AKB48の旅

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迷っていたのは誰か

2013年07月04日 | AKB
「恋するフォーチュンクッキー」が世に出たことによって、その意味するところに気づくことによって、いろんなことが過去に遡って見えてくるような気がする。もちろんそんなの単なる気の迷いかも知れないけど、そういう揶揄にも怯まずに、思うところを書いてみよう。

まずは「真夏SG」について。最初に聞いた時は、それなりに良い曲だとは思ったけど、当初からどこか淡い違和感のようなものを感じてた。その正体が何であるかに気づかされたのが、第4回選抜総選挙で披露された、松井Jセンターバージョンであることは以前に書いた。

この曲のセンターは、前田さんよりも松井Jさんの方がしっくり来る。もちろん個人的な感想に過ぎないんで、なんかトンデモな主張をしようとかそんな意図はないけど、それでもこの松井Jさんセンターのバージョンを見て、秋元氏を始めスタッフは、こっちを想定してたんだと感じて、一人腑に落ちていた。

今から思えば、あれが「迷走」の始まりだったんじゃないか。

昨日の記事で、選挙曲の例から「ギンガムチェック」を外したのも、別に忘れたからじゃない。「ギンガムチェック」のパフォーマンスは、確かに大島さんにチューニングされていたと思うけど、ジャストかと言えば疑問が残らないだろうか。曲自体は良曲だと思うけど、はっきり言ってしまおう、とりわけダンスが、どこか外してる感触がある。

前田さんがいない最初のシングル曲と言うことも、もちろんあると思うけど、だからこそとも言える、いないということの逆説的な存在感を、そこに指摘できないだろうか。大島さん自身が、前田さんの影でしかない以上に、曲全体に残像として残る、魔鏡のような前田さんの影。

フラゲに、幻の大島センターバージョンがあったように、ギンガムにも、誰も知らないし実際には存在しない前田バージョンがあったかのような、そんな妄想を抱かせるかのような。ギンガムのどこか煮え切らなさの正体は、実はそんな秋元氏の、スタッフの、そしてもちろん大島さん当人の迷いだったんじゃないか。

「UZA」はその点では違っていて、初見からあまり違和感がないというか、大島さんと松井Jさんのダブルセンターで、きっちり決まってる、はまってると感じた。けれども、「NO FLOWER WITHOUT RAIN」の情報を信じるなら、こちらも当初のダブルセンターのかたわれは、大島さんではなくて渡辺麻さんだったという。

その後、聞き込むにつれて耳当たりの良くない「UZA」というフレーズが気になってくる。何度も聞いているうちに、歌詞全体のトーンを含めて、ざらざらした、決して心地よくない感触が残る。どうもおかしい。どこかが間違ってないか。そんな感じ。

じゃんけん曲の「永遠プレッシャー」は飛ばして、それは「So long!」でもやはり同様で、曲としては決して悪くないのに、どこか中途半端さ、煮え切らなさ、いけてない感触があったと思う。そんな迷いのようなものが、あるいは例のMV問題をも、巻き込んでいたのかもしれない。

メンバー以上に、ファン以上に、前田さん以後を一番迷っていたのは、脱学習ができなかったのは、秋元康氏、その人だったんじゃないかと思う。