを述べるコラムとして相応しいとは言えない。指原ファンが肝を冷やす出来事であり、アイドルファンとしての愛情よりも政治的思想を優先するなら、個人的サイトとはいえ一定の決断をすることも必要ではないでしょうか。


四谷三丁目さん、コメントありがとうございます。そしてどう反応して良いのやら、しばし悩みました。スルーするのが正解のような気もしますが、なにがしかの弁解するのが義務であるようにも思われますので、ちょっとだけあがいてみることにします。

どこから取り上げるべきかにも悩みましたが、そうですね、まずは「政治的思想」でしょうか。これが何を指しているのか掴みかねるのですが、鳥越俊太郎氏と「ネット右翼」という対立軸を、四谷三丁目さんが想定されてるようにしか読めないので、そのような理解として話を進めます。

対立軸を設定して、その土俵の上で議論するというのは、問題点を単純化するという点では好ましい面もあるのでしょうが、たいていの場合は議論の不毛化に陥ってしまうように思います。なぜなら、その問題点がクリティカルであればあるほど、問題点の単純化こそが悪手そのものになってしまってると考えられるからです。

「あなたは鳥越俊太郎氏を絶賛することのみの視点でしか捉えることができていない。」という文意を取り違えてるかもしれませんが、私には、鳥越氏を「絶賛」する意図も、逆に「非難」する意図もありません。同様にしてここで鳥越氏と対比する形の「市井の人々」を絶賛する意図も非難する意図もありません。

件の「ワイドナショー」では実際のところ、指原さんが自らの無知を披瀝する形で鳥越氏に教えを請い、あるいはそういう前振りを行い、インテリ(ここでインテリの定義付けとかは敢えてしません)であるところの鳥越氏が解説する、そんな展開になっており、松本氏もしっかりと?フォローしてました。もちろんそこは名は体を表すの「ワイドナショー」ということで、まさにショーなんでしょうが、それでも私には、この展開が一つの典型像(のカリカチュア)として映りました。

それはぼんやり見てるだけなら、あたかも当たり前の関係性と捉えられるものなのかも知れません。けれども指原さんというコンテクスト、鳥越氏というコンテクストを斟酌する時、そして、これは必要ないとも言えるけど、鳥越氏が語ったその立ち居振る舞いを加味する時、より明確な構図となって立ち現れることになったと思われます。

もう少し踏み込むなら、というか元記事で触れてしまってるんですが、この鳥越氏の立ち位置を、秋元氏が取ることは決してありません。対立軸という考え方に立ち戻るとして、その逆ですらない、秋元氏はそんな(どんな?)対立軸の外を模索します。少なくとも私はそう理解してます。そんな秋元氏の元にあるAKBという仕組みだからこそ、宮脇さんは伸びてきた。それが元記事で述べたかった主旨でした。

次に、「AKBを述べるコラムとして相応しいとは言えない」というご意見は真摯に賜りますが、四谷三丁目さんのコメントを何度読み返してみても、私の読解力の問題なんでしょうが、どこが問題なのかまったく理解できません。とりわけ「指原ファンが肝を冷やす出来事」といわれても、全く無力な一名無しさんのブログ記事とどう関係するのでしょうか。

本ブログが、AKBについての私的なお勉強ノートであることは既述の通りです。こうして3年以上にわたって「独学」を続けることで、私なりにそれなりの理解には到達できてるような気もしてます。そんな中、私がAKB現象を、決して冗談ではなく大まじめに、そして大仰にも日本文明論、人類史という枠組みで捉えているということもまた、既述の通りです。そこには必然的に思想信条はもちろんのこと、「政治」もまた包含されます。

「宮脇咲良755@1461」という記事も同様のスタンスで書いていますから、「政治的思想」を含めて思想信条から自由であることは、むしろあり得ないことになります。