手にとるだけで、気持ちまでゆるゆると笑顔になってしまう一冊の写真集と出会いました。
『ちょっとネコぼけ』/岩合光昭
表紙の“鼻ちょうちん”のネコ、もうたまりません(笑)
動物写真家としてあまりにも有名な岩合さん。ライフワークとして30年以上ネコの写真を撮りつづけておられるのだそうです。
道行くネコに声をかけ(一体どんな声で話しているのかとても気になります)、時にはネコに導かれながら、ネコの生活をカメラに収めている岩合さんの様子が目に浮かぶようです。尾道のネコも弘前のネコも、そしてイスタンブールのネコも皆のびのびと幸せそう。
幾度となく頁を繰って夜更かしし、心身ともにフニャフニャになった翌日。
お寺のネコ<木綿ちゃん>と遭遇し、初めてスキンシップ=頭をポリポリする、ことが出来ました。
このネコはとても甘えん坊らしく、いつもお寺の奥さんの後をついて歩いているのですが、よそ者には全く反応無しです。会う度に声をかけていますが、一度も振り返ってもらった事もありませんでした(苦笑)
でも、この日は木綿ちゃんの方から声をかけてきたのでした。びっくりです。
岩合さんの本の効能が何かしらあったのかも知れない、と密かに思っています。
ただの、ネコの気まぐれ…とも言われそうですが。
私が実家にいた頃、よくネコを飼っていました。
ブログで出会ったネコのお話を目にする度に、あったかくて柔かいネコの思い出が蘇ってきます。
最後に一緒に暮らしたネコは、家の塀の向こう側には決して出ようとしないコでした。
チョット猫背ぎみの立ち姿が和田誠さんの『ねこのシジミ』の表紙の姿に似ています。
村上春樹さんの『ふわふわ』にえがかれているネコへの思いと自分の中の記憶がぴたりと重なり合う思いでいます。
そして、長田弘さんの『ねこのき』を読んだ時にはドキリとしました。まるで、うちのチビのお話のようで。
チビが亡くなって数年の後、実家の“ネコの額ほど”の庭にある小さな柿の木が、オレンジ色のつややかな実を沢山付けるようになったのでした。『ねこのき』の様にはいきませんが、私はその事とチビのことを結び付けて胸の中にしまっています。
チビの事をここに載せるのは、辛い思いもありなかなか出来ませんでした。
でも、今こうして自然な気持ちでチビの思い出を書いているのも、『ちょっとネコぼけ』のネコたちのお陰かもしれません。
『ちょっとネコぼけ』/岩合光昭
表紙の“鼻ちょうちん”のネコ、もうたまりません(笑)
動物写真家としてあまりにも有名な岩合さん。ライフワークとして30年以上ネコの写真を撮りつづけておられるのだそうです。
道行くネコに声をかけ(一体どんな声で話しているのかとても気になります)、時にはネコに導かれながら、ネコの生活をカメラに収めている岩合さんの様子が目に浮かぶようです。尾道のネコも弘前のネコも、そしてイスタンブールのネコも皆のびのびと幸せそう。
幾度となく頁を繰って夜更かしし、心身ともにフニャフニャになった翌日。
お寺のネコ<木綿ちゃん>と遭遇し、初めてスキンシップ=頭をポリポリする、ことが出来ました。
このネコはとても甘えん坊らしく、いつもお寺の奥さんの後をついて歩いているのですが、よそ者には全く反応無しです。会う度に声をかけていますが、一度も振り返ってもらった事もありませんでした(苦笑)
でも、この日は木綿ちゃんの方から声をかけてきたのでした。びっくりです。
岩合さんの本の効能が何かしらあったのかも知れない、と密かに思っています。
ただの、ネコの気まぐれ…とも言われそうですが。
私が実家にいた頃、よくネコを飼っていました。
ブログで出会ったネコのお話を目にする度に、あったかくて柔かいネコの思い出が蘇ってきます。
最後に一緒に暮らしたネコは、家の塀の向こう側には決して出ようとしないコでした。
チョット猫背ぎみの立ち姿が和田誠さんの『ねこのシジミ』の表紙の姿に似ています。
村上春樹さんの『ふわふわ』にえがかれているネコへの思いと自分の中の記憶がぴたりと重なり合う思いでいます。
そして、長田弘さんの『ねこのき』を読んだ時にはドキリとしました。まるで、うちのチビのお話のようで。
チビが亡くなって数年の後、実家の“ネコの額ほど”の庭にある小さな柿の木が、オレンジ色のつややかな実を沢山付けるようになったのでした。『ねこのき』の様にはいきませんが、私はその事とチビのことを結び付けて胸の中にしまっています。
チビの事をここに載せるのは、辛い思いもありなかなか出来ませんでした。
でも、今こうして自然な気持ちでチビの思い出を書いているのも、『ちょっとネコぼけ』のネコたちのお陰かもしれません。