まつかぜ日記

暮らしの中で思うこと

あいうえおみせ

2008年06月17日 | 
先週の金曜日に安野光雅さんの講演会に行ってきました。
安野さんは普段このような催しはお断りになる、というのを聞いて期待と妄想と、いろいろな想いを膨らませて会場にむかいました。(笑)

既に沢山の方々がブログに書かれているとおり、
安野さんのお話はとてもとても楽しく、あっという間に2時間が過ぎていってしまいました。

胸に残る様々なお話。
特に町についてのお考えを伺えたことがよかったなぁ、と思っています。

それは、講演会の数日前に
図書館で、こどものとも7月号・安野光雅さんの「あいうえおみせ」を見つけた時、
なんとも上手く説明できないのですが、『ああっ、私…これっ!』と感じたことが始まりでした(苦笑)

数日後に代官山で安野さんの講演会に参加する予定があるからピピッと惹き付けられたのか?ほんのり懐かしいような、やはりこの絵が魅力的なのか?
その時の感覚を上手く言葉に置き換えられないまま時間が過ぎていきました。

「あいうえおみせ」についての質問に安野さんは
昔、自分が子供だった頃は小さくても一つの町に人が生活していく為に必要なほとんど全てがあり、生活共同体として在ったものだ。
そうした町から文化が育ち、文化と文化の交流がやがて文明となるのだと(いうようなことを)話されていました。
そして、生活共同体としての町が見えなくなってきた現在では文化の成り立ちが以前とは全く変わってしまったのではないか?ということも。

また、物を作る人の姿もいつも近くで見ることができた、と。
例えば、安野さんは幼い頃に「同じように四角く削られた木片を組み合わせてどうしてあんなに綺麗な丸いカタチになるのだろう」と思いながら“桶や”さんの仕事を飽かずに眺めていたそうです。

そうなのですね。
この本の中にも登場している いものやさんや、えんとつやさん、にまめやさん、こおりやさん、もんかきやさん、などは私の記憶にはっきりと残っています。
人の手の動き、並べられた道具達、ものが作り上げられていく様子を見るのは本当に楽しいものです。

帰宅して、こどものともの折込ふろくを読み返していてやっと自分の思いに気が付きました。
『町は生きていた』と言う文章の中で、安野さんは

町とは、産婆さんや小学校、病院、お寺、墓石など、ゆりかごから墓場まで、人が生きていくために必要なものが、過不足なくそろっているところで、それが町というもののカタチでした。
~ (略)~
この絵本はそんな過去への郷愁もないではありませんが、そんな町が復活することを願う気持ちの方が大きいのです。


と書かれています。

そうだったのです。
この本を手にした時、懐かしいなぁ~というどちらかと言えば感傷的なものではなくて、もっと前向きなエネルギー=町が復活する事を願う想いを受け取ったのだと気が付きました。
そしてそれが、とっても嬉しかったのだと思います。
漠然とですがいつもおもっている事でもありますから。

通販でなければ気に入ったものが手に入らない、
お気に入りのお店を探して電車に乗る…
自分の暮らしも、その理想とはかけ離れたものになっているのが現実ですが。
出来れば商う人の顔がちゃんと見えるところでお買い物をしたいと思いますし、自分の町の(少なくなってしまった)そういう所がずっと続いて、そこに在ってほしいと願っているこの頃であります。

あずま袋にねこの足

2008年06月14日 | 作りました
今年2月。
日本橋のにあるギャラリー ヒナタノオトさんで「こぎん刺し」を教えていただきました。
(今、確認の為に手帳をひらいたら、あのワークショップから4ヶ月も経っていることが判明。月日の経つのがあまりに早くて愕然としてしまいました。)


何か作りたい。そう思いながらなかなか見えてきませんでしたが。
やっと今の気持ちフィットするものを見つけました。
“おばあちゃんの袋”「あずま袋」です。
模様は「猫の足」というもの。

