先週の金曜日に安野光雅さんの講演会に行ってきました。
安野さんは普段このような催しはお断りになる、というのを聞いて期待と妄想と、いろいろな想いを膨らませて会場にむかいました。(笑)
既に沢山の方々がブログに書かれているとおり、
安野さんのお話はとてもとても楽しく、あっという間に2時間が過ぎていってしまいました。
胸に残る様々なお話。
特に町についてのお考えを伺えたことがよかったなぁ、と思っています。
それは、講演会の数日前に
図書館で、こどものとも7月号・安野光雅さんの「あいうえおみせ」を見つけた時、
なんとも上手く説明できないのですが、『ああっ、私…これっ!』と感じたことが始まりでした(苦笑)
数日後に代官山で安野さんの講演会に参加する予定があるからピピッと惹き付けられたのか?ほんのり懐かしいような、やはりこの絵が魅力的なのか?
その時の感覚を上手く言葉に置き換えられないまま時間が過ぎていきました。
「あいうえおみせ」についての質問に安野さんは
昔、自分が子供だった頃は小さくても一つの町に人が生活していく為に必要なほとんど全てがあり、生活共同体として在ったものだ。
そうした町から文化が育ち、文化と文化の交流がやがて文明となるのだと(いうようなことを)話されていました。
そして、生活共同体としての町が見えなくなってきた現在では文化の成り立ちが以前とは全く変わってしまったのではないか?ということも。
また、物を作る人の姿もいつも近くで見ることができた、と。
例えば、安野さんは幼い頃に「同じように四角く削られた木片を組み合わせてどうしてあんなに綺麗な丸いカタチになるのだろう」と思いながら“桶や”さんの仕事を飽かずに眺めていたそうです。
そうなのですね。
この本の中にも登場している いものやさんや、えんとつやさん、にまめやさん、こおりやさん、もんかきやさん、などは私の記憶にはっきりと残っています。
人の手の動き、並べられた道具達、ものが作り上げられていく様子を見るのは本当に楽しいものです。
帰宅して、こどものともの折込ふろくを読み返していてやっと自分の思いに気が付きました。
『町は生きていた』と言う文章の中で、安野さんは
町とは、産婆さんや小学校、病院、お寺、墓石など、ゆりかごから墓場まで、人が生きていくために必要なものが、過不足なくそろっているところで、それが町というもののカタチでした。
~ (略)~
この絵本はそんな過去への郷愁もないではありませんが、そんな町が復活することを願う気持ちの方が大きいのです。
と書かれています。
そうだったのです。
この本を手にした時、懐かしいなぁ~というどちらかと言えば感傷的なものではなくて、もっと前向きなエネルギー=町が復活する事を願う想いを受け取ったのだと気が付きました。
そしてそれが、とっても嬉しかったのだと思います。
漠然とですがいつもおもっている事でもありますから。
通販でなければ気に入ったものが手に入らない、
お気に入りのお店を探して電車に乗る…
自分の暮らしも、その理想とはかけ離れたものになっているのが現実ですが。
出来れば商う人の顔がちゃんと見えるところでお買い物をしたいと思いますし、自分の町の(少なくなってしまった)そういう所がずっと続いて、そこに在ってほしいと願っているこの頃であります。
安野さんは普段このような催しはお断りになる、というのを聞いて期待と妄想と、いろいろな想いを膨らませて会場にむかいました。(笑)
既に沢山の方々がブログに書かれているとおり、
安野さんのお話はとてもとても楽しく、あっという間に2時間が過ぎていってしまいました。
胸に残る様々なお話。
特に町についてのお考えを伺えたことがよかったなぁ、と思っています。
それは、講演会の数日前に
図書館で、こどものとも7月号・安野光雅さんの「あいうえおみせ」を見つけた時、
なんとも上手く説明できないのですが、『ああっ、私…これっ!』と感じたことが始まりでした(苦笑)
数日後に代官山で安野さんの講演会に参加する予定があるからピピッと惹き付けられたのか?ほんのり懐かしいような、やはりこの絵が魅力的なのか?
その時の感覚を上手く言葉に置き換えられないまま時間が過ぎていきました。
「あいうえおみせ」についての質問に安野さんは
昔、自分が子供だった頃は小さくても一つの町に人が生活していく為に必要なほとんど全てがあり、生活共同体として在ったものだ。
そうした町から文化が育ち、文化と文化の交流がやがて文明となるのだと(いうようなことを)話されていました。
そして、生活共同体としての町が見えなくなってきた現在では文化の成り立ちが以前とは全く変わってしまったのではないか?ということも。
また、物を作る人の姿もいつも近くで見ることができた、と。
例えば、安野さんは幼い頃に「同じように四角く削られた木片を組み合わせてどうしてあんなに綺麗な丸いカタチになるのだろう」と思いながら“桶や”さんの仕事を飽かずに眺めていたそうです。
そうなのですね。
この本の中にも登場している いものやさんや、えんとつやさん、にまめやさん、こおりやさん、もんかきやさん、などは私の記憶にはっきりと残っています。
人の手の動き、並べられた道具達、ものが作り上げられていく様子を見るのは本当に楽しいものです。
帰宅して、こどものともの折込ふろくを読み返していてやっと自分の思いに気が付きました。
『町は生きていた』と言う文章の中で、安野さんは
町とは、産婆さんや小学校、病院、お寺、墓石など、ゆりかごから墓場まで、人が生きていくために必要なものが、過不足なくそろっているところで、それが町というもののカタチでした。
~ (略)~
この絵本はそんな過去への郷愁もないではありませんが、そんな町が復活することを願う気持ちの方が大きいのです。
と書かれています。
そうだったのです。
この本を手にした時、懐かしいなぁ~というどちらかと言えば感傷的なものではなくて、もっと前向きなエネルギー=町が復活する事を願う想いを受け取ったのだと気が付きました。
そしてそれが、とっても嬉しかったのだと思います。
漠然とですがいつもおもっている事でもありますから。
通販でなければ気に入ったものが手に入らない、
お気に入りのお店を探して電車に乗る…
自分の暮らしも、その理想とはかけ離れたものになっているのが現実ですが。
出来れば商う人の顔がちゃんと見えるところでお買い物をしたいと思いますし、自分の町の(少なくなってしまった)そういう所がずっと続いて、そこに在ってほしいと願っているこの頃であります。