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まつかぜ日記

暮らしの中で思うこと

武者小路実篤さん

2006年07月25日 | 
『人生は楽ではない。そこが面白いとしておく。』
先日、丸の内の丸善でこんな長いタイトルの本が平積されていました。かなりのインパクトを持っている表紙です。
よく見れば=武者小路実篤画文集=とあります。

武者小路実篤と言えば…『仲よき事は美しき哉』 ですね?
私の実家にも、かぼちゃや茄子の絵と共にこの言葉がかかれた丸いお皿がずっとありました。
パラパラッとページをめくると、丸いお顔に丸めがね、着物姿のモノクロ写真が載っていました。ああ、そうだ。武者小路さんはこんな人だった。
どの写真も、ゆったりとしていていいお写真でした。
しかしこの日はそこまで。何となく気になりながらも元の場所に本を戻して帰りました。

それから一月ほど経ったある日、図書館でこの本と再会。
借りて帰ってきました。

読んでみて、一番の感想は
武者小路実篤さんの事、私は本当に何も知らなかった。デス。
正直に言いますと
私は「書画を描く人」という漠然としたイメージしか持ち合わせていませんでした。
でも、前半に載せられたご本人の文の中には『僕は自分を画家だとは思っていない。』とあるのです(苦笑)

明治18年生まれ、雑誌「白樺」を創刊。
当時の日本の文学、美術、思想に影響を与え、ゴッホを日本に初めて紹介したのも武者小路さんなのだそうです。
そして「新しき村」の創設。恥ずかしながら、全く知らないことばかり…でした。

意外だったのが、画を書き始めたきっかけのお話で
40歳の頃、子どもの顔をスケッチしようとして、あまりに下手なので(ご本人が書いておられます)出来ない事はやってみようと画を書き出した。のだそうです。

それからほぼ毎日描き続けて十数年後、それまではお嬢さんに「たきつけをつくっている」と言われていた画でしたが、ある日「…いくら下手でもうまくなる」と言われた。と書き残されています。
自由で温かい家族の様子が伝わってくるお話です。

そして、強く胸を打たれる言葉にもたくさん出会いました。
ほんの少しですが、武者小路実篤という人の人生の姿を知り得た事で
今までとは違った気持ちで作品を鑑賞できるようになったのかも知れません。

自然が、或いは人の手が作り出した対象物を
どこか子供のような真直ぐな心の眼差しで見て、感じて、
喜びと共に描かれていることが、みる側にも伝わってきます。

『君は君 我は我也 されど仲よき』
『生まれけり 死ぬる迄は 生くる也』

読むごとに、言葉の拳がどしどしとぶつかって来る、思いがします。

*調布に武者小路実篤記念館と実篤公園があるのも知りました。いつか行ってみよう。

くもの日記ちょう

2006年07月14日 | 
少し前にyutaさんのブログで『くもの日記ちょう』という長新太さんの本を知りました。

実はそのまた少し前に『いちばん美しいクモの巣』を読んでいた私は、これまで以上に勝手な親近感をクモさんに抱いていたのでした。
そんなこともあり、図書館で『くもの日記ちょう』を早速探してきました。

白い表紙の中央に青と緑を基調に描かれた空と海は涼しげ。
その中央には白い雲がありました。。。
そう、この長さんの「くも」は「雲」だったのですね(笑)
すっかり勘違いしていました。

きっかけは少しずれていたかも知れませんが、こちらの「くも」のお話も心に残る素敵なものでした。

表紙の中は、ちょうど夏休みに描いた絵日記のように「くも」さんの出会いや想いが描かれています。
どの日も瑞々しくとても自由で
一人、部屋の中で読んでいる私までもストーンと大きな外の世界に飛び出でたように楽しくなってしまいます。
一時暑さも忘れて、心が自由でいられる事の楽しさを味わえたように思いました。
否、むしろこの暑ささえも面白くなるような本なのかも知れません。

雲といえば、6月の沖縄で本当に大きな雲たちを見ました。
初めて入道雲を見た時のような、声に出さずにはいられない(私の場合・苦笑)ような感動がありました。

この「くもの日記ちょう」を読んでいる間も
途中から沖縄の大きな空に浮ぶ大きな雲と、本の中で日記を書いているこの雲がどんどん重なっていきました。


その中でも、特別な雲の写真を一枚。
虹のかけらを抱いた雲です。
不意に見上げた雲に虹を見つけた時は、とにかく嬉しくって
何度もシャッターを押してみたのですが、なかなか鮮明には撮れませんでした。難しいですね・・・
写真のほぼ中央、左よりに虹があります。

ルピナス

2006年06月12日 | 
ああこの花、ルピナスという名前なのね。。。
そんな風に初めて意識して紫色の縦長の花を見たのは
ターシャ・テューダーの庭での事でした。

電話を発明したグラハム・ベルはいつもポケットに
ルピナスの種を入れていて、行く先々でその種を蒔いていた。
そうしてアメリカの原風景ともいえるルピナスの草原が広がって行ったのだと
ターシャ・テューダーは話していました。

そういえば、子供の頃見ていたTV番組の「大草原の小さな家」の中で
草の中を元気に走り回るローラの背景にもこんな花がゆらゆらと風に揺れていたような…
(私のおぼろげな情景ですので、実際の所はわかりませんが。)
そして私の頭の中に「ルピナス=アメリカの(心の)原風景」となって残ったのでした。