エクセルで模様が描けるというお話を伺って、夫の協力を得てやってみたのがこちら。


実際に刺してみると、だいぶ縦長になりました。
布目が揃っている事ばかりに気をとられて目のつんだ物を選んでしまったので、刺し始めの初日が終わる頃には、半ば後悔。という状態に。(苦笑)

でも猫の足跡が行ったり来たり。
夜の街を行き交う猫達の足跡を確かめる地図があったら、
こんな風に見えるかも?
考えながら刺すのは楽しい時間でした。

『琉球の織物』展 日本民藝館

2008年06月02日 | 沖縄
5月31日(土)日本民藝館へ。
4月から始まった『琉球の織物』展。既に週間を残すのみ、となっています。
この日は、沖縄県立芸術大学付属研究所の柳 悦州(やなぎよしくに)氏の講演もおこなわれました。

2005年・秋の『琉球の美』展では、陶器や漆器とともに戦前に作られた紅型染めや絣の衣装をみて、その美しが深く心に残りました。

今回は織物。絣や花織の衣装が中心です。
柳氏のお話によると、日本民藝館が所蔵する「沖縄の織物」は主に19世紀前半(王朝後期)からのものだそうですが、展示品はどれも非常に状態がよく、素晴らしいものばかりでした。

素材は芭蕉や苧麻、桐板(トンビャン)、木綿、絹で、
ほとんどのものが現代でも使われているものです。
でもい風合いというか、布の感じが明らかに現在のものとは違うものがいくつもあり、気になりました。

講演の中で、私がその違いの要因として思い当たったのが
当時の糸は、染色との関係からか、数種の素材が適材適所に使われているそうですので、その素材の多様な組み合わせが今にない風合いを生んでいるのかもしれない、ということ。もう一つは作り手の技術の違いではないか?ということでした。
お話では、現在残されている布を再現する事は構造的には可能なのだそうです。しかしながら、例えば腰機で布を織る昔の女性の映像が残っていて見てみると、軽々とよどみない動きで、とてもすぐに真似できるものではないのだそうです。

戦後、失いかけた織の技術は多くの人の熱意によって再生されて、今につなぎ、渡されてきたのだと理解しています。しかしながら、人の手が長い月日をかけて育んできた技術は易々とは再現できないのだと痛感しました。


それから余談ですが・・・
今年の春、新宿で開かれた『うちくい展』というところで「芭蕉・苧麻が繊維になるまで」を実際に自分の手で体験させていただくという好機に恵まれました。
↓がその時の写真です。
同行の友人も私も、芭蕉が糸になる工程は理解しているはずでした。大変手のかかるコトであると。
ですが、実際に鉄板を手に芭蕉の繊維をしごいていく感触と動きを体験してみると、それはもう、想像を何十倍も超えたご苦労が存在しているに気づかされたのでした。
その後、芭蕉布を見るたびに体の芯のほうからソソソッと鳥肌が立つような感覚が起きるのでした。
この度の展示を見ていてもソレは全く同様で。
蜻蛉の羽のように薄い~といわれる衣装を見たときは、クラクラと気が遠くなるような感覚に襲われました。

手前から糸芭蕉の葉。
葉の上の茶色いノシイカ(?)のようなものが芭蕉の皮を剥いで灰汁で煮たもの。この状態のものを金具(パイ)でしごいて繊維を出す。又は灰汁で煮ることなく使う事もある。
中央の細い枝が苧麻の原料。イラクサ科カラムシ。
白い棒状のもが、糸芭蕉の木の外皮を取り除いたもの。緑の葉になる前の状態のもので、何枚も重なって幹の様に太くなっている。これを一枚づつ剥いで使う。

ちなみに、糸を取るためには年に3~4回梢頭部を切り落としつつ、2~3年育てなければならないそうです。

芭蕉の皮の内側はこんなふう。
実を外したトウモロコシみたい。


うまく文章に表せませんが、鉄板で不純物をしごき取ると艶のある糸が現れるのです。