そして丁度この花の開く頃『ルピナスさん』という本に出会いました。
きっかけはrucaさん海五郎さんがほぼ同時期にこの本を取り上げていらしたからです。感謝。
この本は裏表紙に【6歳から】と印されてあるように絵本であり、短い物語ですが
人が生きて行くことの意味がそっと示されているのだと思いました。
そして忘れがたい一冊となりました。

この本の中でミス・ランフィアスがルピナスの種をポケットに入れて
村のあちこちに蒔いて歩くのを見て、
私はやっと「ああ、この花はグラハム・ベルのあの花だ」と気づいたのでした。
クーニーの描いたルピナスの花はベル氏が咲かせた花かもしれません。

それにしてもターシャの育てた草原は心に焼きついていたはずなのに(苦笑)
あっという間に忘れ去ってしまう所でした。トホホ・・・

そしてそして先日mt77さんが美しい紫色のルピナスの花を紹介されていました。
<登り藤>という名前もあるそうです。花の姿から命名された事は明らかですが
その名前が、上を向いて咲く優美で力強い姿をも表現しているように感じました。

そんな思いで、この鮮明な写真を見つめていたら、
私にとっては何か決定的に思える
結びつきを思わずにはいられなくなったのです。

美しくいきいきと咲く花々、
その花の様に輝いて、人生の本分を尽す人たち。
一瞬にして全てが連結していきました。
自分だけのささやかな発見ですが
私には、今ここでの、この発見は必然の事であり
とても大事なことに思えています。

ルピナス(Lupinus)の語源はラテン語のlupus(オオカミ)で
どんな土地にも育つたくましさから名づけられたそうです。

『すき』

2006年06月06日 | 
『谷川俊太郎詩集 すき』を読んでみました。
rucaさんも書かれているように谷川俊太郎さんと和田誠さんの本ならば迷う事無く、
とにかく手に取ってみなくては!と思うわけです。
帯には「ぼくがいる。わたしがいる。」とあるそうですが
私は表紙の『好き』の文字を見た途端
あなたの好きなものは何?とまったく単純な言葉を頭に浮かべ、ページを開きました。

この笑顔の表紙の中には色んな愛がつまっていると思います。
大切な家族に向ける愛、友達や外の世界、未来に、そして自分への愛を感じます。

最後まで通して一度読んだ後、心にひっかかっている詩の中で1つご紹介します。
かなり迷いました。。。

わかばのけやきはるのひは

わかばのけやきはるのひは
つちがとってもいいにおい
みみずもかえるもともだちだ

みどりのけやきなつのひは
みずがきらきらかがやいて
まっしろノートがまぶしいな

きんいろけやきあきのひは
かぜがとおくへふいてゆく
みえないあしたがみえてくる

はだかのけやきふゆのひは
そらがほしまでつづいてる
うちゅうにむかってうたおうよ


この後に「わたしの ぼくの ○○小」とつづきます。
そうです、これも小学校の校歌なんですね。

一年生になって、この校歌を一生懸命覚えた子供たちが
ある日、窓辺の机の上に置いたノートの白さに目を細めた時
「まっしろノートがまぶしいな」ということばが
不意に頭に浮んで来て、そして目の前の情景とハッキリ結びつく。
そんな瞬間がいつかどの子にも訪れるのだろうな。
そう思うだけで、なぜだかとても懐かしいような、
ちょっと嬉しいような気持ちになります。

こちらの学校には縁もゆかりも無い私ですが
いつか、不意に見上げた梢の間から夜空の星を見つけた時
「うちゅうにむかってうたおうよ」と口づさむ瞬間が
私にも訪れたら、なんて素敵だろうと思うのです。

『ちいさな しんぱい』

2006年01月25日 | 
前回に続き、気になる絵本です。
新年早々rucaさんが紹介されていたこの『ちいさな しんぱい』を図書館で探してきました。

くまのアルシバルドがある朝目覚めると、頭のすぐ上に小さな雲が浮んでいます。
手が届きそうで(たぶん)届かないその雲は彼の゛しんぱい"となります。アルシバルドにとっては雲の存在自体が不安をかき立てるモノであるようですが、彼の心の中の不安や憂鬱が形となって現れ出たようにも思えます。

怒ったり、美味しい物を食べてみたり、草花の中に身を置いてみたり、更には大きく息を吐いたり…くまのアルシバルドの行動はどれも身に覚えのあることばかりで、ページをめくる度に可笑しくてほろ苦いような---複雑な笑みの自分を感じてしまいました。

雲は、ちょっと不思議にあっけなく消えてしまい゛しんぱい"は無くなって。。。
自分の抱く不安や悩みも、ある時思いもよらない出来事で突然に消えてしまう、こういうモノかもしれないナ~そんな気持ちも浮んできます。
そしてrucaさんと同じく、重く暗い雲が心の中に広がるように感じた時は、私もこのアルシバルドの頭の上の小さな雲を思い浮かべ、ブオーと大きく息を吐いてみようと思います。

アンネ・エルボーさんの絵がとてもいいのです。
ページを繰るたびに変わるアルシバルドの表情や、背景に現れる小さなもの=木々や鳥たち全てが彼の気持ちをよく表しています。他の作品も見てみたいと思っています。